大道芸通信 第347号

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熊本市 本覚山 浄国寺蔵
   松本喜三郎作生人形 谷汲観音像

生(いき)(活)人形の最高傑作「谷汲観音像」は、喜三郎の菩提寺「曹洞宗 浄国寺」にある。拙著『日本大道芸事典』のカバー絵に左記写真を使わせていただいたが、その外の資料については紙面の都合上、未利用のままであった。
折角送っていただいたのに使わないのは、折角の行為に対して失礼である。今回漸く取りかかることが出来そうなので、紹介する。

 写真の左にあるのは、松本家が塑像する冊子本『西国巡礼三十三所観世音霊験記』のうち、三十三番札所「谷汲山華厳寺」の箇所である。少々読みにくいが、下へ全文翻刻しておいたから読んでみてください。
 第三十三番 美濃 谷汲山 華厳寺 大倉太郎信満
信満は奥州の金商人なり
常に大悲を深く信ず 或時文殊菩薩 童子と化して霊木の松木を以て十一面観音の像を造りて信満に与へ玉ふ
京都仁和寺に於て供養し 既に美濃垂井迄来しが 御づし(厨子)重く成りて盤石の如く 尊像御づしの中より出玉ひ 此所に有縁の地有と 五里斗り行止り玉ふ 即ち今の谷汲なり 太郎は大悲の御心に随ひ 此所に伽藍を建立す尊像の蓮台の下へ湧出る油にて常灯明なり 依って谷汲寺と号すとなん

世をてらす 仏のしるし ありければ まだともし火も きえぬなりけり

いままではおやとたのみしおいづるを ぬぎておさむる みののたにくみ

右下に載せたのは、浄国寺が所蔵する引札「西国巡礼三十三所観音霊験記」(明治十一年) である。見方は右下から横へ一番二番と進み、七番まで行ったら一段上に上がり、矢張り右から左へ八番九番とすすむのである。そして結願となるのが左上の角、谷汲寺である。
松本喜三郎が「三十三所観音霊験記」を興行したのは、明治四年(1871)二月から、浅草で四年間のロングランとなった。その後は十一年五月に浅草で「金流山霊験記」興行したのを最後に、途中興行を重ねながらも郷里熊本へ向かう。十二年には大阪千日前でも「観音霊験記」を興行した。
その後も興行を続けながら熊本へ向かった。明治十五年(1882)、小倉へ到着した所で姉の訃報を知り急ぎ熊本へ帰った。(熊本県立美術館の高濱州賀子氏は、「浄国寺谷汲観音像の歴史」に書く)
《1881年(明治十四)西日本巡業の途次、三月に『霊験記』を熊本下河原にて興行》この部分には注がついているようだが、私に送られてきたものは全部ではなく、右に引用した部分前後しか判断材料がないので、やむを得ない。
今は後日の課題としておく。

もう一つの谷汲観音像

生人形のほかに「おきあげ(押絵)」の谷汲観音ほかの揃いが、同じ熊本県にあると聞いて俄然興味が湧いた。明治四十二~大正二年(1909~13)にかけて熊本の女性三人が、「西国三十三所観世音霊験記」をモデルに作ったものという。今は熊本県益城町が所有者である。同町HPひごおきあげ『西国三十三所観音霊験記』はいう。

益城町と肥後のおきあげ「西国三十三所観世音霊験記」

熊本が誇る生人形師 松本喜三郎の「西国三十三所観世音霊験記」。浅草 奥山で大人気を博した等身大の生人形による、その世界観を肥後のおきあげ(押絵)で表現した、押絵師 深浦ハルの大作「西国三十三所観世音霊験記」(通称 観音絵馬)が、百年の時を経て甦りました。

大正二年に完成したその作品(68×98cm)三十三枚は、熊本から全国の寺院、学校、百貨店等で全国行脚、激動の時代を背景に数千万人の拝観を得ます。以来、幾度の風水害戦災を逃れ、昭和二十八年には故郷・熊本の地に観音絵馬堂が建立され収められました。

