大道芸通信 第298号

画像画像江戸東京のお稲荷さん

稲荷信仰は、主に①神道系、②仏教系、③民俗的信仰系の三系統がある。
神道系の信仰対象は「ウガノミタマノミコト(宇迦之御魂尊・倉稲魂大神・保食神)」であり、五穀豊穣を司る農耕神だった。これが後に漁村部では漁業神、都市部では商売繁盛や火伏(ひぶせ)の神とも認識され、広く全国へ浸透した。

 総本社である伏見稲荷大社は、元々渡来人・秦氏の氏神であった。遷座したのは、「和銅四年(711)二月の初午の日」と『山城国風土記』逸文にある。平安時代には東寺の鎮守となり真言宗とも結びついた。また秦氏の養蚕・織物商の発展・成功は、伏見稲荷の加護によるものとされ、商売繁盛の神としての礎ともなった。
 仏教系の信仰対象は「ダキニテン(荼枳尼天)」である。荼枳尼天とは、サンスクリット語の「ダーキーニー」を音訳したものである。大黒天に属する夜叉(やしや)神で、半年前から人の死を予知して心臓を食らうと考えられていた。中古以来の日本では、荼枳尼天をキツネの精霊であるとし、稲荷神と同一視するようになる。
 総本寺豊川稲荷・妙厳寺が開山されたのは嘉吉元年(1441)だが、山門の鎮守仏として荼枳尼天を祀った。この荼枳尼天が本尊の千手観音と共に信仰対象になったのが、豊川稲荷の始まりである。とりわけ今川義元や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等、尾張や三河出身の戦国武将の信仰が篤かったため、十八世紀末には仏教系稲荷信仰の総本寺となった。
 民俗的稲荷信仰については、柳田国男が「稲田や田の近くに田の神の斎場として狐塚をつくり、稲荷の祠を勧請した」といっている。実際には田の神だけでなく、土地の神、山の神、屋敷神等とされることも多くある。また、村落と都市では信仰対象の性格も異なる。

 江戸~近代の稲荷信仰

 江戸の稲荷信仰に初午の祝いをすることが多いのは、伏見稲荷の遷座日が初午であったことに由来する。幟を掲げ市中に地口(じぐち)行灯(あんどん)(駄洒落が書かれた行灯)を灯し、大変賑やかであった。明治も初期の頃は、江戸の祭をほぼ踏襲していた。また現在と異なり、子供の祭であったが、夜祭りであった(行灯を灯さない昼祭もあった)。また習いごとを始める日でもあった。
 現在に引き継がれているものに地口行灯がある。行灯は初午に使用する照明でもあった(夜祭だったため)。

  稲荷信仰の目的

稲荷信仰の目的は次のように分類される(但し、現在までに判明分)。
Ⅰ五穀豊穣祈願(農耕神
Ⅱ大漁祈願(漁業神)
Ⅲ商売繁盛祈願(商業神)
Ⅳ屋敷神としての祭祀(家・一族の守り神)
Ⅴ地域の守護神としての祭祀(氏神・町会の祭)
Ⅵ御霊信仰としての祭祀Ⅶ所願成就・特定の御利益を持つ稲荷への願掛け

稲荷信仰各種

Ⅰ屋敷神(大岡越前守下屋敷内)から独立神へ(豊川稲荷東京別院)
Ⅱ建物の守り神・商売繁盛祈願(デパートの屋上稲荷)
Ⅲ地域の守護神としての祭祀(町内で祀る稲荷.。千代田区には三十社ある)
Ⅳ御霊(ごりよう)信仰としての祭祀(非業の死を遂げた偉大な人物の亡霊。菅原道真、平将門等。繁栄お玉稲荷、高尾稲荷等)
Ⅴ諸願成就・特定のご利益を持つ稲荷への願掛け……願いが叶ったらお礼参りが必須(火防=たにし稲荷。腹痛・下半身の病=正木稲荷、疝気稲荷。クジ運=宝禄稲荷等々)

江戸東京の稲荷信仰の特徴

Ⅰ機能の幅の広さ……元々農耕神であったが、宗教宗派を問わない身近さ。武家の信仰が篤かった。ご神体のないものまであり、願望に合わせて選ぶことが出来た
Ⅱ共同祈願ではなく個人祈願(現世利益)……多様な人々の願望に合わせた信仰形態
Ⅲ親しみやすさと恐怖……親しみやすい反面、祟られると怖い。ないがしろにするな

「疝気(せんき)は男の苦しむところ、悋気(りんき)は女の慎むところ」といわれ、落語「疝気の虫」で疝気は知ってはいたが、「疝気稲荷」まであるとは面白い。
 早速行ってみたのが、一頁の写真。 思った通り小ぶりだが、信仰は篤いのか、奉納された幟が何本も立っていた。
また境内に立つ掲示板に、左記のようにあったが、男の病であった事にはまるで触れていないのが気になる。仕方がないので、ネットで見つけた落語を紹介する。立川談志という事である。これを読めば男の病である事がわかるし、落ちが笑えるのである。
《 この付近には以前砂村稲荷神社があり、文化・文政(1804-29)の頃から疝気の病(おもに下腹痛)に霊験のある「砂村の疝気稲荷」として栄えました》 

