大道芸通信 第305号

画像画像街頭蓄音機

 音声の記録媒体である蓄音機は、トーマス・エジソンによって発明された。一八七七年(明治十)のことである。円筒式のレコードを使用する円筒型蓄音機(錫箔円筒式)である。 その後一八八七年(明治二十)には、ドイツから米国に移民した、エミール・ベルリナーが円盤式レコードと蓄音機を発明、特許申請した。そのためだろうか、円筒式レコードも姿を消すことなく、暫くは並行輸入されていたようである。街頭蓄音機は円筒式レコードによる記録が多い。

 錫箔円筒式はまもなく蝋管(ろうかん)円筒式レコードに換わるが、舶来高級品である。資産階級しか持つ事は出来なかった。
 しかし、庶民も思いの外早くレコードを聴いていた。縁日や盛り場で、一曲一、二銭で聴かせる「街頭蓄音機」というのがあったからである。お金を払うと、医者が使う聴診器のようなゴム管を貸して貰え、それを耳に当てて蓄音機の音を聴くようになっていた。『風俗画報』第216号掲載のものは、本誌302号で挿絵と共に紹介済みであるが、街頭蓄音機証言のため本文を再録する。

《一個の書生上がりらしい男が、蓄音機を前にして、咳一咳の後ち、半漢半俗といふ一種彼れ独創の口調で、蓄音機の巧妙なることを説いて而ふして、彼れ自ら聴音機を一方の耳朶に付して、名妓の端歌とか、名優の声色とかを僅か一銭で聴かせるのである。これは已に五六年前から見掛けるが、始終同位置の曲でないので、今も職人又は小僧抔の手合いに歓迎されて居る様である》(『風俗画報』第216号=明治三十三年九月発行)

 また『筑豊炭坑絵物語』は次のように記す。

《一回三、四分間位を大(たい)まい(枚)弐銭也を奮発して(イヤホンを)耳に挟んでいた。(中略)五厘切符一枚では、聴者は医師の聴診器形黒色ゴム管を耳に当て、佐賀の梅吉の米山甚句など首を傾けてきいていた。
 初めは人よせに喇叭を嵌め(取り付け)発声する(拡声器代わりに道行く人へ聞かせ、興味を持たせるため)が、音が太い(大きい)斗りできき
とりにくかった。明治三十二、三年頃。(以下略)》(『筑豊炭坑絵物語』山本作兵衞(1892~1984)著)

『筑豊炭坑絵物語』が「発音機(街頭蓄音器)」の出現を東京と同じ、明治三十二、三年(1899~1900)頃と書くのは、著者の記憶違いの可能性もあるが、公式輸入時期についても再考すべきであろう。何故と云うに、七、八歳頃の記憶は、置かれた状況や周りの環境と照らし合わせて判断することが多いから案外正確である。明快な時期を示さないものの『演歌師の生活』は、大正初期まで街頭蓄音機が行われたことを記している。

《蓄音器による音を大衆が聴けたのは蝋管によってである。これは縁日や盛り場に出たが、箱の中で円筒型の蝋管がまわる、箱の外側には医者の聴診器のようにゴム管がたくさん出ていて、それを耳にはさむと、音が聞こえてくる。レコード片面分を一銭で聞かせた。これは大正に入ってからもやっていた》
(『演歌師の生活』添田知道(1902~1980)著)

 だが、このゴム管を耳に挟む行為を不潔と考えた人もいた。作家であり物理学者でもあった寺田寅彦大先生(明治十一年=1878~昭和十年=1935)である。

《大道蓄音機が文化の福音を片田舎に広めた事は疑いもないが、同時にあの耳にはさむ管の端が耳の病気を伝播させはしなかったかと心配する。今ならばフォルマリンか何かで消毒するだろうが、あのころそういう衛生上の注意
が行き届いていたかどうか疑わしい。しかし今日でも文化の輸入伝播に付いて来る種
々な害毒がかなり激烈で、しかもそれを防ぐ事ができないのであるから、耳の病気ぐらいはやむを得ない事であったかもしれない》 (「蓄音機」大正十一年四月『東京朝日新聞』)

 いやはや抗菌族の元祖みたいな人である。先に紹介した『筑豊炭坑絵物語』では「発音機」と題し、珍しがって、最初は物言う機械と呼んでいたようだ。しかし子供の小遣いでは聴くことができないほど高いものであった。

