大道芸通信 第361号

https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/005/008/43/N000/000/000/164511073787510151181-thumbnail2.jpg?1645110738020『東都歳事記』に見る江戸の歳末 左の挿絵は『東都歳事記』が載す「歳暮交加図(としのくれゆきかいのず)」である。慌…
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大道芸通信 第360号

『放屁論』 風来山人(平賀源内)の作品に『放屁論』というのがある。当時両国の見世物小屋で大評判を取っていた「屁放り男」の見聞記であるが、序文がいい。左記へ写す。 「屁というものがあるから、への字も何となくおかしいけれど、天には霹(へき)靂(れき)、神には幣(へい)帛(はく)、暦には経緒(へお)があり、船には舳(へ)先(さき)が、そし…
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大道芸通信 第359号

ight="640" border="0"> 木場の木遣念仏 木場の木遣念仏はいつ頃成立したものか不明だが、富岡八幡宮別当永代寺の住職が、氏子の人々に広めたといわれる。戦前までは、木場の川並、船頭、材木屋の間に永代講と呼ばれる講仲間があり、仲間の家に不幸があったときに大数珠を操って念仏を唱える百万遍念仏を行なっていた。永代講は…
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大道芸通信 第358号

江戸の生業  江戸の生業の中には、よく知られた「あさり売り」等がある一方、滅多に話題にならない地味なものもあった。中々取り上げられることが少ないので紹介する。 ○下掃除 肥桶を天秤にかけ肥柄杓を桶の中へ入れて来たり。厠池(せついん)に 溜りし大小便を汲みとるものを下(しも)掃(そう)除(じ)又は肥(こえ)とろオワイオワイヤと俗呼…
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大道芸通信 第357号

 薬売りから幕臣へ 最上徳内 出世咄 寛政(1789~1801)から文化(1804~1818)の初めにかけて江戸の町々には「徳平が膏薬」を売り歩く人が何人もいた。初期の頃は𨦇箱を担ぎ脇差を差していたというから「与勘平」膏薬売りのようなものだろう 与勘平は浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』に登場する奴の名前だが その姿形をそっくり…
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大道芸通信 第356号

鯰絵の「ちょぼくれちょんがれ」  国立歴史民俗博物館で七月十三日(火)から九月五日(日)まで、黄雀文庫が所蔵する 鯰絵コレクションの展示をする。その中に左記のような「ちょぼくれちょんがれ」を称えている絵を見つけたので紹介する。  黄雀文庫について同館は左記のように説明している。 【黄雀文庫とは】 浮世絵研究者で収集家として…
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大道芸通信 第355号

『熈代勝覧』が載せる生業 ⑰(大尾) 『熈代勝覧』が載せる生業をはじめて載せたのは 本紙第257号(2013年11月21日発行)が最初だから 足かけ十年になる。随分掛かったようだが 回数で云えば全部で17回である。その間色々載せたから思いの外時間がかかったけれど漸く本号で終わる。 ・武士の使い?  刀を差しているから 今で…
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大道芸通信 第354号

疫病神退散を願う「疫神差紙」  相変わらずコロナが猛威を振るう日本だが、対応策は自粛と我慢だけ。遊びに行くな酒飲むな。欲しがりません勝つまでは。何時まで? 如何したら勝つの? 根拠のない楽観論だけが頼りのコロナ対策なら江戸時代の方がまだまし。 山梨県立博物館が所蔵する『暴瀉病(ぼうしやびよう)流行日記』の記憶には、 現在同様…
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大道芸通信 号外

  深川江戸資料館主催    江戸の物売りと大道芸  開催日時 三月十四日(日)     午後二時(今回は一回のみ) 開催場所 深川江戸資料館 常設展示室 (地下鉄半蔵門線・大江戸線       清澄白河駅 下車 A3出口 徒…
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大道芸通信 第353号

ヨゲンノトリ(予言の鳥) つづき 今号の挿絵は先月と同じものである。詳細については先月号に譲る。先月は右面(頁)を読んだが、今月は左面(頁)を読む。先月に引き続き佐藤文幸師の読みと解釈である。 又云(う)。世上あまりおごりニ長じ、上下共ニ右の事ヲわすれ、只麗成迄(なるまで)ニ身ヲかた向(け)上たる人ハ下ヲあわれむなく下ハ只…
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大道芸通信 第352号

ヨゲンノトリ(予言の鳥)  新型コロナ以来アマビエが流行っているが、山梨県立博物館が所蔵する『暴瀉病(ぼうしやびよう)流行日記』にはコレラ除けの呪い(まじな )を載す。市(いち)川(がわ)村(むら)(現山梨市)名主・喜左衛門(きざえもん)が顕した同書は、安政五年(1858)八月初頭の記事に、頭が二つある鳥の絵が描かれてある。同時に…
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大道芸通信 第351号

