大道芸通信 第360号

大道芸通信 第360ー①号.jpg大道芸通信 第360ー②号.jpg『放屁論』
風来山人(平賀源内)の作品に『放屁論』というのがある。当時両国の見世物小屋で大評判を取っていた「屁放り男」の見聞記であるが、序文がいい。左記へ写す。
「屁というものがあるから、への字も何となくおかしいけれど、天には霹(へき)靂(れき)、神には幣(へい)帛(はく)、暦には経緒(へお)があり、船には舳(へ)先(さき)が、そして草にヘタクソカヅラ」、虫にヘッピリ虫などがあるが、それは少しもおかしくない。きつねやいたちのさいごっぺは、必死になって敵から身を守るために放つものだ。人間でありながらひらないならば、それは獣にも劣るといえよう。放ったり嗅いだりへの君子がいるということだが、いちがいに賤しむべきではあるまい。今評判のヘッピリ男、論より証拠、まず両国へ行ってみよう 風来山人註す」
朝鮮)人参をのんて養生しながら首をくくるといった馬鹿者もあれば、鰒(ふく)汁(じる)を食って長生きをする男もいる。これもまた天命というべきか。また物が流行するかしないかも、時が幸いするかどうかにかかっているのだろう。それとも趣向の善し悪しに寄るのだろうか。
市川團十郎の気取り、中村富十郎の所作事、中村仲蔵の芸の練熟、山下金作の愛嬌、大谷広次の通りのよい調子、嵐三五郎のしこなし、そして尾上菊五郎が大坂中の人気を一人占めすれば、瀬川富三郎は江戸に名をあげる。それに川口村善光寺の参拝、浅草の郡集、深川の相撲、吉原の俄狂言などは、実によく流行っていることだ。十寸見(ますみ)河東が、木挽町で河東節をはじめてひろうすれば、竹本住太夫も葺屋町に義太夫節の骨髄を語るという次第である。
ほかにも、からくり、子供芝居、身ぶり、声色、辻談義と、今に始まったのではないお江戸の繁栄の、算えられないほど程沢山ある興行の中で、いつごろからか両国橋の当たりに、ヘッピリ男が現れたといって、評判も色々ながら、町という町でうわさになっていた。
よくよく考えてみれば、人は小さな天地のような物であり、大天地に音のする雷がル用にあるように、人には屁というものがある。こちらは、陰陽が激しくぶつかり合うおとであり、なにかの弾みに発し、また何かの弾みにひるのがその特徴なのである。どうしたわけか例の男は、昔から言い伝えられている梯子屁、数珠屁といった曲屁は勿論のこと、砧、すががき、三番叟、三ツ、七草、祇園囃、犬の吠声、鶏屁、それに花火のような大きな響きの屁などは両国の花火の音にも負けないほどにひるのである。水車のような屁の音は、淀川の水車の音をまねたものであろう。道成寺、菊慈童、端歌、莫大小(めりやす)、伊勢音頭、一中、半中、豊後節、それに土佐、文弥、半太夫、外記、河東、大薩摩など、長い義太夫節のようなものである。『仮名手本忠臣蔵』『神霊矢口渡』の類でも、望みに応じて、一段ずつ三味線浄瑠璃に合わせてひりわける。全く比類ない名人が現れたということだが、兎にも角にも見ない内は話にならない。
「さ、早く見に行こう」
といって、二三人連れだって、横山町から両国の西にある広小路は渡らずに、そのまま右へ歩いて行くと、「昔語花咲男」と大げさな幟が立っていた。
 僧侶や俗人、男や女が押し合いへし合いする中から、先ず看板を見上げたところ、そこには例の不思議な男が尻を持ち上げたその後ろに、薄墨で隈取りをして先の道成寺、三番叟など沢山のものが、一つに纏めて寄せ書きしてある。まるで夢を描くような筆の運びなので、事情を知らない田舎者が、もしも通りかかってこの看板を見たらば、尻から夢を見るのだろうかと、きっと変に思うに違いない。そうつぶやきながら木戸を入ると、上に紅白の水引幕を張り巡らした舞台に、例のヘッピリ男が、囃方と一緒に、少し高くなったところに坐っていた。
その男の様子は、中肉で色が白く、鬢の家を撥のように三日月型に剃っており、薄い藍色の単衣に緋縮緬の襦袢を着ていた。口上ははっきりしていて、憎らしげな様子もなく、囃に合わせて、まず最初にやったのが、目出度い三番叟。「トッハッヒョロヒョロヒッヒッヒッヒッ」と拍子もよく、卯木には鶏の暁に鳴く声「ブ、ブブウブウ」とひりわけ、その後が水車で「ブウブウ」とひりながら、自分の躰をくるくると宙返りさせ、まるで車が水の勢いに押され、次々と水を汲みあげては流す風情があった。
「さあ入れ替え入れ替え」と、打ち出しの太鼓と供に、小屋を出て友人のところへ立ち寄り、「ヘッピリ男を見てきたよ」というと、そこにいた者たちは、皆一斉にこの男について論じはじめた。