その後、代々守り継がれてきた観音絵馬も、経年変化による傷み等で消滅の危機に陥ります。所有者の高齢化も存続の有無に大きな足枷となりました。惜しまれつつも処分の方向に大きく傾いていた時、その受け入れに名乗りを挙げたのが熊本県の益城町でした調査を進めると深浦ハルと共に制作に加わった女性たちと、益城町が誇る四賢婦人​※ との関係も明らかとなり、町は積極的にその修復・復元へと動き始めました。そして修復・復元をほぼ終え、納品を控えた平成二十八年四月、熊本大地震により被災。震度七の激しい揺れを二度記録し、最も甚大な被害を受けた益城町は、一瞬にして壊滅的状況へ。修復作業が行われていた文化財資料室も、倒壊こそは逃れましたがその建物内部の全ての棚は倒れ、多くの資料、書籍、埋蔵文化財が破壊、散乱。
その中に於いて観音絵馬 計三十三枚は、全てが奇跡的に無傷で救出されました。震災から翌月の五月、修復・復元を終えた観音絵馬は無事、益城町に納められました。

※四賢婦人 ・・ 近代日本における女子教育や婦人解放運動に尽力し、今日の男女共同参画社会の礎を築いた竹崎順子・徳富久子・横井つせ子・矢嶋楫子ら益城町出身の女性  

益城町に救われた「観音絵馬」が、今度は益城町を救う修復・復元を終えた観音絵馬は、当初の計画では町でお披露目の後、熊本城での展示も視野に入れ、動き始めていました。ところが町の施設をはじめ市や県の施設、全てが地震の影響で使用が難しくなり、また、益城町も震災後の混沌とした状態で、展示に漕ぎ着けるまでには、かなりの時間を要する事は目に見えています。

このまま箱の中で、人目に触れず、静かに町が復興する日まで見守ることがベストなのか?今、観音絵馬が益城町に出来ることは何なのか?奇しくも100年前に全国を巡り、人々の祈りに寄り添い、人々を救い、時代と共に朽ち果てようとしていたこの観音絵馬に、再び命が吹き込まれ復元された今の姿と、現在の地震で傷ついた益城町がこれから復興してゆく姿とを重ねて観ることで、この観音絵馬が新たな町の文化財として全国を巡り、復興のシンボルに相応しい役割を担ってくれるのではないかと…。

そこで、観音絵馬の存続に手を挙げ、消滅の危機から救ってくれた益城町に恩返しの意味も込め、今回、修復・復元に関わった工房のメンバーを中心に、益城町教育委員会の協力のもと、100年前の巡礼再び!甦ったその姿を、公開までつなげる活動を始めました。

題して 益城町・復興祈願「観音絵馬・巡礼の旅」展 プロジェクトを発起いたします。趣旨に賛同、お力添えくださる方々を、広く募集いたします。 (以上原文のまま)

益城町復興祈願 『観音絵馬・巡礼の旅』プロジェクト
・事務局 NPOくまもと文化財プロジェクト
〒861-3105 熊本県上益城郡嘉島町上六嘉2035
携帯  080-1705-7212 mail info@ukishimakan.com

 読者の方で一人でもご協力下さることを期待します。
 なお同町所蔵のおきあげ(押し絵)の谷汲観音像ほかは、今年の一月八日から三月二日まで、大阪歴史博物館で特集展示「押絵「西国三十三所観音霊験記」と生人形」として開催された。しかしながら、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、二月二十九日~三月十七日まで臨時休館都なたことにより、途中で打切となった。
もう少し早く知っていれば見に行ったのに残念である。

 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三四六回目 十一月十一日(水(すい))

●第三四七回目 十二月九日(水(すい))予定
時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)
 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
先日『週刊 読書人』の取材があったため、久々に神保町へ行った。以前は毎日のように通っていたが、行かなくなって十年以上経つ。昔のままの店も何軒か残るが、随分様子が違っている。書店が減って食べ物屋が増えた。残る書店も新刊書系を中心に、洒落た店作りが増えた。書棚一杯、多くの本を詰める方式は流行らんようである、 なお取材結果は、今月三十日(金)発行号に載る予定である。





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