大道芸通信 第144号

  阿 呆 陀 羅 経

 阿呆陀羅経とは、上方語の「阿呆」または「あほんだら」と「陀羅尼経」を ひっつけた合成語である。阿呆は説明せんでも解ると思うが、「呆」の方にウエイトがあり、愚かなことを意味する。じゃあ「阿」はなんだと云う事になろうが、親しく呼ぶ時の接頭語である。一方、陀羅尼はちょっと難しい。広辞苑をひくと何やら難しい事がいっぱい書いてあるが、要は「唱えたら御利益がある有難いお経」だと云う事。ついでに、短いのが真言、長いのが陀羅尼とある。
 始まったのは江戸中期とか文化年間(1804~1818)とか色々あるが、まあ新しい方が本当だろう。

 小さな木魚二つを、経文まがいの調子(阿弥陀経)に合わせて叩き、巷談や時事風刺に乗せて盛り場や人家の門口に立ち、金銭を乞い歩いた。
これに先行するものとして「祭文」がある。祭文とは元来、神への祝詞である。これを元禄(1688~1704)時代初めに山伏が芸能化し、錫杖等で調子をとりながら面白おかしく語り聞かせるようになった。これに三味線を加えるようになったのが「歌祭文」である。
幕末の嘉永六年(1853)頃になると「おぼくれ坊主」なるものが出てくる。
《衣服定まりなし。…あるひは古輪袈裟のみをかけ、…あるひは腰に木魚を垂れ、あるひは手にこれを持ち、これを拍つ。…読経に擬して諧謔す。
「お釈迦さんでも恋路にぁ迷ふたなあ、何の角(か)のとて御門に立ちたる気まぐれ坊主の、ずんぼらぼの坊主も、国を出るときぁ、赤ひ衣に七条の袈裟かけ云々」等の事を云へり》(『守貞漫稿』)
これは阿呆陀羅経である。文化年間に発祥して以来、四十年近く行われていた阿呆陀羅経である。同時に、阿呆陀羅経を唱えていた坊主を『おぼくれ坊主』と呼んでいた事がこれで知れる。
 おぼくれ坊主と似た言葉に「ちょぼくれ」と云うのがある。こちらも「阿呆陀羅経」同様、浪花節の源流になったと云われているものである。
 幸い文化十三年(1829)に刊行された『嬉遊笑覧』に、「ちょぼくれ」のことが載っている。
《ちょぼくれといふもの、已然の曲節とはかはりて文句を歌ふことは、少なく詞のみ多し。芝居ばなしをするが如し。これを難波ぶしと称するは、彼地より初めたるにや》
字面は異なるが、すでに「なにわぶし(浪花節)」という言葉が使われているではないか。だとすると、阿呆陀羅経は、浪花節と同時期に存在していたか、文化以前からあった事になる。
また「ちょぼくれ(ちょんがれ)」は「浪花節」の源流などではなく、そのものだという事になる。少なくとも直接の親とは言える。
これまで判明した事だけを並べると以下の通り。

     ・元禄初期(1688~)
       祭文『人倫訓蒙図彙』
        ↓
     歌祭文
     ・文化年間(1804~)
       阿呆陀羅経
       ちょぼくれ(=難波節)
     ・嘉永六年(1853)頃
       おぼくれ坊主(阿呆陀  羅経)
     ・明治(1868~)
       浪花節(一般論)

