大道芸通信 第308号

画像画像ヴァイオリン演歌 楽四季一生


ヴァイオリン演歌とは、明治の末期から大正、昭和の初めにかけて大流行した音楽で、ヴァイオリンの弾き語りである。演歌師という今で言うストリートミュージシャンが、街角に立って自己流にヴァイオリンを鳴らしながら流行りの唄を唄い、唄の本を売って商売にしていた。

  歴史と変遷

自由民権運動の「壮士節」から始まった演歌は、日露戦争のあと地方から東京の学校へ「遊学」しようと上京した苦学生のアルバイトになり、「書生節」と言われるようになる。しかしそのまま職業として続ける堕落生や新たに商売として始める者もいて、「演歌屋」と呼ばれるようになる。
それにつれて壮士の唄う硬派の唄から、その時のニュース、話題になった事を唄い、ザラ紙に刷った歌詞を売るという唄の新聞みたいな形になっていく。この頃は著作権という考え方がなく、一つの唄が流行ると同じメロディーで替歌や編曲をして唄うという事も多かった。
 明治末、神長瞭月がヴァイオリンを唄の伴奏に使うようになる。これが当たりヴァイオリンを持つ者が増えていく。彼らは女たちに大変モテた。それをいいことに悪さをしたりして、演歌屋は不良と世間にみられるようになる。そこで添田唖蝉坊を中心に大正七年(1918)演歌の組合「青年親交会」が作られ、会員の親睦、技能の向上等演歌の刷新を目指した。そして「読売業」として警視庁許可を取ることに成功した。
 この頃から浅草オペラ、中山晋平の劇中歌などの影響を受けながら、洋楽的でオリジナルな唄を作る者も増えていった。そして「演歌師」または「艶歌師」とも呼ばれるようになる。大正七、八年頃から女連れの演歌師も増えて来た。女連れの方が実入りが良かったという。この頃唄本は一部二十銭ということである。
 昭和に入ると、ラジオ、レコードの普及により、演歌師という職業はすたれはじめる。替わりに誕生したのが、夜の酒場を移動しながら唄う「流し」である。同時に古賀メロディーなどが流行し、ヴァイオリンはギター、アコーディオンに替わった。二、三 人で組ん
でやるようになり、客の注文で歌謡曲、オペラ、シャンソン、なんでもこなす「町の楽師」となっていく。その後カラオケの普及と共にそれも姿を消していった。



  演歌とは何か

 演歌の「演」は演説の「演」である。演歌が生まれたのは、明治二十年頃。当時盛んだった自由民権運動の産物である。
 鳴鳴館時代が終わろうとする頃、板垣退助等の自由民権運動の演説会は政府の弾圧により、あちこちで叩き潰されていた。そこで苦肉の策として街角に立ち、演説を唄にして七五調で唄ったのが始めである。
 当時唄っていた者は民権論者の壮士と呼ばれた人たちでした。彼らは、志を抱く潔い若者と世間に認められていた。それで彼らの唄う唄は壮士節と愛称された。その第一号は「ダイナマイト節」である。

♪ ダイナマイト節

民権論者の 涙の雨で みがき上げたる 大(や)和(まと)肝(きも)
コクリミンプクゾウシンシテ(国利民福増進して) ミンリョク キュウヨウセ(民力 休養せ)  もしも成らなきゃ ダイナマイトどん

 これを編笠をかぶり、弊衣に高下駄、げんこつをふりまわしてドラ声を張り上げ、唄本をふりかざし「賛成の諸君は、活発に持って行きたまえ」という調子だった。
 それでも一部一銭で結構売れたし、金のない人にはタダでやってもいた。
 そんな「ダイナマイト節」に遅れること数年、川上音二郎が唄って一世を風靡したのが、当世のラップ調の名曲「オッペケペー節」である。

権利幸福嫌いな人に自由湯(じゆうとう)をば飲ませたい オッペケペッポーペッポッポー
かたい裃角( かみしも )取れてマンテルズボンに人力車 粋な束髪ボンネット 
貴女に紳士の出で立ちで うわべの飾りはよいけれど 政治の思想が欠乏だ
天地の心理がわからない 心に自由の種をまけ オッペケペー オッペケペー オッペケペッポーペッポッポー

(ひと言余計。光田)
 川上音二郎の声が入っていないのが残念だが、川上音二郎一座が、一九〇〇年(明治三十三)のパリ万博へ出演するために渡欧した際、「オッペケペー節」をレコードへ吹き込んでいた。そのレコードを都家都六さんらの働きかけによってCDに復刻された(1998年一月十九日朝日夕刊)。そのときのCDを小生も持っているが、歌詞も曲節も今とはまるで違う。ラップではなく、小唄とか俗謡というのだろうか。きわめて日本的な唄の類である。

川上音二郎(1864~1911)と 貞奴(1871~1946)

