大道芸通信 第311号

画像画像或る大道商人の足跡

 先日、沖縄県在住で八十歳を過ぎたNさんから手紙を戴いた。 明治三十六年(1903)生まれの亡父が、十代後半から二十代半ばにかけて、京、大坂、時には関東にまで足を伸ばして寺社の縁日等で商売をしていた。その頃の名簿だと思えるものを持っているが、要るなら送ると云われ送って貰ったものの一部をコピーしたのが、左記である。

縁日で商売していたのなら、香具師(テキ屋)だろう。そう見当をつけたら、果たしてそうであった。
 最初に書かれた井上庄次郎が一家を構え、二代目として高橋亀寿が後を継いだ際の名簿である。拠点も、岡山から鹿児島へ移したようである。
二枚目は「高橋亀寿の兄弟分」の名簿。九州四国に加え、日本統治時代の京城市(ママ)(府の誤り=現ソウル特別市)、神戸京都から山形県鶴岡市までいたようである。
 つづく三枚目は、玉島一家の「クリ付兄弟分」。ここには、岡山県玉島西町 井上正太郎一家二代目親分と
して高橋亀寿の名前が冒頭にある。「クリ付」とは業界用語らしく、未だに意味がわからない。ご存じの方は是非ともご一報ください。
 本人は鹿児島へ移っても、岡山には番頭を置いて守っていたのであろう。ただ、次男系の名であった庄次郎が、長男的な名前の庄太郎に変わっている。考えられることは、二代目は鹿児島へ移っても心は岡山ですよ。ここでの長男は、初代(井上庄次郎)という意味かと思う。
最後は、「高橋亀寿の若い者」。これにも九州各地に加え朝鮮鎮南保、岡山までいたようである。
 以上のものは、井上庄次郎一家と直接でなくとも、何らかのつながりがありそうである。しかし、葉(よう)(頁)を改めて書かれた五枚目は、交流のある全国組織の支部名のようである。

冒頭の「三階松一家」は、明治に始まる老舗テキ屋団体である。テキ屋は元来「香具師(やし)」と呼ばれていた露天商団体が、明治五年(1872)七月八日に布告された『太政官布告』により禁止された為生まれた言葉である。

従来香具師ト唱ヘ来候名目自今被廃止候事
 但銘々商売ノ儀ハ可為 勝手事

 香具師自体は禁止されたが、「商売の儀は勝手たるべきこと」であったため、新たな組織として生まれたのが、適(当)屋であり、テキ屋である。実際には、香具師からテキ屋定着までどれ位かかったか、「テキ屋」の初出時期が未詳のため、今後の課題である。
 三階松一家を紹介したYouTubeに次のようにある。
「明治から昭和初期にかけては、テキヤが本来の家業である露店を出しての商売に励んでいた時代だった。それは後に大親分と呼ばれる者達も例外ではなく、皆、元は一介の商人だった」
これを読む限り、当初は太政官布告を忠実に守っていたようである。これが代わり始めたのは、日露戦争の折、それまで自由販売であった煙草が政府専売となったことから、民間の煙草を露店で売りさばいたのが、三階松三代目の長男と幼な馴染みであった飯島源次郎という。彼は当初三階松の若い者(子分)であったが、後に飯島一家を起こす。三番目にある飯島一家である。
長井一家というのは、佐世保市に拠点を置き興行界を仕切っていた篭寅一家系合田会・合田幸一会長の舎弟分となった長井末広が結成した。結成されたのは、戦後の昭和二十四年(1949)頃である。
合田一家は、篭寅組をルーツとする合田組が、昭和四十三年から名乗り始めたとされる。篭寅組は保良浅之助(1883~1975)が結成した下関市に本社を置く会社組織であった。従って保良は親分ではなく社長と呼ばれた。同時に下関市会議員であり、商工会議所会員でもあった。後には衆議院議員(政友会)となった。
 篭寅組は建設業や興行界を取仕切っていた。建設業としては、あろうことか、旧下関水上警察署を始め公共建築も多く手がけた。興行界も仕切ったことから全国的に知られていた。
それ故、昭和二十三年頃、舎弟となっていた合田幸一が篭寅組を継ぐこととなった際、恐れ多いとして代紋は引継いだものの、組名は名乗らず合田組としたものである。

ヴァイオリン演歌④ 楽四季一生

石田一松と桜井敏雄

○石田一松(1902~1956)
 広島県出身。法政大学在学中、授業料を稼ぐため演歌師になる。のちに吉本興業に所属。
 唖蝉坊が作ったのんき節の替え歌「のんきな父さん」シリーズを洋服姿で唄い、一世を風靡した。
 昭和五年、「酋長の娘」を作詞作曲、大流行した。
 戦後、国会議員になり、「芸能人代議士」と呼ばれた。 昼は国会、夜は寄席に立って活躍したが、昭和三十一年死去。

