大道芸通信 第306号

画像画像  樟脳船(しようのうぶね)の元祖 
 紙 製 の 遊 魚

 紙製の遊魚は、水にたらした油が拡散する力を推進力に利用した玩具である。後には樟脳を推進力としたセルロイド製の船(樟脳船)に換わられる玩具の、最初期のものが、この紙製の遊魚である。明治期の『風俗画報』に紹介されたものを原文のまま紹介する。

 紙製の遊魚 画報生

紙製の魚をして水面に泳がしむるは、簡易の奇戯なりといふべし。先づ通常の西洋紙を切りて、図の如き魚形を作り、水を満たしたる細長き水盤に浮はしむ。但魚形の表面は決して水に浸すべからず。
さて之を遊泳せしむるの術は、容易なるものにて、魚腹に設けたる円き穴、即ち「イ」の処に一二滴の油を注ぐべし。かかれば其の油は水面に拡がらむと「イ」より「ロ」に至る細き道を伝ふて外部に出づ。魚は其の反動力に因りて、自然と前方に進行し始ること妙なり。

◎樟脳船とは、昭和三十年代(一九五五~六四)頃まであった。セルロイド(プラスチックに似ているが、燃えやすいため使われなくなった)で出来た指先ほどの大きさの船。笹船のように下にベロが出る。ベロと船本体との間に樟脳を挟むと、上の油同様、樟脳が拡がる勢いで船が前へ進んだ。

 燐寸の曲芸 同上

何の不思議もなければ、巧手もなし。甲図の如く、一本の燐寸を枕木に置きて、左右より交互に、蜈蚣(むかで)の足のやうに幾本も組み合せつ、其の漸く組み了るや、更に背部に一本渡し木を施して、下なる枕木の一端を把持し、徐に之を挙ぐれば、乙図の如く、一本を遺さずして、組みたる燐寸を悉く支ふることを得べし。而してより以上を支へむとならば、渡し木を又枕木として、幾層となく、前述の方法にて堆積すべし。此の如くにして燐寸一箱を傾け尽すも、只下層の枕木一本にて之を支ふるに足るべし。道ふまでもなく、応用理学にて重心を支ふるものなれば、其の之を組み立つるの際、左右之を平均にし、一本を隔つる毎に必ず平行ならむを要す。しかり決して難しきものならねば、婦女子が畳の上にて之を弄するに適すべく、酔余の茶話の座敷には、趣味ある遊戯といふべし。
  (以上『風俗画報』)

 遠月堂の似顔絵辻占

この遠月堂緑谷と云ふ菓子屋は、浅草見附外で御維新後、明治五六年頃まで盛んにやってゐましたが、どういふ訳か店を止めて灸点屋になりました。菓子屋が灸点屋になるなぞは、傘が助六になって釣り鐘が弁慶になる浅草土産にもない変り方です。
馬喰町の方から浅草橋を渡って東側、角から四五軒目の屋根に、達磨が灸をおろして居る家がそれで、矢張り遠月堂と云ってをります。
此家(ここ)が菓子屋時代に売り出しました「役者似顔辻占せんべい」は江戸名物の一つとして名高かったもので、彼吉原細見に擬した、嘉永六年(1853)出版の「当代全盛江戸高名細見」の菓子屋の部に山形として、又元治元年(1864)出版の同じ型で云った「さいせい記」の末尾、江戸高名の部に遠月堂の辻占せんべいと巻頭にでてをります。形はお手遊煎餅位の一枚を、両方から合せて。丈(たけ)二寸五分の幅一寸五分位の本の形にして、これへ別図の似顔辻占[彩色七遍摺]を折って挟み込んであります。画は亀戸豊国で、後には芳幾が画きました(参照として出したのは後の方です)。尚別図にある商牌は上は彩色七遍摺、下は藍摺、未だ外に異った図のを二三見受けました。ここの別れが神田和泉橋通り鴻野屋の筋向こふにありまして、此家でも同じ様にこのせんべいを売って居りました。只今の京楽堂が其跡です。なにしろ豊国が御贔屓の役者を書いたと云ふ所からして、当時の花柳界は勿論、町屋の娘達、さては奥女中等に非常に歓迎されて、銀釵(ぎんかん)の足で一寸つまみ出して、ヲヤ八代目、と懐中鑑の間へ丁寧に蔵ふものがあるかと思ふと、アラ冠十郎とは、にくいノーと、無惨に引き破いて捨てるなぞ、当時の状態がこの一枚に異った図のを二三見受けました。ここの別れが神田和泉橋通り鴻野屋の筋向こふにありまして、此家でも同じ様にこのせんべいを売って居りました。只今の京楽堂が其跡です。なにしろ豊国が御贔屓の役者を書いたと云ふ所からして、当時の花柳界は勿論、町屋の娘達、さては奥女中等に非常に歓迎されて、銀釵(ぎんかん)の足で一寸つまみ出して、ヲヤ八代目、と懐中鑑の間へ丁寧に蔵ふものがあるかと思ふと、アラ冠十郎とは、にくいノーと、無惨に引き破いて捨てるなぞ、当時の状態がこの一枚居たかも知れません。
以上三軒の似顔画辻占の時代は、遠月堂が弘化当たりから、梅花亭と清真堂が安政か若しくは文久頃から、何れも明治初年頃に至って中絶をしたのです。
それからズーッとお話が飛んで「此所十八年相立ち申候」と幕外へ下がらうと云ふ段取りなんですが、あの久松座が千歳座と改称して、明治十八年二月八日に開場式を挙げました。それと同時に座の裏通り、紋三郎稲荷を抜けた角に、翠月堂と云ふ菓子屋が出来て、ここから「新狂言絵入辻占せんべい」と銘をうって売り出しました。形は遠月堂に略(ほぼ)似て少し長めでした。この似顔を描いたのは、今現存してをらるる、梅堂国政(ばいどうくにまさ)翁です。しかし此翠月堂も千歳座消失後、麻布辺へ引き移って、煎餅形屋なったと云ふ事で、ここに至って江戸名物の似顔辻占煎餅も、其の跡を絶った訳ですが、梅花亭は今尚盛んですから、昔の縁でここの家で再興して売り出したら、なつかしい江戸の気分を、煎餅と共に味はふ事が出来ると云ふものです。(『浮世絵』1・大正四年六月五日発行)
●歌川芳幾:國芳門下。月岡芳年の兄弟子。後、錦絵新聞や絵入新聞で活躍。

 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、日本庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に覚えませんか。練習日は左記の通りです。
●第三〇三回目 八月九日(水(すい))

●第三〇四回目 九月十三日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人のために、学習会や伝承会も行っています。
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
今年も半分を過ぎてだいぶ経つ。九月の深江戸イベント「江戸の物売りと大道芸」まで二ヶ月に迫った。しかし未だシナリオは出来ていないし出演者も確定していない。
 こんなに悩んだことは、これまでにないが、九月の結果が今後を占う正念場になるであろうことは推察できる。このままだと、出演者も見物者も飽きてきた。わくわく感がないイベントは、やがて消滅する。今後は範囲も拡げて、日本の大道芸の伝承活動を続けたい。


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