○ 川上音二郎 
 明治二十一年(1888)、大阪で落語家をしていた音二郎は高座で、陣羽織に後鉢巻、日の丸の扇子をかかげた出でたちで唄い大評判になった。その後、壮士芝居を旗揚げし東京に進出。明治二十七年、葭町の芸者だった貞奴と結婚。明治三十三年(1900)、七月四日から十一月三日までパリ万国博覧会の会場にて公演。ハラキリ物と貞奴の日本舞踊が大評判。フランス政府から勲章までもらう。 
 歌舞伎(旧派)に対して、明治以後の新演劇全体が「新派」と呼ばれた時代、「新派の祖」と呼ばれた音二郎はその後も、ニュースの脚本や文芸物、西洋戯曲の翻案物の上演そして、海外公演、劇場経営、女優の育成など大いに活躍した。音二郎(上)と貞奴

  書生節

 日露戦争(明37~38年)が終わった頃から、東京の学校で勉強しようという「遊学」という風潮が全国的に広まった。しかしお金のない家の若者は働きながらの勉強である。それを「苦学生」と言った。彼らのアルバイトは新聞、牛乳の配達、納豆や豆腐売りなどであったが中でも人気があったのが演歌だった。夕方からの少しの時間で、ある程度金になり通学にも都合がよかった。
演歌苦学生が増えたことから、「壮士節」は廃れ、「書生節」と呼ばれるようになった。演歌で学資を稼ぎ世に出て行った者もあったが、苦学生くずれの堕落生となってそのまま商売として続ける者も多かった。そんな商売としての演歌を「演歌屋」と呼ぶようになっていく。

 ♪スカラーソング(学生節) (滝廉太郎作曲 「箱根八里」の替歌)

金こそ無けれ天下の士 断食するもモノならず 一銭ありゃ焼いも 二銭ありゃアンパン
前歯でかじり後方(しりえ)に探る 雲か山か踏み破る お腹は鞭声しくしく 土よりも真っ黒な
木綿の破れ衣(ぎぬ) 小倉の白袴は 垢でなめらか 一厘に買うや買わずの  薄っぺらなる薩摩下駄
 帝都に旅する  豪気な書生は 大道は狭しと肩で風切り 下宿屋の四畳半じゃ 天下を論じる
  かくこそあるなり 二十世紀の芋書生

  添田唖蝉坊  添田さつき(知道)
   
唖蝉坊(あぜんぼう)(平吉)(1872~1944)は演歌師の中心的な指導者。
明治五年大磯生まれ。日雇いの仕事をしていた十八歳の時に聞いた壮士節に感動、演歌師になる。社会的、ジャーナリスト的な唄を多数作り、唄った。不知山人と号した時もあった。
 明治四十三年から関東大震災までは東京下谷の当時のスラム街に住み、社会運動的な唄を多く作った。明治二十五年の「壇ノ浦」という唄から昭和五年の「生活戦線異状あり」まで作った唄、一八二曲。
    
  ♪作った主な唄

♪ストライキ節(東雲節)♪ラッパ節 ♪あゝ金の世♪あゝわからない ♪むらさき節 ♪マックロ節
♪のんき節 ♪金金節他

♪のんき節

貧乏でこそあれ 日本人はエライ それに第一辛抱強い 天井知らずに物価があがっても
湯なり粥なり すすって生きている アノンキだね

一九六〇年代後半頃から、高石ともや、高田渡、加川良らフォークシンガーが好んで唖蝉坊の唄を唄った。

添田さつき(知道)(1902~ 1980)添田唖蝉坊の息子

 大正七年、十六歳の時、救世軍の街頭宣伝に使っていた軍歌に、歌詞をつけた「東京節」(パイノパイ)を作り評判になり、演歌師になる。
 のちに小説「教育者」で、新潮文芸賞。「演歌の明治大正史」で毎日出版文化賞。
昭和四十一年光文社より『日本春歌考』出版。この題名で大島渚監督により映画化。

  東京節        (ジョージアマーチ替歌)
 
東京の中枢は丸の内  日比谷公園 両議院 いきな構えの帝劇に  いかめし館は(やかた ) 警視庁
諸官省ズラリ馬場先門 海上ビルディング東京駅 ポッポと出る汽車 どこへ行く
ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ パリコトパナナデ フライ フライ フライ

 ♪作った主な唄
♪大震災の唄 ♪復興節 ♪ストトン節 ♪思い出した 等  (つづく)

○お喋りのお知らせ
左記の通りお喋りし ますので、ぜひ聞きに 来て下さい。誰でも可
演題 大名屋敷の松飾り
日時 九月二十二日(金) 午後六時~八時
場所 高輪区民センター 3F会議室 地下鉄白銀高輪 下車1番出口真上
主催 風俗史学会近代史

大道芸の会会員募集
 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、日本庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に覚えませんか。練習日は左記の通りです。
●第三〇五回目 十月十一日(水(すい))

●第三〇六回目 十一月八日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人のために、学習会や伝承会も行っています。
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
最後のヴァイオリン演歌師と言われた桜井敏雄氏から直接手ほどきを受けた楽四季一生氏から、ヴァイオリン演歌資料を送ってきた。コンパクトにまと待っていて面白い。それで本人の了承を得て、今号から適宜本誌で連載することにした。乞ご期待。
お話替わって、今月二十二日(金)午後六時からお喋りをすることになった。どなたでもお出でください。

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