歴史的には文化年間に、天口斎呑竜という願人坊主が大坂北野太融寺門前で阿呆陀羅経を唱えたのがはじまりと云われる。これが後に江戸にも移った。
以前にも書いたかとは思うが、「願人」とは、京都鞍馬寺大蔵院の僧侶が生活のために代参や托鉢をしたことに始まるとされる。『守貞漫稿』は次のように記す。
《昔、台嶺(比叡山=ここでは鞍馬山)の僧侶、所願のこと有りて江戸に下り屡々出庁すれども、未だこれを果たさず。衆僧在府年久しくして資尽き、遂に貧困にいたり、市中を巡りて銭米を乞ひ、永く沈淪せる者也と云へり。》
 所願のこととは、『百戯述略』(齋藤月岑著)が記す次のことと思う。すなわち、
「元和元年(一六一五)夏の陣に際し、鞍馬寺大蔵院僧侶・滝の坊が家康の道案内をした。その謝礼として、江戸に末寺建立を願ったが、回答を待っている間に滝の坊は亡くなってしまった。そのため滝の坊の弟子が江戸へ下り、末寺建立を嘆願した。その間五年、托鉢しながら願望成就を祈願したので願人坊と呼ばれるようになった」と。
《然りや否や京坂に有レ之も同流歟。京坂に在る者は或ひは住吉踊り、或ひは金毘羅行人、或ひは庚申の代待ち等也。其所為戯謔をなさず。住吉踊りの扮は衣服手甲股引脚絆甲掛共必ず白木綿を用ひ茜木綿の前垂をかけ右手に一団扇を携へ一つを帯の背に挟み菅笠の周りに茜布を垂れ草鞋をはく。五六輩同扮にして其一人は大傘を中央に栽て此傘も周りに茜布をたれたり。片竹を以て傘柄を拍て唄ふて曰云々上略。其終りに「住吉さんまの岸の姫、松目出たさよ」と唄ひ納むる也。其他の四五輩は其周りを巡り踊躍す。古風を存せり。又金毘羅行人の扮は、衣服および手足の服同前、皆白木綿也。又頭を白木綿を以て突盔の如く包み其の余布を両耳の上に捻ぢ結び其又余を二尺許垂れ下す。右手に鈴を振てだらに(陀羅尼)及び祈念の文を唱す。首に施米の筥をかくる。乃筥は胸にあり。庚申待ちは大坂にのみあり前庚申二三日のみ行レ之浅黄木綿服、手足の服同前、白を用ひ銅鑼を拍て曰。四天王寺庚申の代待と云。是又施米筥を胸にかくる。江戸に在る者此輩甚多く皆橋本町に住して(割注・或曰始め馬喰町に住す。元禄中橋本町に移レ之)同所に其長あり(割注・或人曰羽黒山の派と鞍馬山と二派ありと也)各々戯謔を専らとして其所種々あり》(『守貞漫稿』)と。
『嬉遊笑覧』に、《代待ち、代垢離かき等して有りしもの故願人とは云ふなり》とあるように代待ち、代垢離など、願掛けに伴う面倒事を代行したのが願人である。
阿呆陀羅経も歌祭文を取り入れた願人たちによって生まれた。
 当初はホラ貝を吹き、短い錫杖を振りながら祭文を語る「でろれん祭文」語りとして現れた。でろれん祭文と云われるのは、「でろれんでろれんでろれん」と合いの手を入れた事に由来する。
これら(祭文や読経・説教節等)の節や内容をもじったり利用して、世間を風刺し、野卑な言葉を織り交ぜながら口早に唱えたのが、阿呆陀羅経である。
 例えば「仏説阿呆陀羅経」は、小さな木魚二つを左手に持ち、右手のバチで打ち合わせて拍子をとりながら唱えた。
「申し上げます。お経の文句は、何が何ンでござりましょうやら、釈迦も提婆も生れた時には空々寂々」
 というようにはじめ、天変地異や巷間の出来事などをきわめて早口におもしろおかしく続けた。
 また『戦争文学全集』別巻(毎日新聞社/昭四七・六・五発行)に漫才師砂川捨丸・中村春代の語る阿呆陀羅経が載っている。題して、「支那事変阿呆陀羅経」。
捨丸「ウーウー……阿呆陀羅経…
春代 アッ!
捨丸「アー  おそれながら国体護持経済国策お経の文句で申そうならば、銃後のやりくり、カラクリ、へそくり、なんでもかんでもムダを省いてアブクを出すなや、アブクを出すのはカニとテンカン、安もの石ケン、こっちでいうのは倹約石ケン……
春代 ややこしい石けんやなァ捨丸「アー ボロクズ、綿クズ、糸のクズでもみんな大切、火薬の原料じゃ、火薬とゆうても加薬ウドンと間違っちゃいけない。捨てるな紙クズ、タバコの銀紙、空カン、針金、どんなクズでも決して捨てるな。けれど特別あんたばかりは捨ておけ放っとけ。
春代 なんで、わてを捨てるねんな。
……(略)……
捨丸「アー このまた経済がなかなかむつかしい。なんとゆうてもわしらは男だ。真正真値の日本男児(ハッ)いったん緩急、正義の銃剣、われに仇なす不逞のやからは、射て射てドンドン(ハッ)ヤレヤレドンドン……
 わたしゃ売られてゆくわいな、ととさんご無事で、またかかさんも(アッ)お前も達者で折々の、たより聞いたり聞かせたり、ドンドンちゅうてな……
春代 ちょっとあんた。
捨丸 ウン。
春代 ソリャ、ドンドン節やないかいな。
  ……(略)……
捨丸「アー たとえ戦争に行けないからとて、尽忠報国堅忍持久(アッ)挙国一致の心は変わらぬ云々(以下略)
 更に『上方芸能』148号(2003・6)に「ちょんがれ・阿呆陀羅経」(関山和夫著)という随想が載っている。
《    願人坊主
 浪花節(浪曲)が、祭文ーちょんがれー阿呆陀羅経ー浮かれ節という糸を引いて成立してことは、今日では、おおむね研究者達の言及するところとなっている。 ちょんがれの起源は不詳である。享保(一七一六ー一七三六)のころに江戸ではじまったらしい。「ちょんがれ」は「ちょぼくれ」ともいう。浪花節の成立には、さまざまな要素が入っているが、祭文語りの中にあらわれた願人坊主は、相当な役割を演じたものと思われる。……(略)……
 この願人坊主と祭文・ちょんがれは密接な関係がある。おどけた願人坊主が古い輪袈裟をかけ、木魚を叩き、割竹に銭をはさんで振りながら歌って歩いた。