疫 神 を 送 る 今月七日までで終わるはずであった新型コロナ対策として発令された緊急事態宣言であったが、案の定来月七日まで一ヶ月延長されることになった。先月宣言発令するにあたり「一ヶ月後には必ず収束させる」と大見得を切ったが、政府として行ったことは、国民に対する外出自粛と飲食店の営業時間短縮だけである。一方自分たちは、飲み食…
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大道芸通信 第350号

肥後(熊本)の海中に アマビエ現る 年は改まっても愈々コロナは蔓延し収まる気配は見えない そのため藩政時代同様 昨年は「アマビエ」がもてはや された 元々熊本にしかいなかったのであるが 新型コロ ナのお蔭で忽ち全国版になった 京都大学附属図書館所 蔵の左記瓦版によると 弘化三年(1846)に熊本の海中に現 れた時のものという 曰く…
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大道芸通信 第349号

『熈代勝覧』が載せる生業⑫ 第341号で「室町一丁目北側」の半分まで進んだが、未だ同じくらい残っている。続きをご覧じろ。 ●金山寺味噌売り 鎌倉時代に宋で修行した禅僧・心地覚心(法燈国師)によって日本へもたらされたとされる。同師は宋での修行時代、浙江省杭州にあった能仁興聖万寿禅寺(通称徑山寺(きんざんじ))で作られていた嘗…
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大道芸通信 第348号

『日本大道芸事典』    増刷及び一部修正について  七月に発行したばかりの日本大道芸事典の評判が思いの外よく、早十月には絶版の見込みである。しかも同月三十日発行の『週刊読書人』には、小生と江戸川大学教授との対談が大々的に載った。その記事を見て新たに読みたいと考える人もいるだろうから、絶版では困るだろうと云うことの想像はつく…
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大道芸通信 第347号

熊本市 本覚山 浄国寺蔵    松本喜三郎作生人形 谷汲観音像 生(いき)(活)人形の最高傑作「谷汲観音像」は、喜三郎の菩提寺「曹洞宗 浄国寺」にある。拙著『日本大道芸事典』のカバー絵に左記写真を使わせていただいたが、その外の資料については紙面の都合上、未利用のままであった。 折角送っていただいたのに使わないのは…
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大道芸通信 第346号

女(娘) 義 太 夫 義太夫節は浄瑠璃語り・竹本義太夫(1651~1714)が始めた浄瑠璃の流派である。竹本義太夫を名乗ったのは延宝八年(1680)頃からとされる。貞享元年(1684)、大坂道頓堀に竹本座を開場して座本となり、旗揚げ公演に近松門左衛門の『世継曽我』を語り評判となった。こうして近松門左衛門作竹本義太夫語りの組み合わ…
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大道芸通信 第345号

すたすた坊主に 後継者?  すたすた坊主は江戸前期から活躍していたようだが、一般に普及するようになったのは、享保年間(1716~36)以降であり、文化年間(1804~18)頃に最盛期を迎える。これが文政(1818~30)に入ると漸く衰え,記録の上では姿を消す。 これを二百年ぶりに復活させてのは、二〇〇五年(平成十七)に、当会創立…
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大道芸通信 第344号

思い入れや俗説を廃し 逐一原典を確認 斯界の要望に応える必携の一冊 『日本大道芸事典』遂に刊行 著者 光田 憲雄 装幀 B五判二段組+上段に挿絵 版元 岩田書院 定価 二万二千円 + 税 あらゆる芸能の原点であり…
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大道芸通信 第343号

『教訓善悪小僧揃』 『教訓善悪小僧』は歌川国芳晩年の作品である。国会図書館デジタルコレクションを最初から読込んでいたら行き当たった。半丁(一頁)が上下二段になっているので、色々な絵を楽しめる。中でも気になったのが飴細工である。現在のガラス細工同様、節(ふし)を抜いた細竹の端に熱した飴を巻き付け反対側の端から息を吹きこんで鳥などの作…
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大道芸通信 第342号

わ い わ い 天 王 左記のわいわい天王は英一蝶の『郡蝶画英 上』(明和六年=1769刊)が載せる「天王まつり」である。天狗の面を被っているのがわいわい天王であり、左手に持っているのが天王札である。その札を早く蒔けと、子供たちが催促しながら取り囲んでいるところである。遠くに見える幟は牛頭天王祭の幟である。普段は神田明神の地主神として…
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大道芸通信 第341号

『熈代勝覧』が載せる生業⑪ 幕末のメインストリート 今川橋から日本橋へ向かう通(とおり)町(ちよう)通りも 愈々室町一丁目に差しかかった。ここまで来ると喧噪の日本橋は目と鼻の先にある。日本橋といえば魚河岸=魚のイメージが強いが、青菜を売る見世や屋台、振り売りのほうが目立つ。春先に今川橋を出たが、ここまで来ると初夏の雰囲気が増すよう…
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大道芸通信 第340号