 落語 疝気の虫

見たことのない虫だなァ、変てこな虫だから殺してしまえ。「助けてください」虫が口を利いたのでビックリした。「お前は何だ!」、「疝気の虫です」、「疝気と言えば、あの・・・男の下の病気のか?」、「そうです」。
「腹の中に虫がいるのか?」、「います。頭痛の虫、癪の虫、歯痛の虫(虫歯)、弱虫、泣き虫、浮気の虫、水虫。それ
ぞれが静かにしていれば良いのですが、動き始めると大変です。浮気の虫が動くと、なんとなくソワソワします。虫
の居所が悪いのは虫のせいで、虫を起こすのは子供だけでなく、大人も虫のせいでイライラしたり、癇癪を起こしたりします」。「どのような時に動くんだ」、「夏の暑い晩に動きます。ムシムシしますから」。
「お前、疝気の虫はいつ動くんだ」、「私たちは蕎麦が来ると嬉しくなって、腹一杯食べて元気になって、そこら中の筋を引っ張るから、人間は痛がるのです」、「では嫌いなものは」、「唐辛子です。ワサビはその時はいやですが、溶けて流れるので大丈夫です。唐辛子はいけません、溶けないので体に着くとそこから腐ってしまいます。だから、その時は逃げて別荘に避難します」。「別荘ってなんだ」、「下の金の袋です」、「それで腫れているか」、「あそこに居る限りどんなことが起こっても大丈夫なんです。じきに唐辛子が無くなると出ていって蕎麦をたらふく食べて、暴れます」。「『ガン』なんてのもあるだろう」、「よくご存じで。でもその嫌いなものは言えません。仲間内のことは言えないんです」。
「おい、疝気の虫。どこ行ったんだ。・・・あ~ぁ~、夢か。疝気を治したいと思っていたから、こんな夢を見たのか」。
 大先生が居ないので書生が代脈で金杉橋まで往診に出かけた。着くとご主人は苦しんでいたので状況を聞くと昼にお蕎麦を食べたという。
「私が治します。治療法を少し変えますから、蕎麦を多めに唐辛子をどんぶり一杯用意してください。蕎麦が来ましたら、奥さんが食べてその匂いをご主人に嗅がしてください」。
 「お蕎麦が来ましたので、食べて良いんですね。私大好きですから、いただきます」。「分かりました。アナタは食べてはいけないので、匂いだけ。はぁ~~」。食べては、はぁ~~を繰り返していた。別荘の疝気の虫は匂いにつられて上がってきたが、どこにも蕎麦はなかった。よく見ると隣の口に蕎麦が流れ込んでいた。虫たちは一・二の三で奥様の口の中に飛び込んで、喜んで蕎麦を食べ始
めた。踊りながら満腹になるまで食べ、力を付けて、そこら中の筋を引っ張った。
 奥様は腹を抱えて苦しみだし、反対にご主人はケロリと治ってしまった。苦しむ奥様に嫌がる唐辛子を飲ませると、騒いでいた疝気の虫たちはビックリして逃げ出した。
「別荘に逃げろ!」、「別荘に逃げろ!」・・・。(別荘はどこにも無かった)。

 疝気と云えば、更に有名なのが、戸塚の大金○である。疝気の虫が陰嚢へ入り込む事によって発症すると信じられていたからである。葛飾北斎も大変興味を持ち、『北斎漫画』に取り入れ二人がかりで運んでいるスケッチを残している。
  大嚢(『北斎漫画』)
 大きさについては『続飛鳥川』が、四斗樽(約72㍑)以上あったと書いている。弥次さん喜多さんも、満室で宿を断られた腹いせもあって次の狂歌を詠んでいる。

  泊めざるは 宿を疝気と知られたり 大金玉の 名ある戸塚に

 云わずとも「せんき(やるきなし)」と「疝気」の掛詞。
『想山聞奇集』は、「戸塚の玉も大きけれど(中略)伊豆の玉には中々及びもなきことと思はる」と、対抗心丸出しで、伊豆の大睾丸について自慢している。伊豆の大金○は、三好想山の知人、海野景山が伊豆に住んでいた頃の隣人であったから、それだけ親しみがあったようだ。
 これらは全て、疝気が男性の病の元だったから成り立つ話しで、「下腹痛に霊験がある」だけでは、何のことやらわからない…と思う。
 また二代目戸塚の大睾丸は、《朝の四ツ(午前十時前後)頃より八ツ半(午後五時前後)頃までは甚だ大きく、それより夕刻になりては、段々と玉を揉み込んで半分程となし、嚢に入れ頸にかけて住所へ帰り、又朝出来りて段々揉み出し、四ツ頃には十分に大きくなせし由》(『想山著聞奇集』)と、
 必要に応じて大きさを調節したと云うから愉快だ。
 更にある時など、紅毛人が大睾丸を見て、
「彼は実に不憫である。水を抜いて治療をしてやろう」と、通辞(=通訳)に云わせたところ、
「気持ちは有難いが、私には何の取柄もない。幸い今は陰嚢のおかげで沢山施しを受け、口腹を安穏に養うことができている。(生活基盤がなくなるので)治療のことはどうかお免(ゆる)し下さい」と鄭重に断ったと云う。
 安政(1854~1860)頃には、上野山下にも大睾丸は出たようである。清水清風は『街の姿』に、法体で伏鉦を叩いている「大金○」を描いている。ただし、こちらは《一種の大瘤にして、一見きん玉の如し》
 と疑問を呈しているが、瘤より睾丸の方が人を引きつける。戸塚をまねたのだろうが法体というのもいい。

 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、日本庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に覚えませんか。練習日は左記の通りです。
●第二九六回目 一月十一日(水(すい))

●第二九七回目 二月八日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人のために、学習会や伝承会も行っています。
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
早いものでもう師走。今年最後の通信である。何とか面白いものをと思ったが、早々ネタがあるわけではない。半分は新ネタだが、後は旧版の焼き直しだから、旧い読者の中には気付く人もいるだろう。わかっちゃいたが、外に思いつかんかった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック