大道芸通信 第103号

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台湾バナナの初入荷

 門司は下関の三年後

叩き売りはさらに後!

左に掲げた【門司区の横顔】「バナナの叩き売り発祥の地」は、門司区役所ホームページの一カットである。発祥地の根拠として、「明治三十八年(1905)門司港で台湾バナナの荷揚げが始まると、昭和初期には“バナナ”は門司を代表する果物になりました」と書く。しかし、………
 続いて書かれてあることは、一般に流布しているうえ、本誌の読者ならすでにご存じのことばかりだと思うが、門司区役所の公式発表ではあるし、「門司発祥」の根拠になってもいる。煩瑣ではあるが、全文紹介する。
《バナナが日本に輸入されたのは明治36年頃で、当時、基隆(キールン)〔台湾〕の商人が神戸に持ち込んだのが始まりです。それが大量輸入されるようになったのは、明治41年以降で、終戦の4,5年前までです。その頃、台湾は日本の領土であったこと。門司港が産地台湾と最も地理的に近い関係もあって、大量荷揚げされ、市場が設けられたのでした。
このバナナ入荷は、青いままのバナナで、3、40人の仲買人〔室(むろ)を持つ問屋〕により競(せ)り売りが行われました。そして、引き取られた青いバナナは、地下室で蒸されて黄色のバナナとなっ
て、市場に売り出されたものでした。ところが、輸送中に蒸れた〔俗に籠熟(かごうれ)バナナと言う〕ものや、加工中に生じた一部不良品等で輸送困難なものは、出来るだけ早く換金する手段として、露天商等の手を経て、口上よろしく客を集め売りさばかれたのが「バナナの叩き売り」の始まりです。》

右の文章を年代を追って整理すると次のようになる。
①明治三十六年頃
 台湾バナナが日本へ初輸入
②明治三十八年
 バナナが門司港へ初めて
 入荷
③明治四十一年以降昭和十 五六年頃
 バナナが大量に輸入される ようになった
④その頃(明治四十一~昭 和十五、六年頃?)
 植民地台湾と地理的に近 い門司港にバナナ市場が設 けられた。
⑤昭和初期
 バナナは門司を代表する 果物になった。

門司区役所に限らず、広報活動の目的は、自己の管轄範疇を世間に知らしむることである。そのためには、些細なことであれ、最大限に利用するのが鉄則である。少々あやふやであっても都合が良いと思えば、強引に取り込むことが行われても、広報活動としては正しい
 だが歴史的にも正しいとは限らない。
「門司港バナナの叩き売り発祥の地」全文を読んではっきりした事は、門司港にバナナが入荷したのは、明治三十八年だったいう事だけである。
「叩き売り」については、一般論を述べるばかりで、門司ではじまった具体的な時期については一言もふれていない。
 かろうじて③の明治四十一年という年代が、叩き売りの始まった頃であると暗に匂わせてはいる。しかし、行われたとは書いてない。
 喩えそうであったとしても、明治四十年には街の風物として定着していた「下関の叩き売り(若山牧水の歌・編集雑記参照)」より遅いことに変わりはない。

 戯 れ 言 葉(三)

 第66号と第94号の二回、戯れ言葉や言葉遊びなどを紹介したが、まだ漏れたものがあったので紹介する。
 
一列談判破裂して日露戦争始 まった。さっさと逃げるは ロシアの兵、死んでも守る は日本の兵。
生きる目的と生きることは違う
いちりっとらんらんりっとせ しんがらほけきょ おーらいじやす。
イベントは同じことをやると飽きられるが、祭りは伝統になる。
一議席確保するのに二枚舌三すくみの衆議院選挙 五臓六腑が痛む程七つの膝を 八重に折り苦しいのは一時だけ当選すれば知らん顔(今井重美)
論より証拠
箱根山 駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人
馬鹿河馬チンドン屋お前の母さん出臍


へのへのもへの(じ)
土手の柳は風任せ
to be to be ten made to be(飛べ飛べ天まで飛べ)
地獄で仏
中高年昔は恋に落ち今は溝に落ちる




割れ鍋に閉じ蓋
我またそなたと逢える日
 いつか。我が我でない時また会う。我は何なり。 歌を忘れて歌になる。
 言葉を知って言葉を忘れたり。命をなくしてまた生きる。我は我にして。
私ゃもとより女郎じゃない。十七八のその頃にゃ、もんぺ姿の処女だった。
ヤサが貧しいそのために、親族会が開かれて、水売商スケバイショウにさらわれて、郭で名高き  吉原の、十八階段とんとんと、夜の七時に店開き・・・
風とお客は夜泊まる
書くたびに鬱の字を書く春しぐれ
涎垂らす……(以下五段目)
大志を抱きつつ現実を直視する
盾は傷ついてこそ盾