《一回、三~五分ぐらい。金二銭也を払った人だけがゴム管を受け取り、医者が使う聴診器よろしく耳に当てていたという。子供の小遣いは平均五厘(りん)、しかも炭鉱内でのみ通用する切符であった》  (『筑豊炭坑絵物語』)


淡路島通ふ千鳥の
恋 の 辻 占

幼気(いたいけ)な女の子が提灯に火を点(とも)し、
「あわじしまア かようちどりのヲ こいのつじうらア」
 と唄いながら夜の色町を流し歩く姿は如何にも哀れである。それがまた酔客の同情を誘い、辻占がよく売れたという。児童福祉などという考えのない昔は、生まれたばかりの赤ん坊さえ、「この子のおっぱいが出ないんです 哀れな乞食にお恵みをヲ」と商売に使っていたぐらいである。然も自分の子ではなく日貸しから一日なんぼで借りた子だという。しかも丸々と太ってかわいらしい子より、痩せこけた貧相な子のほうが借り賃が高かったという。だから五歳にもなれば立派に一人前。一晩中稼がせたのである。
そんな辻占売りの現れる色町の客のやりとりを小咄風に纏めた記事を見つけたので紹介する(『誌名』を記録するのを失念。何れ確認予定だが、今ではない)

  御容貌(ごきりよう)
おすましね○「都々逸は御順だ。斯(こう)大将、君の版だぜ」△「よしきた。と、雨の降る日と日の暮方は東京も田舎も同じ事」
女「ほんとにいいお声ね。さもう一つ」
△「都々逸は野暮でもやりくりや上手、今朝も七つ屋でほめられた。ははははは時に唐琴屋の若旦那、貴公も一つ何かお唄ひなすっては」
若旦那「いいえとんでもない。私は唄ができませんので」
○「いむや、左様は言はせません、何時ぞや、柳橋から船を出して、簾下ろしてよい声の主は、確かに、若旦那……」
若旦那「とんでもない。私の声でとても唄へるものぢゃありません。何卒(どうぞ)御勘弁を」と酔ってゐる面々は頻りに迫る。若旦那途方に暮れてゐ
る。ああこんな時には、あ
の情婦(いろ)の米八が居てくれれ相な子のほうが借り賃が高かったという。だから五歳にもなれば立派に一人前。一晩中稼がせたのである。
そんな辻占売りの現れる色町の客のやりとりを小咄風に纏めた記事を見つけたので紹介する(『誌名』を記録するのを失念。何れ確認予定だが、今ではない)

  御容貌(ごきりよう)
おすましね○「都々逸は御順だ。斯(こう)大将、君の版だぜ」△「よしきた。と、雨の降る日と日の暮方は東京も田舎も同じ事」
女「ほんとにいいお声ね。さもう一つ」
△「都々逸は野暮でもやりくりや上手、今朝も七つ屋でほめられた。ははははは時に唐琴屋の若旦那、貴公も一つ何かお唄ひなすっては」
若旦那「いいえとんでもない。私は唄ができませんので」
○「いむや、左様は言はせません、何時ぞや、柳橋から船を出して、簾下ろしてよい声の主は、確かに、若旦那……」
若旦那「とんでもない。私の声でとても唄へるものぢゃありません。何卒(どうぞ)御勘弁を」と酔ってゐる面々は頻りに迫る。若旦那途方に暮れてゐ
る。ああこんな時には、あ
の情婦(いろ)の米八が居てくれれ男「言やなしないけれど、左様じゃないかと思ってさ。気に障ったら堪忍しておくれよ。」
と、重ねて差す盃、他へは散らじの相酌の仲よさ。
女「どうせ私に旦那のあるは、気郎に知れてゐます…….私だってここへ来ましたからには旦那なんぞ波動でも介(かま)はない……承知の上よ」(以下略)

 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、日本庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に覚えませんか。練習日は左記の通りです。
●第三〇二回目 七月十二日(水(すい))

●第三〇三回目 八月九日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人のために、学習会や伝承会も行っています。
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
  今月は元来梅雨の時期だが、気温は既に真夏である。それでも海水浴に行こうと思わんだけ、心は正常かも知れん。なにが?

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