大道芸通信 第331号

   猿(さる)曳(びき)(猿廻し)と猿(さる)飼(かい)

猿は昔から馬の神様である事はこれまでにも何度か書いた。だから武家社会では、厩の悪魔払いや疫病除けの祈祷に猿を使った。また初春の祝福芸を司るものとして、(御)所や高家(今でいう上級国民の棲む家)への出入りも許されていた。今猶京都(御)所の築地の東北隅軒下には、「神猿(まさる)」がいて(御)所の鬼門を守っている。写真を撮ろうと近づいただけで敵愾心を持つ。「近づくな」と大声で吼える。

「たかが写真を撮るために近寄っただけなのに、何でそんなことをいわれんといけん」と思うのは、小生が下級国民だからだろうか。上級国民から見れば、そんな所へ近づくだけで立派な不審者なのだろう。そうは思うが、珍しいことに興味が湧くのは下級国民の性(さが)である。
 大事なものであることは推察できても、確認出来るまではそれがなんであるか断定できない。大変な思いをして撮った写真でも、何であるのかわからなければ意味はない。本紙の読者の中でちゃんとした写真が撮れた人は是非とも送って欲しい。すぐにでも一面に掲載したいから。
何れにしても今は猿であることを信じて話を進める。 実際の軒下は金網で囲われており、どんなに目をこらしても何かあるのはわかっても、網の中のそれが猿であることの確認は出来なかった。
 以前にも書いたが、知らない読者のために重複をいとわずもう一度書くと左記のようである。
抑も猿を神の使いとして祀るようになったのは、比叡山の神様・日吉大神(ひよしのおおかみ)の使いが猿だからである。何故「猿」かと云われても困るが、「稲荷の狐」「天神の牛」「春日の鹿」「熊野の烏」同様、昔からそう決まっているとしか答えようがない。
 日吉大神を別名「山王権現」と称すようになったのは天台宗の開祖・最澄が云い出したからである。
 伝教大師最澄は、唐の「天台山国清寺」で修行し、日本へ天台宗を伝えたことはよく知られている。その国清寺の守護神として「山(さん)王(のう)元弼真君(げんひつしんくん)」を祀ってあった。
 それを真似て、「日吉大神」を「延暦寺」の守護神に決めたのが最澄である。以来「日吉大神」を「山王権現」とも呼ぶようになった。「権現」とは、本(ほん)地(じ)垂(すい)迹(じやく)説(せつ)に基づき、日本の神は仏が仮装(ばけ)た姿(権現)とするもの。従って、「日吉大神」の別称「山王権現」の使いも当然猿であり、「神猿(まさる)」と尊称されるようになった。京都(御)所の東北角を守る神猿もここから出ている。
「魔去る」や「勝る」に通じるとされ、「魔除」や「必勝」利益があるとされたからである。だから今も京都(御)所の東北の隅を「猿が辻」と呼び、築地の屋根下で鬼門を守っているのである。
 そんな歴史を持つ猿飼(猿廻し)だが、後に芸能部分が独立、大道芸として演ずるものが現れるようになった。
 江戸時代には弾左衛門が支配する二十八座(職種)のうちに「猿曳(さるひき)」がある。但し、芸能系は後に「乞胸(ごうむね)」配下に移されるが、「猿飼」は弾左衛門支配のまま残された。芸能ではなく宗教的行事と見做されたからである。反面、「猿曳」も後々まで残り、「猿廻し」の名称と共に、使われ続けた。
 そこで、「猿飼」と「猿曳・猿廻し」は、同じか否かを検証してみる。
 最後まで弾左衛門直轄であった猿飼には、頭と(かしら )して滝口長大夫と小川門太夫の二名がいた。この両名は猿飼の長であったが、猿廻しも含めた全部の長であったのかなかったのか、現在の処未詳であるが、どうやら違うようである。
 猿飼については大正時代になってからだが、両名のうち小川門太夫が、『風俗研究』五十七号(大正十四)に回顧談を載せている。タイトルは「猿まわしの系図」である。曰く。
我々猿飼の家は十二軒しかなかったもので、此の十二軒が、正五九月の三度に将軍家のお厩祓を務め、更に御三家御三卿の屋敷、並びに諸大名や旗本の屋敷へも出入りし、 それぞれ頂戴物が沢山ありましたから、年中生計に不自由したことはありませんでした。(「猿まわしの系図」
    『風俗研究』)
 将軍家の猿舞は、正月、五月、九月の三ヶ月に行われるのを慣例とし、「三齋月(さんさいがつ)」または「正(しよう)五九月(ごくがつ)」と云った。「三齋月」とは、天帝が人界にやってきて、人事考課をおこない、その評価によって、年々の吉凶が決まるとされた三ヶ月(正五九月)のことである。
 通常、清廉潔白な人などいないから、減罪法や招福除災法が考えられるようになった。これが「法会(ほうえ)」である。今も続く東大寺の「修正会(しゆうしようえ)(お水取り)」は、三齋月のうち、正月(一月)に行う法会の意味である。処がインドの正月は日本では二月に当たるとされたことから二月に行われ「修二会(しゆにえ)」と呼ばれるように変化した。
 将軍家等で行われた三齋月の猿舞もその一例である。「齋」とは「物忌(ものいみ)」のこと。将軍家以下三家、三卿の順に進み、旗本に辿り着くまでには数ヶ月を要したとのことである。 祓料は将軍家一回につき、「七十九石八升扶持」及び猿の餌代として、「米十俵、豆三俵」を与えられた。加えて三家、三卿、大名、旗本と沢山の貰い物が、年に三回ずつあったが、十二軒で分ければいい。「生計に不自由したことはありません」と豪語したのも宜(むべ)なるかなである。
