大道芸通信 第143号

画像二 八 そ ば 

蕎麦通の人に「二八蕎麦」の意味を尋ねると、即座に「そば粉」八割に繋ぎの「うどん粉」二割のことである、と答えておしまいである。それでも時には「二八十六」、つまり「かけそば」一杯の値段が十六文であったことから来ていると、答えてくれる人もある。
 現在では圧倒的に「そば粉派」の方が強いが、少数意見のほうに興味がある。調べてみた。

左の挿絵は以前「タマちゃん」のとき紹介した帷子川(『江戸名所図会』巻之一)の部分だが、左下隅をよく見ると、「二八」と看板の出ている店がある。手前の門の屋根に邪魔されて見えないけれど、「そば」または「蕎麦」と、続くであろうぐらいの見当はすぐにつく。
 しかし実際には「そば」と並んで「うどん」と書いてあることが多い。下図は『方言修行 金の草鞋』(十返舎一九著)「木曾街道深谷宿」の場面であるが、右上の店先の看板行燈を見て欲しい。右側に「大ひら しっぽく」と二行に書かれてあるその左側上へ、「二八」と大きく書き、その下は「そば うどん」と、二行に割って記されてある。
 そばの通人が言うように、「(全体を十として)そば八うどん二」であるなら、「うどん」の説明がつかない。
 それだけではない。右下に掲げた挿絵も同じ『金の草鞋』からだが、『東海道江尻宿』の場面である。
ここにも「そば」を食っている図があるが、看板に「二六」とある。
これなどは、全体を八として「そば粉六」「うどん粉二」と云うのであろうか?
 私はそうは思わない。東海道もここまで来ると、江戸より安い十二文で「そば」が食べられたのだと思う。
 そもそも日本の貨幣単位は四進法が基本である。小判一両は四分だし、一分は四朱であ
る。また金貨と銭貨の換算も、多少のぶれはあるにせよ、一両は四貫(=四千文)に当たる。
 それだけではない。銭差しに差したままだと、九十六文を百文に通用させたのも四で綺麗に割れるからである(九十六÷四=二十四)。
 最下層の売笑婦、夜鷹の値段が二十四文。かけそば一杯半と同じである。或いは、金魚のえさにするボウフラを一日捕る手間賃が二十四文であったと、子供の頃読んだ本に出ていた。
 これなども四文または倍の八文が基準になっている。
 藩政時代は勿論、明治になっても暫くは発行されつづけた「寛永通宝」(=使用禁止となったのは、昭和二十八年〈一九五三〉円未満廃止時)なども、明和五年(一七六八)からは通常の一文銭の外に「波銭」と呼ばれる寛永銭が発行され出した。
 これは裏側に波模様を入れたやや大型の寛永銭で、四文銭として通用させた。
この時以降、ものの値段が、四の整数倍であることが増えたと云われる。
 江戸っ子が好んで食べた「すし」や「うなぎ」なども、当時の物価を調べた本によると大抵四の整数倍である。
 極めつきは文久三年(一八六三)から発行され始めた「文久永宝」である。最初から四文銭として発行された。
 こうしてみると、数字上はともかく実際に流通する貨幣単位(ものの値段)は、四文が最小単位だったのではあるまいか。それほど四または四の整数倍は根付いていた。
そばの話が少々ずれたが、「二六そば」や「二八うどん」の説明がない限り、「二八そば」の由来は値段から来ていると考えた方が自然である。


庶民の娯楽と大道芸史(二)

    ◇香具師系隆盛期◇
 享保二年(1717)大岡越前守(1677~1751)が町奉行へ就任してまもなく、香具師を幕府組織の末端に組込み、スパイ活動をさせた。

○香具商人連中へ仰付候注意ノ事(『てきや(香具師)の生活』添田知道著/雄山閣)

一、享保三戌年四月十六日香具商人連中へ大岡越前守様御番へ被召出 一々御尋ノ趣キ其砌越前屋庄兵衛、尾上平左衛門、丸野安太夫右三人ヲ香具商人ト申事、一々明白ニ申開依テ御上様ヨリ 香具商人ノ儀ハ厳敷御吟味無之然ル上ハ銘々国所誰帳下商人誰ト申ス。慥ニ成書付所持仕、渡世商可致筈所、如何相心得候哉、其儀モ無之、近年ハ不道ナル香具商人罷出所々盛場ニ不道成ル商人仕リ、或者ハ宿小屋ヲ荒シ、商人様ノ御酒ヲ呑、或ハ喧嘩口論致シ所ノ世話ニ相成リ商人ノ道ニ無之候。若シ無拠掛合入乱糺相分兼候節ハ帳頭ヲ以テ江戸奉行司取次御月番所ヘ可訴出候事。
一、…略…

○商人帖頭衆(『てきや(香具師)の生活』)
一、享保廿卯年十一月十六日
江戸香具連中ノ者共大岡越前守様御番へ召出役筋被仰付候事
一、長崎御奉行細井因幡守様ヨリ仰聞候趣、近年唐物抜荷売買致候者ハ国所相糺シ御領土並ニ御代官某所ノ役所ヘ預ケ置キ早速江戸表御月番ヘ可訴候勿論人参麝香龍脳其外ノ所薬種唐物ノ儀ハ御類長崎証文売上不相済売買致候者ハ早速訴出申候事
一、…略…

