大道芸通信 第344号

大道芸通信第344-①号.jpg大道芸通信第344号ー②.jpg
思い入れや俗説を廃し 逐一原典を確認
斯界の要望に応える必携の一冊
『日本大道芸事典』遂に刊行
著者 光田 憲雄
装幀 B五判二段組+上段に挿絵
版元 岩田書院
定価 二万二千円 + 税

あらゆる芸能の原点でありながら、ワシントン条約は言わずもがな、芸能史からも全く無視され続けてきた絶滅危惧種「日本の大道芸」。そんな大道芸が絶滅する前に「せめて正確な歴史や記録を纏めておこう」。そう決めて『日本大道芸事典』の編纂に取りかかったのが七年前。漸く皆さんの手に取って貰えるようになった。ただ歳月の長さと大量の資史料を要したため販売価格が上がり、個人がおいそれと求められる価格ではない。手元に置きたい人や本紙の読者は、お近くの図書館の蔵書へ加えるよう 働きかけて欲しい。
 私が大道芸と関わりを持つようになって早半世紀。記録・伝承・復活のために「日本大道芸・大道芸の会」を立ち上げてからでも四半世紀が過ぎた。その間に大道芸人は次々と鬼籍に入り、周りが随分寂しくなった。
 このままでは大道芸を知る人はいなくなってしまう。数百年に亘り伝えられてきた啖呵口上も忘れ去られて芸を知る人はいなくなってしまう。書き残すなら今しかない。そんな危機感が『事典』作成の原動力になった。
これ迄書き溜めてきた本紙『大道芸通信』も大いに参考にした。と云うより、本紙があったからこそ完成する事が出来たのである。
 今回、改めて原文書全てに目を通したかったが、諸般の事情により叶わなかったものも多く、本紙へ記載したままを転載したものも、少なからずある。
加之(しかのみならず)まだまだ書き残した事や書き足らない事も多い。気付いたことや訂正すべき事項は、都度本紙に掲載するつもりである。或いは読者諸氏からの指摘や疑問も出てくるだろう。
 そういうことには誠意を持って応えるつもりであるから、どしどし指摘して貰いたい。私が生きている限り、間に合わなかったら、あの世で閻魔さんに頼んででも、つづきを書かせて貰うから、どうぞ安心して下さい。
 書き足らんことはこれからも本紙で書き続ける。読者諸氏も知りたいことがあれば積極的に質問して貰いたい。
 それでは早速、書き足らんかったことの補足を書こうと思う。まずは「ろくろ首」について補足する。

◎ろくろ首
 ろくろ首といえば大抵の人は首が伸びたり縮んだりするものだと思っている。その通りなのだが、それ以外にも首が離れて自在に飛び回るものもある。 昔ばなしに出てくるろくろ首は、こちらの方が多いくらいである。『諸国百物語』(延宝五年〔1677〕刊) 巻之二「三ゑちごの国府中ろくろ首の事」が載せる「ろくろ首」もまたこれである。

右図は『諸国百物語』の挿し絵だが、左側で脇差しを振り上げている男の足下で、ニヤニヤ笑いながら転がっているのが「ろくろ首」である。 更に『妖怪百物語絵巻』が載せる左図の「ろくろ首」も、矢張り首が離れるろくろ首である。 首が離れるろくろ首の特徴というか弱点は、首が離れている間に衣装毎(ごと)体を動かされたら元へ戻れなくなる。だから首が離れるときは、周りに誰もいないことを確認して離れるのである。

◎三井寺へ行こう
弁慶の「引きずり鐘伝説」を受けての商売である。だから正しくは、「三井寺へ行こう」ではなく、「三井寺へいのう(帰ろう)である。」しかし関東に「いぬる(帰る)」という言葉がないため、音の似た「行こう」にしたのである。
『街の姿』に次のようにある。
《大きなる張子のつり鐘を背負、紙にて作りし鎧を着し、弁慶の法師姿にぎ(擬)して戸毎に立て、三井寺へ行ふ。ごんごんといふて、銭を貰ふ乞食也》(『街の姿』)
釣り鐘も着ている鎧も全てが紙細工なのである。大変な労力と費用も掛かっただろう、最終的に採算が合ったのだろうか、と心配するのは小生だけか。

『日本大道芸事典』を見て戴ければわかると思うが、「よくこんなこと思いつたなあ」「こんなんまで商売にしたのか、なったのか」など感心することばかりである。しかも紹介できたのは一握りで、ほかにもまだ百や二百はある。
 事典に書ききれなかったのは本紙で紹介を続けるから。苫(とま)舟(ぶね)に乗った気で、ヒヤヒヤしながら待って欲しい。

◎お七(ひち)が菩(ぼ)提(だい)
 お七が菩提を載せる『只今御笑草』は、歌舞伎作者・二代目瀬川如皐(じよこう)が著したものである。瀬川如皐は江戸生まれ江戸育ちだが、当初上方で上方歌舞伎を学んだようで、上方言葉や言い回しを多用している。とりわけ『只今御笑草』は上方言葉のオンパレードである。ここに出てくるお七も「八百屋お七(しち)」ではなく、「自分の娘のお七(ひち)」の名前である。 或人が言うには、この人は元々大船の船長だったが、難破して一人だけ助かった。そこで色々な乗組員である水夫の名前を唱えて供養しているのである。それでも本郷付近の人たちは、八百屋お七と解釈し、米銭を沢山与えたことである。
本事典で原文を引用した「小僧と盲目」(208頁)も「ひつこふいふな(しつこういうな)」と今なら共通語で「し」と書く言葉を、上方的表現の「ひ」と書いている程です。そういえば今でも時代劇では「主も悪よのう」に限らず、上方的表現をすることが圧倒的である。
 上方的表現といえば、現在色々姦し(かしま )く騒がれる「ら抜き言葉」も、元々意味が違う。例えば「食べれる」と「食べられる」を見てみよう。「まだ食べれる」を含め、自分が主体的に関わる。対して「食べられる」は、宮澤賢治の「注文の多い料理店」同様、相手から「自分が食べられる」と云うのがが元来の意味である。
 東京新聞夕刊に連載されている「このことば クセモノ!」に、「食べれる」を使っている地域の話を書いていた。それによると今でも「食べれる」を使っている地域分けがしてあった。それによると使っているのは「北海道」「東北北部」「西日本各地」「中部地方」だそうである。東北北部は何処から先をいうのか知らないが、使われていない地域を探してみた。結果は、「関東地方と南東北」だけである。であるなら、「関東地方と東北南部を除く全ての地域」とすべきである。
それなのに持って回った言い方をしたのは、使い分けの出来ない、していない東京中心の傲慢さである。ほかにも、豆粒の入っている「ぜんざい」と、豆をひいて粉にした「汁粉」。生魚の入った「膾(なます)」と三種類の野菜を使った「三杯漬」抔、言いだしたら切りがない。
 元々全国からの寄せ集まりを発祥とする首都東京は、いち早く共通語に慣れさせるために語彙が少ない。その少なさを正当化するのが、「ら抜き言葉攻撃」である。「ひち」か「しち」か、から随分話が逸れた。逸れたついでにいうと、最近はどちらの言い方も避けて、「なな」ということが増えた。

 ◎枕の曲
 枕の曲は枕返しともいわれ、木(き)枕(まくら)で色々曲芸をするものである。昨今では木箱三個を放したり挟んだりする芸が似ているが、技術的には枕の方が数が多い(九個+α)だけに難しい。上の絵は『絵本御伽品鏡』(享保十五年=1730刊)から。左図は宝永(1704~11)頃のものだというが、正確な書名は不明である(解説には『枕返し絵番付』とあるが辿り着かない)。
 寛永年間(1624~44)に大陸から京都へ伝わったとされる。
これが江戸へ伝えられるのは次の正保年間(1644~48)とされるから、案外早い。
『和漢三才図会』「弄丸」に、《一種弄枕あり木枕十個を以て竪に相重ねて之を捧ぐ 恰も一柱の如し 中に好む所の枕を抜き去る 数次皆然り 数品の弄枕有り》
枕を十個重ねると一本の棒のようになる。その中から好きな枕を一つ抜き出すことも出来る。之を繰り返す内に抜き取られた枕がたまるので、之を今度は弄丸同様お手玉のように投げるる。これを弄枕という。

 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三四一回目 七月二十二日(水(すい))
●第三四二回目 八月二十六日(水(すい))
●第三四三回目 九月二日(水(すい))予定
●第三四四回目 九月九日(水(すい))予定
時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

☆江戸の物売りと大道芸☆
 場所 深川江戸資料館
 時間 午前十一時三〇
  午後 二時〇〇

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)
 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
大道芸事典を無事出すことが出来て、漸く肩の荷が下りた。書き足らなかったことや補修は、本紙上で書き続けるが、一応の区切りはついた。 あとは芸の伝承者を育てる事に…。




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