大道芸通信 第303号

画像画像字 直 し の 曲 画

 明治三十三年(1900)頃の夜店に出ていた商売である。夜店に限らず出ていたのかも知れないが、『風俗画報』の編者?が見たのは夜店であったと書いている。当時も外にいなかったが、それ以降現在までもいないと思える。
 方法としてはこうだ。お客に筆を渡して、何でもいい、好きな字を書かせる。すると、その字を核にして絵に仕立て上げるというものである。先ずは取材者の原稿と出来上がった作品とを原文のまま載せる。

老少群集する大道に座し、五色の砂を以て種々の画を作り、又は一本の筆を口にし、足にし、大小自在に書く者あるは、世の人皆よく知る所なるが、近頃見たる一種の曲画師は、余り未だ諸方に見ざる者ゆへ、一つ諸君に御話し申さん。こは客をして文字を書かしめ、即座に是を画に直すなるが、実に自在を極めし者たり。余、或夜の縁日にて、ふと是を見かけしまま、一つ何をかな試して見んと、不取敢手に持し花を思ひつき□□□□□を草書にて書き見せし処、さして考へもせず直ちに筆取り、是を布袋の形にしたる。其頓才実に感すべし。即ち上の如くなり。昔の文人など見たらんには随分虞書新誌にも入る類ならんに、世にはかかる技を懐いて空く道路に老る者、猶此他にも多きなるべし。 

大道所見 飛入生
番外 支那人の行商


内地雑居以来の新現象の一つに算えてもよからう。表題の通り豚尾漠先生の行商である。一台の人力車に、大きな風呂敷包みを積み重ねて、本邦人に相違ない一人の車夫に挽かせながら、自分は麦稈帽(むぎわらぼう)に蝙蝠傘(こうもりがさ)を翳(か)ざして、この炎天に汗だくだくで徒歩(ある)いて居る。軒別(ねんべつ)に御用を聞くので『御免なさい』と訪れて『今日(こんにち)は』も猫撫声である。『品物はいかがです。支那縮緬(しなちりめん)、紋緞子(もんどんす)、繭紬、(けんちゆう)種々(いろいろ)あります』なんかんていふので、謝絶(ことは)れば温順(すなを)に『左様なら』と帰って行く。喰はせものもあるとのことで、滅多に購ふ人も見かけないが、東京市中にまあ、どの位入り込んで居るのであらうか.本郷即ち我輩の方などは、一日の中に異(かは)った顔で、三人位は屹度来る。

大道所見 高橋柯亭
其の七 軍装の売薬行商


帽、服、靴、背嚢、悉く兵士の扮装をして夜は灯燈で以上に準したのを携へて、薬の行商を試みる者がある。で彼は軍歌に仕組んだ効能を、尤も不調子に呼んで行まくのである。これは北清事件の天津落城前後の人気へ当て込んだといふが、今は員数も多く成った処を見ると、割合に利益があるといふことが判断されるのである。
(『風俗画報』第218号)

『風俗画報』第216、218号が発行された明治三十三年(1900)は、義和団事件(1899~1900)を列強が鎮圧した北清事変(1900)が起きた年である。これより以前、日清戦争(1894~95)後、大陸から清国人が大量に来日するようになった。支那人というのは東シナ海のようにCHINA部分を音読みし、そこみ居住する人たちのことである。藩政時代から使われている言葉。「喰わせもの」とは、インチキ、如何様なもの。昔も今も連中は変わらんなあと思う。
 軍装で著名なのは「おいちにの薬売り」だが、こういうのもあったことを初めて知った。「おいちに」が将校服であったのに比べると、随分劣る。しかし、出現したのは装備も簡単だからこちらの方が先のようである。それだけに儲かったのであろう。員数も増えている。しかし、「おいちに」の方は、記録は多いが商売としての旨みは余り長続きしなかったようである。どこも数年で消えている。

其の八 奇なる火屋売

僕が最近の或縁日で見受けたのであるが頗る面白い。普通製の火屋を沢山に並べて一個の若者が這中の火屋を右手に採って、而かも勢ひよく振上げて彼れは石油の空箱を目標として丁々発矢と例の火屋を打付けるのである。そして彼れは駭い(おどろ )て見て、居る者に向って堅牢無比の特製といふことを恰かも見世物の口上的に喋々と説明するのである。何れ仕掛けのあるべきこととは思はれるが、彼れが奇抜の販売法に感心して買う人が可成りあるようだ。 (『風俗画報』第221号)
 右の話に出る「火屋(ほや)」は、ランプの火を覆うガラス製のカバーのこと。手前にある。

