大道芸通信 第343号

大道芸通信第343-①号.jpg大道芸通信第343-②号.jpg『教訓善悪小僧揃』

『教訓善悪小僧』は歌川国芳晩年の作品である。国会図書館デジタルコレクションを最初から読込んでいたら行き当たった。半丁(一頁)が上下二段になっているので、色々な絵を楽しめる。中でも気になったのが飴細工である。現在のガラス細工同様、節(ふし)を抜いた細竹の端に熱した飴を巻き付け反対側の端から息を吹きこんで鳥などの作品を作っている。恰もガラス職人がパイプの先に溶けたガラスを巻き付け、反対から息を吹きこみながら整形するのと同じ方法である。
昭和三十年(1956)代までは藩政時代と同じ方法であった。そんな飴細工も高度成長期に入ると、今ほどではないが衛生観念も発達し、「得体の知れん男の息のかかった飴細工など、不潔過ぎて可愛い我が子の口に入れるなどとんでもない」と思われるようになり、みるみる姿を消した。
これが復活するのは、一九七〇年(昭和四十五)代に入ってからである。 それまでのように息を吹きこんで形作るのではなく、今見るように、新粉細工みたいに成型する方法になっていた。つまり材料に新粉を使えば新粉細工、飴を使えば飴細工というようになったのである。その結果飴の塊のようになった。
元々飴細工は中空で薄く作られていたので、囓ると簡単に粉々になり口いっぱいに甘味が拡がった。ところが今のものはぼてっとしているので歯にひっつくばかりで難儀をする。 食べずにおく者が増えたのも当然である。

◎らお(う)やと大根売り

続く絵は「らお(う)や」と「大根売り」である。らおとは煙管(きせる)の「雁(がん)首(くび)」と「吸(すい)口(くち)」を繋ぐ間の「竹」の事である。元々ラオス産の竹を使ったから「ラオ竹」と呼ぶべきだと云う人もあるが、検証したわけではない。らおでもらうでも構わない。
 最近キセルといえば、電車の運賃を誤魔化すことをいうが、これの語源が煙管である。 つまり、最初の一区間(雁首)分を買い、降りるときは定期券か何か(吸口)を使って、真ん中の区間(らおだけ部分)を誤魔化すことである。最も最近はパスモやスイカなど電子定期券になったから、以前に比べ余程やりにくいだろうが。
「大根売り」と「野菜売り」の違いは、大根売りの方が一回あたりの時間が短い。それというのも、漬物や沢庵にするため、予め決められた店なり問屋なりへ配達するだけだからである。そのかわり配達回数は多いかも知れない。
「野菜売り」は振り声を上げながら市内を巡り、不特定多数の人たちへ惣菜として販売するわけだから、朝から晩まで一日がかりが前提である。だから時に休憩するための「息(いき)杖(づえ)」を持っているのが普通である。
振り声(売り声)は、例えば「だいこにごんぼう なすびにまったけー」と呼ぶ。大根ではなく「だいこ」であるのは「ん」だと語尾が聞き取りにくいし伸びないからである。そのかわり「ゴボウ」へ持って行き「ごんぼう」とやるのである。これもそういった方が響きも良く発音しやすいことを経験から学んだのであろう。
「なすび」を「なす」と呼ぶのは今でも東京方言である。だから縁起言葉「一富士二鷹三茄子」もなすびなのである。まt一日中声を上げ続ける野菜売りにとっても、その方がいいやすいのでさいごまでのこったのである。松茸も「まったけ」
とした方がアクセントになるからである。
 結論から言えば、「たかが売り声 されど売り声」である。これの善し悪しで売り上げが違うから必死に考えられたのが売り声である。

◎金魚売り
 奥は休憩中、手前は金魚が売れたところである(入れ物に移したところ)。金魚売りもまた代表的な振り売りである。豆腐売りと並んで難しいもの。何故というに余り揺さぶると金魚は鼻打って死ぬし豆腐は崩れるからである。従って振り声もゆっくりと上げる。
「金魚をえーきんぎょおー 金魚をえー めだかー」
「とおふぃー がんーもどき」 桶も腰を使ってなるべく揺れないように歩くのである。 なお、棒手振(ぼてふり)とは天秤棒を担ぐ振り売りのことである。

