大道芸通信大145号

パ ノ ラ マ 館

 パノラマとは「ギリシャ語のPan Horama(全ての景色)が語源であり、人間の全視界三六〇度にわたって見える景観のことである」と、穂積和夫氏が述べている通りである。
 従って、パノラマ館とは人間の視界が捉える景観を再現・展示する巨大な円形または多角形建築物のことである。
 臨場感を高め、リアルさを現出するために、建物の内壁全面(=三六〇度)に描かれた絵画(=実際は交換等が容易に出来るよう、別に描いた絵を途切れないように吊し並べた)や室内に実物や模型、人形等を置いていた。

 こんなパノラマ館が日本で最初に開館したのは明治二十三年(一八九〇)五月七日、上野公園で開催された第三回内国勧業博覧会でである。
 当時、欧米諸国の首都には必ずパノラマ館があったが、我が日本には未だ一館もなかった。こんなことでは欧米諸国に対して体裁が悪い。というのが建設の理由である。
博覧会開催の前年明治二十二年七月十七日の東京日日新聞(毎日新聞の前身)は、
「ヂオラマ(=翌日パノラマの誤りであったと訂正)の創設」と題し次のように云う。
《欧米各国の都府にハ必ず其(=パノラマ)設けあらざるなき。彼の歴史の真像を写したるヂオラマ(=パノラマ)ハ未だ其本邦に設置あらざるを以て、明年の大博覧会開設の期に際し、上野公園内に欧米の風を模したる一のヂオラマを創設せんとて、石川弥(東京石炭会社発起総代)、藤井九二、塚本岩三郎の諸氏発起にて兼ねて其の筋へ出願中の処、右は美術教育上、大に参考となるべきものなるに付き、特別の詮議により、上野公園内動物園と教育博物館との間に当たる裏手の地所二百余坪を貸与せらるべき旨、此の程東京府知事より許可せられたるよし》
こうして本邦初のパノラマ館が上野公園に作られることとなった。
 そもそもパノラマは、戦争や大事件など、誰もが関心を持つ出来事を、いち早く伝え知らせるためのものとして発展した。その起源について『パノラマ』(=季刊大林 No.26/1987)は二説あると述べている。
 以下同誌のままを記す。
《ドイツで一九〇四年に出版された建築設計のハンドブックでは、発明者はダンチッヒのBreiging教授としているのに対して、イギリスの辞書では、イギリス人のRobert Barkerが発明したとしている。初興行については、ハンドブックは一七八七年エジンバラでの興行が最初としているのに対して、イギリスの辞書ではRobertによって描かれた一七八九年のロンドンのパノラマが始めとしている。その他一七八七年にロンドンでBarkerが興行したのが最初、Barkerの創案による一七九二年のロンドンのものが最初、一七九三年にエジンバラでBarkerの建築、Pierre Prevost の絵で初興行等の説がある。いずれの説が正しいのか今すぐに確かめるのは難しく、ここでは記述の詳しいハンドブックの説を採って、発明者はダンチッヒのBreiging教授、初興行は一七八七年エジンバラとしておくことにしよう》
 いずれにしても十八世紀末にはじまったパノラマは、一八九五〈明治二十八)年に映画(パリで初公開)が発明されるまでの百年余りが全盛であった。
それだけに、日本初の上野のパノラマは文化的にも先進国に追いつくものとして、大いに期待された。しかしながら如何せん、開館までの時間が足らなかった。
《右(=パノラマ)創設費は、凡そ百万円を要すべき見込みの由なるが、元来欧米に於て此のパノラマの建築構造等は頗る緻密に為し居る程にして、建築上の技術上は固より、絵画の揮毫等に数多の時日を要すべきものなれば、明年の大博覧会開設期までに、完全なるものを創設すること頗る難事のよしにて、其の筋よりも可成的完全のものを設け、欧米人の笑ひを招かざる様にとの忠告もありたれば、発起人諸氏も日本人の独力にて、欧米人に対し恥ずかしからぬパノラマを創設せんとの見込みなれども、如何せん時日切迫し、建築等も石造り或ひは煉瓦等にては迚も明年の間に合はねば、外部だけ煉瓦造りとし内部の構造は木造と為して其の竣工を早める見込みの由》(東京日々/明廿二・七・一八)
 欧米人の目を意識して、せめて外観を石造りか煉瓦造りにしたかったのであろうが、外観も含め全てが木造であった。それでも、当時最高の技術で建設した。だから上野の開館から僅か十五日後(=同年五月二十二日)浅草公園内に開館した「日本パノラマ館」をはじめ、何件も作られたパノラマ館は、皆木造であった。
また上野のパノラマ館内に掲げる絵画は、
《其の筋より…歴史画に限るべき旨を併せて達せられたるよしなれば、近き戊辰の役、或ひは(明治)十年の鹿児島戦争等の真象を写し出すべき見込み》(東京日々/明廿二・七・一八)であった。その結果、「戊辰白川の役、五月二十五日の戦争」に決定した。
また画工主任は、旧工科大学で活人画会の絵画を描いていた矢田虎吉に決まった。
 開館翌日の郵便報知新聞は次のように述べているという(『パノラマ』誌による)。
《昨日より開館したる上野公園清水門なるパノラマは白川戦争の図にして、其の館の高さは凡そ六間(約十・八㍍)。絵は矢田虎吉氏の筆に成り、其の長さ四十間(約七十二㍍)
に及ぶと云ふ》
 こうして我が国パノラマ館第一号となった「上野のパノラマ館」ではあったが、浅草六区・人造富士跡地に開館した「日本パノラマ館」の打撃は大きかった。
 上野が「白川の役」であるのに対し、浅草は仏人画家の手になる「南北戦争」であった。しかも建物の高さは二十間(約三十六㍍)、周囲八十間(約百四十四㍍)と、全てが上野の倍以上であった。
「南北戦争」は、元々桑港のパノラマ館での絵画を購入したものである。購入価格は十万円、これだけで上野のパノラマ館創設資本(五万円)の二倍であった。
 それ故か、六年後の明治二十九年(一八九六)八月十二日に上野桜ヶ岡へ引っ越し、「上野パノラマ館」として再開場した。
 しかし、漸く蔭りの見え始めたパノラマは、十二年後の明治四十一年に上野が、更に二年後の四十三年には浅草が、それぞれ閉館した。


『 日本の放浪芸』(「小澤昭一が訪ねた道の芸・街の芸」CDより採取・翻刻)
阿呆陀羅経
      弘法大師
     市川福治
仏説 阿呆陀羅経 アホダラキョー
 恐れながら すなわちだんだん 手枕やっかい 一芸一座のお定まり
 芝居で三番叟 相撲なら千鳥で 祭文ならば でれんでれんのホラ貝しらべか 阿呆陀羅経というものは 誰がやっても 何べんやっても 同じこと はげた木魚 横ちょに抱えて 親の敵か遺恨のあるか あっち向いちゃすたらぼん こっち向いちゃすたらぼん すたすたすたすた ばかげたお経の文句に間違いないわ
 これがわかいでお笑いならんで(=わからないとお笑いにならんで)何かお笑い垂れてみましょか……
昔々その昔 弘法大師という人が 笑うという字が知りたくて……
 ご思案なされば ある日のこと はるか むこうの片隅に 犬が竹竿被ってやってくる 弘法大師が小膝を打って 笑うという字の名が知れた。
 たけかんむりに犬と書いたら笑うという字に間違いないと 何か犬に褒美をやろと考えついたその時 五徳に足が九本で 犬の足が三本で 五徳に足が四本も勿体ないと 犬に一本とってつけたなら 犬奴は喜びころこび 弘法大師に貰ろうた足に 小便かかったら 勿体ないと 未だに片足もちゃげて 小便するのは間違いないわい マチガイナイワイ………

阿呆陀羅経

仏説 音曲阿呆陀羅経
 アー 恐れながら すなわちだんだん 手枕やっかい
トラク一座が伺いました 諸芸の一座がお定まり 芝居で三番叟か 相撲で千鳥か 祭文ならば でれんでれんのホラ貝しらべか 浮かれ節なら いでことまくら
 阿呆陀羅経というものは はげた木魚 横ちょに抱えか親の敵か遺恨のあるな こっちゃ歩いて来んか すかばかばかばか ばかばかげたお経の文句に間違いない
 アーラ 頃は宝暦元年で 処は確かに難波の土地 北はこめいち 南は島尻 相撲ホリゲの阿弥陀池 元善光寺というトコで 晴天十日の興行相撲
勧進元はこれ誰ならば 難波の土地は 靱の住人その名が靱のセイダイオウ
アーラ 東の席は誰ならば 江戸一番の関取で 稲川七歌じろきちか………

東海道五十三次

東海道は五十三次 あいの宿までいれまして これを恋路文句に例えて申すなら
日本橋を一筋に 好いた男や乗合馬車や 東都の新橋ステエショを後に見て
恋の品川女郎衆に袖引かれ 乗りがけお馬の鈴ヶ森 大森手細工の松茸か 六郷渡れば川崎のまんねん屋 鶴見で かね屋の米饅頭
一つ食べたら保土ヶ谷戸塚や松に藤沢 からみついた私をば ぬし平塚と捨て置いて 行かんすならば どこまでも 私や後から大磯の 灯す蝋燭小田原(=提灯)提げて 箱根八里を越すときは 三島が食わずが沼津でも 原 吉原や蒲原や さった峠を尻目にかけりゃ 興津ころびつ……
 …(この間未詳)……
 草津枕(=二つ枕)で寝物語がしてみたい
 近江八景見物しましょう
北を眺むりゃ百足山 西を眺むりゃ 比叡山から近江甚句を堅田の浮御堂
縞の財布に膳所(=銭)が一文 瀬田の唐橋か これが近江八景というわいな
 石山寺のお鐘がゴッツのあいずで 背生大津で暮らそうか 大津八丁は昔は押し車 山科越えて 目出度く着いたが京都の本願寺

涙経

えー涙教
 えー さてさてさてがなけりゃなかぞらができぬ いせぼり夫婦はひのやまへ
 山を登るは石堂丸よ 丸い卵は切りよで四角 とかく浮き世は色と竹エ
 竹に雀は水戸さんのご紋 ご紋どこいくあぶらけのけけ 高い山から谷底見ればア 見れば練りとこ 貼り薬 薬峠の権現様よ さまよさどがた 猫しゃみ(=三味線)
の皮アア
 じゅうじゅうしんじょ そんなもんじゃ いっぺんもめたらカンジョの貧乏が ききまとろ どんすこどんすこ喧嘩やる 女子の婆さん 向こうのほうから飛んできて おかしゃれ またしゃれ どうやら喧嘩は終んだが 
 二日 三日むっつりして おかかはくそ自棄起こして団子を食う
親父は酒を飲んでくだをまきゃ 親類にはしかられ 他人さんには嗤われ 短気は損気じゃ もうやめましょう


大道芸講習会 今後の予定

●第一五三回目
七月二十日(木)

●第一五四回目
八月二十四日(木)

ONLY・1、No・1を目指す 伝承会 

○第二回 七月五日(水)

○第三回 八月三日(木)


時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
会費・一回五百円

編集雑記
  今度阿呆陀羅経を復活することとなったが、誰も知らない。唯一の資料が「日本の放浪芸」中のCDである。そこで聴いてみたのだが、余りに早すぎてなかなかついて行けない。一度活字に刻さなければどうもならん。
 そう思いついて始めて見たが、思ったより難しい。最初の十回ぐらいは、何を云っているのか見当もつかなかった。 それでも我慢して繰り返し聞いていたら、数えたわけではないが、五十ぺんを超えた頃だろう。何とか聞き取れるようになった。
こうして翻刻したのが、上の阿呆陀羅経等である。所々抜けているのは、CD自体が抜けているのでやむを得ない。いずれ完全盤を探したい。



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この記事へのコメント

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