蟇仙人

近頃蟇仙人(がませんにん)と称せられし奇人東京に来り、本郷座其他にて、奇術を演じ衆人をして驚嘆せしめたり。抑も此蟇仙人といへるは、宮城県刈田郡小原村大字下戸沢(しもとざは)のものにて、片田源七(67)と称し、炭焼の傍ら農業を営み、山奥の生活をなし居れる者なるが、其の説く所に拠れば、去る(明治)三十五年一月十八日、同村の材木(ざいもく)岩といへる処より二里の山奥に入り、弊衣跣足の一行者に遇ひ、源七は携へし弁当の半を与ふ。行者は喜びて何事か低語し、姿は掻き消す如く霧の間に隠れしかと思へば、再び忽然として、又も低声に何事をか教ふるものの如きも、源七は解する能はずして我家に帰りしが、爾来物品の重きを感ぜず。我ながら不思議の怪力を得たと思ひ、夫れより石を以て頭部を叩くも更に感覚なく、益々不可思議の事多く、殊に熱湯にて足を入れるも火傷(やけど)せず、刃の(やいば )上を渡り創傷しても、熱湯に入れなば即座に平癒なすなど、いよいよ不思議なことのみあるに、源七は精神的凡人離れがして来たり。食物までも木の実なぞを好むに至り、村人も之を見聞し、誰いふとなく蟇仙人と呼ぶに至れり。村内に病人あれば、源七出掛け行き、熱湯にて摩拭して平癒せしむる一種の神秘力を有すと。先頃、仙台市北材木町の中側平左衛門といふ人が、源七を訪問し、目前に奇行を見て一驚し、広く世人に見せむと、源七をつれ仙台に帰り、同市の劇場に開演したるに、割るる計りの大入を占めし事ありしが、今回は専ら心理学の研究に資せむが為め東京に伴ひ来り。先づ新聞記者を招きて、其不思議なる奇術を示したり。実に湯火も此の仙人をば害するを得ず。刀刃も又傷くる能はず。心理学者も一見驚嘆して、其の理由を研究中なるなし。 (『風俗画報』第399号・明治42年8月5日)


江戸の物売りと大道芸

 
去る三月十八日(土)、通算八回目となる江東区深川江戸資料館主催の「江戸の物売りと大道芸」へ、今回も出演しました。
 午前十一時半から行った第一回目は百五十名、十四時からの第二回目は百八十名の観客がありました。
 今回は地下鉄の広報誌にも掲載されたから、もっと増えると思いましたが、飽きられたのか、期待した程伸びませんでした。
 今後の参考にするためもあってアンケートを取りました処、全部で八通でした。この数字も、これまでに比し、桁違いの少なさです。

○来館者年齢
 50代 1
 60代 4
 70代 2
不明 1

○来館者性別
 男性        4
女性        3
 不明        1

○居住地
 江東区内      4
 都内        3
 他府県       1

○催しを知った方法(複数可)
 ポスター      2
 江東区報      1
 カルチャーナビ   1

 ホームページ     1
 出演者        1
 その他        3
○公演内容
 よかった       8
普通         0
 よくなかった     0

○印象に残った演目(複数可。 2通以下は省略)
・物売り
 とんがらし売り    6
 大原女        4
 金魚売り      4
 あさり売り     3
・大道芸
 女霊媒師      7
 虚無僧流し      5

○今後について
 ぜひ来たい      6
 わからない      1
 来ない        0

○ご意見要望等
・すばらしい45分間でした
・今回取り上げた物売り以 外の物売りをお願いします
・金魚売りの声を聞いたのは、60年近く前でした。懐かしかったです。これからも深川江戸資料館で続けて欲しいです
・もっともっと技を磨いて下さい。地獄極楽は長すぎた。もっと短いのでは。聴いていて疲れる。
・虚無僧の尺八をもっと

大道芸の会会員募集
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、日本庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に覚えませんか。定例の練習日は左記の通りです。
●第三〇〇回目 五月十日(水(すい))

●第三〇一回目 六月十四日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人のために、学習会や伝承会も行っています。
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
  深川江戸資料館主催・春秋彼岸の恒例行事、「江戸の物売りと大道芸」も、マンネリ化へ向かい始めたようである。資料館の人が観客に聞いていたが、三分の二は初めての人だった。リピーターが少ないのは、大変な危機である。毎回目先を変えてはいるが、観客には同じに見えるらしい。
 これまでは江戸にこだわっていた演目も、もっと柔軟に対応しなければいけない時期が来たようである。それが絶滅危惧種、日本の大道芸を伝承する唯一の道だ。

     

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