その手は桑名の焼き蛤
袖摺り合うも他生の縁
冷たくするなら最初から、優しくするなら最後まで
つるハ(ニハ)○○むし
寝ていても子供をあおぐ団扇かな
なら(奈良)の堪忍、するが(駿河)の堪忍
夏は涼し橋下の流れ、冬は暖なり路傍の草
何が南京(なんきん)唐(とう)なすカボチャ

梅(むめ)一輪一輪程の暖かさ(寒さかな)
梅(うめ)咲きぬ、どれがムメやら梅じゃやら
後に柱前に酒両手に女懐に金
牛に角あり午に角なし


オッと合点承知の助
親の言葉となすびの花は千に一つも無駄がない
親孝行するもしないも親次第 (金次第)
親孝行して欲しかったら金を出せ(寿命が延びたら生活費をどうするか?)




富士の白雪朝日で解けて三島女郎集の化粧水
言葉は使うことによって意味が出てくる
この土手に上るべからず警視庁


厚化粧顔と首とは別の人(綾小路きみまろ)
三人寄れば文殊の知恵一人抜けたら滓ばかり
猿に似せたる猿の面
笹や笹笹笹や笹笹は要らんか煤竹を、大高源吾は橋の上、明日待たるるその宝船
気に入らぬ風もあろうに河童の屁
優柔不断で嘘つきで優しいところが罪作り
You might think do this morning know some fish(ゆうまいと思えど今朝の寒さかな)
目の上のたんこぶ
みっちゃん道々運子して紙がないので手で拭いてその手で饅頭十食べた
巳は上に已已已半ばにて己己下に着くなり
しておいて枇杷葉湯とはにくい口
じゃいけんもってすっちゃん ほい、あいこでアメリカヨーロッパ、バリーは名高い大都会、出雲の国 の大社(おおやしろ)
新婚時代は愛で持ち、中年なれば忍耐で、熟年なれば保険金(今井重美)
四五人の大家をしかる良い暮らし(名主)
皺は寄る、黒子は出来る 背はかがむ、頭は禿げる毛は白くなる …人の見苦しさを知るべし…(尾 張徳川家中 横井孫右衛門 天明三年 〈一七八三〉 八十二歳没)
涎垂らす目汁を垂らす鼻垂らす、取り外しては小便も漏る …人のむさがる事を知るべし…(同)
聞きたがる死にともながる、淋しがる、出しゃばりたがる世話やきたがる …では、 どうすればいい  か?…(同)宵寝・朝寝・昼寝・ものぐさ ・ものわすれ・、それこそよけれ世にたたぬ身は…(同)

一つ二つはよいけれど、三つ醜いはげがある。四つ横ちょに禿がある。五ついつでも禿がある。六つ 向こうに禿がある。七つ泣いても禿がある。八つやっぱり禿がある。九つここにも禿がある。十でと おとお禿頭。
百里を行くものは九十里を以て半ばとす
人の不幸は蜜の味
桃栗三年柿八年柚の大馬鹿百八年
狭いながらも楽しい我が家




大道芸講習会 今後の予定
●第一〇六回目
八月二十一日(木)
●第一〇七回目
八月二十八日(木)
●第一〇八回目
九月十八日(木)
時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
会費・一回五百円 


編集雑記
  たまたま若山牧水全集を見ていたら、前号で紹介した歌碑と一部異なっていることに気づいた。たぶん全集の方が正しいので、訂正の上再録する。
(×歌碑、○全集)

×柑子 → ○柑子
×荒磯の → ○磯町の

桃柑子芭蕉の実(バナナ)売る磯町の 露店の油煙 青海にゆく(下ノ関にて)

露店を照らす光源は、何となくアセチレンガスを連想していたが、油煙がでるのは菜種油の方がふさわしい。あるいは小学生の時、実験で使ったアルコールランプも結構出た。反面アセチレンの方は匂いが鼻について厭だったという印象しかない。明治四十年の光源は果して?

 

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