♪酋長の娘 石田一松

 わたしのラバさん  酋長の娘
色は黒いが  南洋じゃ美人    
赤道直下  マーシャル群島
 ヤシの木蔭で  テクテク踊る

○桜井敏雄(1909~1996)
 東京三ノ輪生れ 平成八年八十七歳で死去
石田一松の弟子。現役の演歌師として平成まで唄い、最後の演歌師と言われた。
 大正十三年石田一松の弟子になり、演歌を始める。
 弟子として、のちに作曲家となった上原げんと、流行歌手の岡晴夫がいる。
 晩年は、小沢昭一、なぎら健壱らとも一緒に活動した。
           
演歌師たちの唄った唄
○明治 ダイナマイト節・改良節・ヤッツケロ節・オッペケペー節・欣舞節・愉快節・ほうかい節・拳骨節・士気の唄・元気節・汽車の旅・小川少尉の唄・都の四季・ストライキ節・ロシャコイ節・戦友・ノルマントン号沈没
の唄・ラッパ節・あゝ金の世・松の声・あきらめ節・当世字引唄・あゝわからない・不如帰・夜半の追憶・袖しぐれ・ゼーゼー節・残月一声・ハイカラ節・ドンドン節・白菊の唄・スカラーソング・バンカラソング・月岡花子・思い草・間がいいソング・七里浜の哀歌・金色夜叉の唄・デカンショ節・むらさき節・あゝ無情・ワンダーワールド

○大正 乃木将軍の唄・新ドンドン節・奈良丸くずし・まっくろけ節・一かけ節・お前とならば・都節・現代節・カチューシャの唄・ホットイテ節・青島節・新磯節・ばらの唄・ゴンドラの唄・千葉心中・ダンチョネ節・ヨカッタネ節・ブラブラ節・豆粕の唄・あゝ踏切番・さすらいの唄・解放節・のんき節・新深川節・デモクラシー節・松井須磨子の唄・新金色夜叉の唄・東京節・涙の手記・新トンヤレ節・平和節・やなぎ節・みどり節・新馬鹿の唄・インディアン・ソング・呪いの五萬円・鴨緑江節・ジンジロゲの唄・ピエロの唄・船頭小唄・貧乏小唄・のんだ小唄・赤い唇・労働問題の唄・調査節・タマランソング・フレーソング
・白蓮夫人の唄・お国節
流浪の旅・馬賊の唄・虱の旅・大震災の唄・被服廠の哀歌・復興節・籠の鳥・明石情話・金金節
・ストトン節・赤いばら・ヴェニスの舟唄・恋慕小唄・職業婦人の唄・すたれもの・思い出した
昭和(~五年) 月は無情・朝鮮守備の唄・私の商売・春の夢・男の恨み・ハートソング・ヨサホイ節
アパッシュの唄・春のなごり・横浜小唄・生活戦線異状あり・酋長の娘・思い直して頂戴など

その他の演歌師たち
 久田鬼石 横江鉄石 
 殿江酔郷 吉田於兎
 鈴木市郎 島田一郎
 中丸貞蔵 江口源十郎
倉持愚禅 北山直一
小島白露 小越与紫郎
田賀英明 浦福次郎
加納勝清 高橋須磨男
渋谷かく 高木青葉
秋月四郎 塩原鉄峯
植中文春 秋山楓谷・静子
坂下信月 渡辺善治 
関口愛治 富張貫十郎
石母田寧五郎 小林幽汀
松本夢香 石川曲峰
武石一羊 中島孤舟
伊東友治郎 竹石夢村
長尾吟月 花沢渓泉
桂孤月 宇野勝 
横尾晩秋 山本安之
野村虎民 渋谷白涙
後藤重雄 入江幸次郎
松山国雄 楠本義郎 
新島襄之助 江沢基之
小木曾綱次郎 斎藤松声 中野真一 清水黙洞 
安田俊三 小林暁風 
吉原〆治 寺井金春 
香川雅治 野口岩男 
辻善市 大崎雄声 
阿部清 本間源 
東冨士郎 田浦美津路
太田操 金子潔

◆資料 
●甦るオッペケペー 1900年パリ万博の川上一座 CD 東芝EMI●※新派のあけぼの ー川上音二郎・貞奴の足跡ー(H8)国立劇場資料展示室●※街角のうた 書生節の世界 CD 大道楽レコード●※明治・大正のはやり唄 CD DENON●※添田唖蝉坊・知道著作集 全五巻 別巻一 刀水書房
●民権を謳った演歌師二代、放浪と反骨の民衆詩人●演歌師の生活 添田知道 雄山閣●「はやり歌」の考古学―開国から戦後復興まで 倉田嘉弘 文春新書●「カチューシャ可愛や」中山晋平物語 山本茂実 大月書店●演歌に生きた男たち その栄光と挫折の時代 今西英造 中公文庫●明治・大正期の演歌における洋楽受容 権藤敦子●風俗史考証 ヴァイオリン演歌小史 光田憲雄

 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、日本庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三〇七回目 一月十七日(水(すい))

●第三〇八回目 二月十四日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

編集雑記
元大締(おおじめ)・藤本康夫氏が逝去された。本紙98号から102号まで五回にわたり「大締半生記」を、210号から241号まで二十六回にわたり「大締一代記」を掲載。一時出版の話もあり、本人も大乗気であったが、諸般の事情により果たせなかった。それが心残りだ。



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