○香具商人往来目録(『てきや(香具師)の生活』)
一、人皇三十六代推古天皇の御宇 辛酉の年…………
食来師、傀儡師、鉄物師、読物師、合薬師、物形師、書物師、辻医師
 右ハ八香具八師面々也
小間物屋、売薬師、煙草売、見世物、筵張茶屋
 右ハ五商人香具ノ面々也

○商人帖頭衆(『てきや(香具師)の生活』)
一、享保二十卯年(一七三五)十一月十六日 江戸香具連中ノ者共 大岡越前の守様御番所へ召出役筋被仰付候事……
一、居合抜 曲鞠 独楽廻シ此三組ハ 愛嬌芸術ヲ以テ人ヲ寄セ 薬 歯磨 反魂丹 売候故薬香具ト奉申上候
一、覗 見世物 軽業之芝居……愛嬌人ヲ寄セ 薬 歯磨 売ル 香具ト奉申上候
一、大勢引連レ売通商人ハ…
一、辻療治膏薬又ハ歌本又ハ按摩導引……。
一、火燧火口……。  
一、鉄物金物……。  
一、七味唐辛子……。  
一、石臼目立……。 
一、小間香具……。  
一、蒸物茶水……。  
一、梨子蜜柑……。

    ◇衰退期◇
 慶応四年(一八六八)幕藩体制が崩壊すると、維新政府は様々な理由をつけては香具師や虚無僧を取り締まるようになった。

○明治四〈1871〉年
 普化宗廃止、寺僧民籍編入

○明治五(1872)年
  一月   
 両国橋西詰、川沿い水茶屋取払令(電信電話局建物建設)
  七月   
 香具師名目廃止(太政官布告)
  十一月   
 両国橋畔の茶店、広場の見世物、虎の門外茶店、九段坂堀端の茶店等残らず取払令
  十一月二十日
太陽暦採用を決定(十二月三日 → 明治六年一月一日)

○同 六〈1873〉年
  一月一日
 五節句(人日、上巳、端午、七夕、重陽)廃止。神武即位(一月二十九日)、天長節(十一月三日)を祝日とす
  一月十五日
 全ての神社に序列を附ける(府社、郷村社等)
  十一月一日
 筋違橋廃止、万世橋開通(葦簀張り茶店、髪結い床等取り払い)

○昭和十八〈1943〉年
薬事法制定。

○同 三十五〈1960〉年
薬事法改正。道路交通法制定

   ◇明治以降も行われた大道芸◇
・オオジメ(大締め)
リツ(法律書)、キンケン(統計表)、カリス(まじないの本)、ゴエイ(英会話速修術)、ノードク(処方、薬草類の表)、スリク(薬類)、ミンサイ(催眠術、護身術極意)、バンソロ(算盤熟達法)、ネンマン(万年筆)、記憶術、透視術、行者打ち(護符、漢方薬草書、ウラツ=占レ辻=神霊あぶり出し、危険術、釜鳴り)、登山打ち(薬草書)、塩酸の中へ入れても溶けない

「金の指輪」、マキスイ(蛇の薬)、ノコギリ(時計のゼンマイ製)、ナキバイ(泣き売)、一筆龍、黒子取薬、包丁(木や竹を切りながら売る)、番傘修繕テープ等々

・ チュウジメ(中締め)
ロクマ(六魔)、カソウ(家相)等

・コロビ(地面へ茣蓙をひいて商品を並べ、啖呵口上を述べながら商品を売る)
ヤホン(本屋)、ドロマン(泥万年筆)、ワンチャ(茶碗)、レントゲン(エッキス)、針金細工、樟脳船、拡大規、チャモ(玩具)、十徳ナイフ、インキ消し等

・サンズン(三寸)
縁日などで並んでいる商品をのせる組み立て屋台の事をサンズンという。また台の上に商品を並べて売る商売のこと。

・コミセ(小見世、古見世)担架を喋らず(ナシオト=無レ音)大人しい店。

・バサバイ、バサ打ち
バナナの叩き売り、百科売り、洋服売り等

・タカモノ(高物)
見世物に代表される。仮設小屋を組んで営業するもの。
・ハボク(葉木)植木盆栽類
・ハジキ 射的屋
・ハコバイ ハコ=列車のなかでする商売
・ガセミツ ガセ=偽、
    ミツ=ヒミツ=春画
大道芸講習会 今後の予定

●第一五一回目
五月十八日(木)

●第一五二回目
六月十五日(木)

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
会費・一回五百円

大道芸絵巻       江戸・東京の賑わい

DVD好評発売中!
   〒共 3000円 



編集雑記
今月八日(日)谷中墓地の中にある天王寺五重塔跡公園で花見をした。満開は先週だったから、大分葉っぱが伸びていた。しかし、首謀者はジャズの庄田次郎氏やすたすた坊主である。その程度で怯むはずはない。開始直後こそ土砂降りの雨が襲ってきたが、あまりの賑やかさにそそくさと退散してしまった。 それからは、道行く人たちをも巻き込んでの大花見大会となった。

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