『熈(き)代(だい)勝(しよう)覧(らん)』が載せる生業⑩ 前回紹介したのは昨年三月号だから丁度一年前 ということになる。今回は絵を見ただけではどんな生業かわからないものが多い。御存知の方は是非ともご一報を待ちます。室町二丁目通りのの路上風景である。 傘持ち仲間を露払いに、馬に乗った武士が仲間に,何やら話しかけている様。 …
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大道芸通信 第339号

江 戸 の 春  現在の春は三月から五月だが、一八七二年(明治五)までは一月から三月であった。何故そうなったかというと、それまで使っていた太陰暦を太陽暦に換えたからである。一八七二年十二月三日を、翌一八七三年(明治六)一月一日にしたからである。つまり七二年は十二月二日でお終い。翌日は新年(七三年)の一月(正月)一日となったからである。…
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大道芸通信 第339号

江 戸 の 春 現在の春は三月から五月だが、一八七二年(明治五)までは一月から三月であった。何故そうなったかというと、それまで使っていた太陰暦を太陽暦に換えたからである。一八七二年十二月三日を、翌一八七三年(明治六)一月一日にしたからである。つまり七二年は十二月二日でお終い。翌日は新年(七三年)の一月(正月)一日となったからである。そ…
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大道芸通信 第338号ー①

href="https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/005/008/43/N000/000/000/157802061223867000276.jpg" target="_blank"> 江戸の正月 松の内も過ぎた今頃になって「何が江戸の正月だ」と怒られそうな気もするが、ジングルベルも鳴…
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大道芸通信第337号

『奇態流行史』が載せる大道芸  右書は廃姓(宮武)外骨の著作だが、好奇心旺盛な著者らしく面白いものが沢山ある。その中からこれ迄本紙に載せてない物を中心に紹介する。 与次郎兵衛の釣合人形 長き竹棒の端に大豆を刺して重心を保つ豆人形。これを一に釣合人形とも云ふが、正徳享保(1711~35)頃の筆写『英一蝶画譜』には、「与次郎売」…
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大道芸通信 第336号

江 戸の 三 閻 魔 『江戸名所百人一首』を見ていたら、「浅草閻魔堂」の挿絵があり右近の「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」の捩(もじ)り歌と挿絵が載っていた。それが左に掲げた挿絵である。「おがまるる みればおそろし 大王の 人のあくじを すくいたもふわ(拝まるる見れば恐ろし大王の人の悪事を救い給う…
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大道芸通信 第335号

第十二回    江戸の物売りと大道芸 盛況裡に終了 去る九月二十八日(土) に開催された 深川江戸資料館主催 当会出演の「江戸の物売りと大道芸」は、多数の来場者があり、主催者も大喜びの内に終了した。これも地道だが厳しい練習、たゆまぬ努力の成果と自負していい。  取りわけ今回は 故障者が続出したが、残された仲間が欠けた穴を…
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大道芸通信第333号

 わいわい天王と   戸塚のお札まき  わいわい天王の天王とは、牛頭天王のことであることはこれまで何度も述べたから 本紙の読者なら誰もが知っていることと思う。 現在戸塚の八坂神社に残る、横浜市無形民俗文化財指定の「お札まき」も多分その系統だろう。  その程度の知識で、お札まきを見に行った。 八坂神…
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大道芸通信 第332号

芥子之介(助)   源水は歯抜き目抜きは芥子之助 右の川柳は『柳多留』が載せるものだが、松井源水と東芥子之介を詠んだものである。元帥は独楽廻しで人を集め、歯磨き粉や歯の治療をした。一方、芥子之介は綾取り{ジャグリング}を見せて投げ銭を受けていた。源…
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大道芸通信 第331号

   猿(さる)曳(びき)(猿廻し)と猿(さる)飼(かい) 猿は昔から馬の神様である事はこれまでにも何度か書いた。だから武家社会では、厩の悪魔払いや疫病除けの祈祷に猿を使った。また初春の祝福芸を司るものとして、(御)所や高家(今でいう上級国民の棲む家)への出入りも許されていた。今猶京都(御)所の築地の東北隅軒下には、「神猿(ま…
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大道芸通信 第330号

牛頭天王発祥地へ行く  藩政時代に天狗の面を被って「わいわい天王 囃(はや)すがお好き」といいながら牛頭天王のお札をばらまいていた「わいわい天王」の元祖「蘇(そ)民(みん)神社」(現素盞鳴神社内)へ行ってきた。『釈日本紀』が載せる『備後国風土記』逸文に従い、その比定地とされる疫隈国社を訪ねたのである。  福山駅から福塩…
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大土芸通信 第328号