 ◎ガチャガチャたばこと 是斉(定斉)屋
振り声の変わりに薬箪笥の鐶をガチャガチャ鳴らしながら歩くことによって客に知らせる姿は是斎(ぜさい)(定斉(じよさい))屋の専売特許みたいに思われている。その通りなのだが、是斎(定斉)以前に、たばこ売りが同じ方法で売り歩いていたことを知る人は少ない。
 そのことを知るのもまた知識を増やす。検証のため『我衣』の記事を見る。
貞享年中(1684~88)迄刻多葉粉見世売りばかりにて世利売りなし。葉煙草を調え手前にて刻む也。然れども若き女中などの類は、脂深きを嫌い、刻みたばこやにて、色合い黄なる和かなるを整うのみたり。
元禄年中(1688~1704)より 刻みたばこ世利売り出る。箱図の如し
其の後元文年中(1736~41)
神田鍋町に叶屋と云う刻みたばこや出る。十余人切り子を抱え、かつぎ荷六七荷出す。江戸中を売り弘めたり。此の時より担ぎ荷始まる。
夫より宝永年中(1704~11)に至って世利箱丁寧に致す(『婀衣』)
 宝永の方が元文より前だが、一番襲いように書いてある。年中改元したから、少し旧くなると間違えたか?
何れにしろ 当時の世利箱の図は左記の通り(抽斗の大きさはほぼ同じだが、倍率が異なるため違って見えるが、見る人が心の中で調整して欲しい)
宝暦年中(1751~6)になると、全ての刻み煙草屋は「担い箱」になった(左図)。
(右図の抽斗それぞれの高さは、前二者と同じぐらい)

     刻(きざみ)たばこ
 ふすま売り →
  梅(むめ)干(ぼし)うり (『盲文画話』)
◎ 油元結  地張煙管売『盲文画話』)

近頃まで紅、白粉、油、元結、楊子、歯みがき類背負箱に入て、風呂敷にて背負、元結油と呼て売来る。びん付油などは代料ほどづつ、剃刀にて切て売る。此の商売明和迄は美男かづらを荷箱の上に乗せて来る。その頃迄はびなんかづらにて髪結者もありし。所々の香具店の看板の上にも、此かづら一二把出し有しが、はや昔となりたり。
◎地張煙管売
是も昔より近き頃迄、背負荷にて売来りしが、近年すきと止て、らうのすげ替のみに成たり。

◎刻み煙草売
小箪笥程なる曳出しの多く付たる箱に、きざみたばこ種々入て、箱の後の鐶へ手拭抔通し、片々の肩へ掛て後へ荷(かつ)ぎ、刻み多葉粉はよふよふと呼て売る。買手あれば腰より 秤を出し、目分量に多葉粉をつまみ出し、秤に懸て五匁、七匁と売る。抽斗の鐶多き故、途中ではたはたと鳴りて、遠くより来たるも知れしなり。是も享和(1801~04)頃迄にて、今はなし。

◎ 梅(むめ)干売(ぼしうり)ふすま売
朝々十二三歳迄の童、五升入の梅干桶を二つ三つ重ね、縄にて釣るし、「梅(むめ)干し梅干し」と売来る。又かます、或は箱などへ、麦の曳殻の皮を、「ふすまふすま」と売し。何も(いづれ )男童(おのこら)の商ふ事なりしが、同じ頃迄にて、今は倶に不(み)見(へず)。

◎鞠の小六
小六と呼て薬商人、鞠の上手なりとか。鞠の曲芸には種々目を驚かし、竹篠にても鞠を自由にする事、鞠に生あるが如し。 人物賤しからざる老人。是も宝暦(1751~64)頃まで名高かりしが、 没後此の跡を継ぎ商人なし。

大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三四一回目 七月八日(水(すい))
●第三四二回目 七月二十二日(水(すい))
●第三四三回目 八月二十六日(水(すい))予定
時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)
 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
本日は三ヶ月ぶりに顔を合わせての練習日である。定例は先週であったが、コロナ休みが続いていたので急遽変更したのである。九月には深江戸のイベントも再開される積もりで、準備をしておかねばならない。従って来月は二回、八月はお盆を避けざるを得ないが、成果によっては更に増やす事も考えるのでよろしく。



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