     ちょんがれ・ちょぼくれ
願人坊主は、門付をして祭文を語った。ちょんがれ・ちょぼくれは祭文の変形としてあらわれた。ちょんがれとちょぼくれは同じもので、詞章の前後に「ちょんがれちょんがれ」「ちよぼくれちょぼくれ」
囃子ことばがついたために、ちょんがれ節・ちょぼくれ節といった。……(略)……
 
     阿呆陀羅経
 阿呆陀羅経は、私自身、生家の寺の縁日で実際に聞いた記憶がある。口演者は爺さんで、小さな木魚を打ち鳴らして、下品なことを口ずさんでふざけていた。「ブッセツアホダラキョー」(仏説阿呆陀羅経)という最初のことばだけ鮮明に覚えている。
 ……(略)…… 
かつて豊年齊梅坊主(=かっぽれの元祖)は、阿呆陀羅経で名をはせた。「無い物尽し」が有名だった。「さてもないないないものは、日露の戦争は小さくない、新聞儲けは少なくない、号外売る人数知れない、その実おアシは儲からない、明日のもとで(元手)も取りおけない、それでも食べずにゃいられない……」というものだが、「尽し」は阿呆陀羅経の伝統的なレパートリーの一つであった。阿呆陀羅経は、リズミカルでユーモラスで詞遊びの楽しさは抜群であった。(以下略)》


  伝承会のお知らせ
 
通常の講習会とは別に、オンリーワンを目指す人のために、伝承会を始めることにしました。当面の目標は、二年以内に「東京都ヘブンアーティスト」になることです。
 練習日は第一木曜日を予定していますが、会場が取れなかった場合は、練習日や部屋の変更もあります。本紙やブログに掲載しますので、注意して見て下さい。
     ○第一回伝承会
       六月一日(木)

     ○第二回伝承会
       七月五日(水)

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
会費・一回五百円

大道芸講習会 今後の予定

●第一五二回目
六月十五日(木)

●第一五三回目
七月二〇日(木)

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
会費・一回五百円

編集雑記
・万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男児と生まれなば 散兵線の花と散る
・聞け万国の労働者  轟き渡るメーデーの  示威者に起る足どりと 未来をつぐる鬨の声
右の二つは同じ曲である。桜(四月)の次はメーデー(五月)と、季節通りで面白が、共に知る人は少なくなった。

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