『江戸府内 絵本江戸風俗往来』の「猿舞(さるまわし)」が記す「猿舞」(さるまわし )は、「猿曳き(猿廻し)」ではなく「猿飼」の方である。
○猿舞は(さるまはし ) 正月の乗合船には欠くべからず。又、(英)一蝶風の絵に多し。衣服二様あり。何れが古色なるを知らず。羽織袴 の姿あり、万歳に従ふ才蔵の如くなるあり。年々御出入りの大名、旗本の馬ある屋敷には必ず参る。町屋には稀なり。武家方へ出るや、御殿のお召しに応ずるあり。また御厩ばかりにて御暇給はるもあり。猿の芸尽くしも正月の興には可笑(おか)しくて賑はし。(『江戸府内     絵本風俗往来』)
 右を意訳すると、次のようである。
 猿廻しは正月にはなくてはならない風景である。英一蝶風の絵に多く描かれているが、衣服が二種類ある。羽織袴姿と万歳の才蔵に似た姿である。何れも厩の(うまや )ある大名や旗本の屋敷へは必ず行くが、町屋へは滅多に行かない。
 祓いが終わった後は、呼ばれて猿の芸を披露することもあれば、厩の祓いだけで帰ることもある。猿の芸を色々見るのも正月の賑わいであり楽しみである。
絵に描いたような正月風景だが、「町屋には稀なり」とあるように、右の猿舞が行くのは、厩のある大名屋敷や旗本屋敷であって、町屋や大道ではない。僅か十二軒で、将軍以下三家、三卿、大名、旗本を廻るのである。町屋に出る暇がないことも頷ける。一般の人が「猿廻し」に対して抱いているイメージと異なることは間違いないようである。
 風俗画が描く猿の芸を見せて、投げ銭を貰う「猿廻し」とは全く別物であったことがこの一文でも知れる。
右図は『吾妻余波(あずまのなごり)』が載せる「猿廻し」であるが、演じている場所は室内である。大名家に呼ばれ、祓いが終わった後で呼ばれて芸を披露している姿であろう。
そうすると、風俗画などに屡々描かれている猿廻しは何だったのであろうか。それについても門太夫は述べる。
 毎年春になると市中をめぐる猿廻しですか。全然我々の仲間とは違った連中で、別のものであります。男許(ばか)りとか、女迄が野猿を背負って、家々を巡って居りますが、彼の連中が大勢来るやうになりましたのは、もう二十年にもなりませうが、あれは皆、山口県の百姓だそうですが、夫々(それぞれ)親分があって、それに連れられて東京に稼ぎに来るので、一月には市中を廻り、二月になると、月遅れの正月をする田舎を巡り、それから旧正月をする地方を歩いて、五月時分百姓の仕事が忙しくなる頃迄に、それぞれ国へ帰って行くさうであります。 (「猿まわしの系図」
     『風俗研究』)
春になると市中に顕れる猿廻しは、自分たち猿飼とはまるで関係ないと言い切っている。その上で、明治も半ばを過ぎた頃から、農閑期の百姓が出稼ぎに現れるようになったものである。と少々馬鹿にした様な物言いをしている。
 しかし、猿曳(猿廻し)は、明治に生まれたものではない。藩政時代の方が盛んであった様子は、絵画や挿絵に沢山残されている。山口県の猿廻しは、最後迄残った(現在も盛んに行われている「周防猿廻し」及び「日光猿軍団」なども、ここから派生したものである)とは思うが、明治以前の方が盛んであった。
 その事に全く触れないまま無視した態度は不遜である。今後検証の余地が十分ある。
 また『江戸府内 絵本風俗往来』が述べる「衣服二様あり」「羽織袴の姿あり、万歳に従ふ才蔵の如くなるあり」は、何れも正装である。だから、厩の(うまや )ある大名や旗本の屋敷へは必ず行くが、厩のない町屋へは滅多に行かないのである。

お喋りのお知らせ

左記の通りお喋りしますので ご用途お急ぎである方ない方も共に お出で下さい(無料)

演題 大変身した伊勢神宮
明治の造り替え
日時 六月二十八日(金) 一八時~二〇時
場所 港区高輪区民センター・三階会議室
    (地下鉄白銀高輪駅一番出口真上)
      主催  日本風俗史学会近代史分科会


 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を共に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三二七回目 七月十日(水(すい))

●第三二八回目 八月十四日(水(すい))予定

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリーワン、ナンバーワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
今月が過ぎれば丁度一年の半分が終わる。振り返ってみると、日々忙しい思いはしている。しかし、何一つし終えた実感がないから情けない。もう少しゆっくり落ち着いて取りかかりたいと思いながら、いつも何かに追われている。ばたばた目の前のことをかたづけるだけで一日が終わってしまう。先延ばししている訳ではないが、結果としてそうなる。本紙も漸く今日(十二日)仕上げた。嗚呼!

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