  深川江戸資料館主催 江戸の物売りと大道芸 開催  日時 三月十六日(土) 第一回 十一時半~十二時十分 第二回 十四時 ~十四時四十分   場所 江東区深川江戸資料館展示室     地下鉄大江戸線 半蔵門線「清澄白河」駅 下車 A3出口から徒歩3分 …
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大道芸通信 第327号

『煕代勝覧』が載せる生業⑨  本絵巻には総勢一六七一名の人間が描かれているが、内女性は約二〇〇名だそうである。比率にすると十二%たらず。漠然と思っていたより更に少ない。町作りが始まった幕初なら兎も角、幕末近い文化二年(一八〇五)頃になっても、未だそんなに差があったのかと改めて驚く。 ●猿登り(右)と金比羅行人 「猿登り」は猿…
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大道芸通信 第326号

  深川江戸資料館主催 江戸の物売りと大道芸 開催  日時 三月十六日(土) 第一回 十一時半~十二時十分 第二回 十四時 ~十四時四十分   場所 江東区深川江戸資料館展示室     地…
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大道芸通信 第325号

歌念仏から歌比丘尼 けころ  念仏は元来、,節を付けて謡うようなものではないが、それだと庶民へは伝わりにくい。歌のように節をつけたら、少しは耳に残るかも知れない。念仏を伝えるための方便ならいいだろう、と行われるようになったのが歌念仏である。  処が後にはそんなことは忘れられ、好き勝手な歌を作り鉦に合わせて囃したりするようになっ…
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大道芸通信 第324号

『擲銭青楼占』 『擲銭青楼占(てきせんせいろうせん)』は筮(ぜい)竹(ちく)代わりに銭で占いするとある。『洒落本大成 第五巻』が載せる解説によると、洒落本大成以前に、『洒落本大系 巻二』が翻刻しているという。  また本書は『開学小筌』(宝暦年間刊)、『遊郭擲銭考』(明和二年)の改題改刻板であり、前二書の上方板を江戸板として、序や…
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大道芸通信 第323号

女相撲は神代から  土俵上で挨拶していた人が突然倒れたため、複数女性が救助に向かったら「女は土俵に上がるな」と館内放送があったと。それでも人命が大事と、心臓マッサージを始めた看護士に、繰返し「土俵から降りろ」の放送が続いたという。何でもそれが伝統とか。 「そんな伝統何時から?」 「人の命と伝統、どっちが大事?」 「だったら変…
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大道芸通信 第322号

 「秋田蘭画」と「覗き絵」  秋田蘭画は安永三年(1774)以降に秋田藩内の藩士等を中心に描かれた洋風絵画のことである。洋風絵画ではあるが、油絵具ではなく国産絵具で代用した。蘭画といわれる所以である。恰もその当時は「のぞき(=後の覗き絡繰り)」の第二期、「景色(名所)を見せる覗き」全盛時代に当たる。 「のぞき」は竹田絡繰(からく…
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大土芸通信 第321号

江戸の物売りと大道芸 終了  去る九月二十九日(土)、通算十二回目の「江戸の物売りと大道芸」(深川江戸資料館主催)が、無事終わった。朝のうちは曇であったが始まる頃には雨になった。そのためもあってか、期待したよりも客足は伸びなかった。それでも午前の一回目は、八十名ぐらいの観客が座席を埋めてくれた。 午後は更に雨脚が強く、二回目…
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江戸の物売りと大道芸プログラム(大道芸通信 号外 2018/9/29発行)

 江戸の物売りと大道芸 ⑫  九月二十九日(土) 開催 第一回 十一時半~十二時十分(四十分) 第二回 十四時 ~十四時四十(四十分) 場所 江東区深川江戸資料館 (地下鉄大江戸線、半蔵門線       「清澄白河」駅下車 A3出口から徒歩3分)…
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大道芸通信 第320号

『煕代勝覧』が載せる生業⑧  現在の町境は道路だが、藩政時代は逆に道を挟んだ両側が同じ町内であった。これを両側町という。だから「向こう三軒両隣」が成立する。対して今は両隣こそ同じ町内だが、向こう三軒は別町内になってしまうから厄介である。 (自身番屋)  木戸番小屋とも云う。木戸脇にあり、町内へ不審者が入り込まぬか監視する…
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大道芸通信 第319号

『東都歳事記』が載せる「夏の生業」 藩政時代の夏と現在の夏では感覚が異なる。今年のようにめちゃくちゃ暑いのを除いても、季節も暦も思った以上にずれがある。言うまでもないが、藩政時代の夏は「四・五・六月」である。これに対し現在は、六・七・八月が夏である。太陰暦(旧暦)と太陽暦(新暦)の違いだから、暦ほど季節に違いはないが、違うものも多…
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