あるものは「薬を使ってひるのだ」といい、またあるものは「何か仕掛けがあるに違いない」といい、中々意見が纏まらなかった。そこで私ハ皆に向かって、
「諸君、議論をおやめなさい。放屁薬があると云うことは、私ハ前から知っています。大坂の千種や清右衛門という男は、奇妙な薬を売るのが好きで、『喧嘩下し』『屁ひり薬』などの看板を出しています。その薬の調合の仕方も聞いていますが、それはただ屁が出るようになるだけのことで、このような曲屁が出来るとは聞いていません。また何か仕掛けがあるのだろうと考えるのも尤もだと思いますが、竹田の絡繰り芝居と舞台とは違って、おおっぴらに仕掛けを作ることも出来ないはずです。しかも屁という埒のあきにくいものですから、何処に仕掛けがあるとも思われません。仮に仕掛けがあったとしても、数万という人の前でそれが見えないほどならば、何れにしろ本当に屁をひっているのと同じではないですか。皆が本当にひっているというならば、何れにしても本当に屁をひっているのと同じではないですか。皆が本当にひっているというなら、取り立てて異論を唱えず一緒になって、ひっていると思って見てればいいじゃありませんか。
さてよく考えてみれば、このような世知辛い世の中で、人の持っている銭をせしめようと、色々に思案して、何とか新しいことを考え出しても、全て似たり寄ったりで昨日新規だったものでも、今日は既に旧く、勿論旧かったものは益々古くさくなっていくものなのです。ところがこのヘッピリ男だけは、話には聞いていても実際に目の前で見ると言うことは、我が日本の神武元年より、この安永三年にいたる二千四百三十四年の年月の間、旧記の記録もなければ、言い伝えも残っていません。日本だけではなく、シナ、朝鮮をはじめ、インド、オランダの国にもないでしょう。ああよくも思いたいたものです。よくひったものです。
と誉めていったところ、集まっていた者たちは皆感心して聞いていた。
 ところが遥か末座から声を掛けてきたものがあり、
「先生の仰有ることは間違って居る。ひとこと言わせていただきやしょう」といって前に出てくるものがあるので見れば、近頃どこぞから出てきた石部金吉郎という侍であった。彼は私の言うことはもってのほかという顔色で、
「嫌全く不愉快なことをお聞きしたものだ。抑芝居や見世物の類が、幕府より許されているのは、人々の和睦を計るためのものであり、君臣、親子、夫婦、兄弟、朋友の道を明らかにしてくれるからで、例えば大星由良之助の振る舞いは、中心の鑑とされ、梅枝の無限の鐘は、女性の貞潔というものを人々にひろめてくれるからなのである。見世物で異様なものを見せるときも、親の罪が子に報い、狩人の子はかたわになり、悪の報いは針の先といい、必ず見物する人々に油断しないように教えるためのものなのに、近頃はもう銭儲けのためばかりに熱心で、そのようなところには注意を払わず、その上屁ひり男の見世物とは、実に言語道断のことである。
そもそも屁などは人中でひるものではないのだ。若しひってはならないような座敷で若し万一謝って漏らしでもしたら、武士は腹を切るというほどに、それを恥じるもんである。聞いたところによると、品川で何とか言う女が、客の前でつい漏らしたところ、その座敷に居合わせた鯉屋藤左衛門、堺町の己都下呼ばれる男たちが笑ったので、彼女は終に絶えきれなくなって、一間に入り込んで自害しようとしたという。仲間の女が見つけ、色々となだめたけれど、
「座敷にいるのがあの通人たちですので、悪口を言いふらされ世間の評判になるでしょう。そうなったらどうにも生きて入られません」
というばかりだったそうだ。二人の男たちも、色々自分たちの知っている言葉の限りを尽くして『此の事は絶対人には言わない』と一生懸命になだめ説得したのだが、『いや、今はそう仰有って請け合われても、後できっと話されるに決まっています。生きながらえて恥をさらすよりは、どうかこのまま死なせて下さい』とききくだおき、自害をやめる様子もなかったので、終に二人とも途方に暮れて、このことは絶対口外しないという証文を書いて、漸く彼女の自殺を思い留まらせたそうである。(中略)
 このように普通なら恥とすることを、大道端にわざわざ看板をかけ、衆人の目にさらすことはいかにも無作法なことである。見せる方は銭儲けのためであり、見に来る奴馬鹿者だと思っているのに、先生はすぐに悪乗りして下さった。全く青層が尽きたとはこのことだ。「盗泉の水」「勝母の地」など破綻に土地の名だけなのに、心あるものは誰でも嫌がるものではないか。礼儀に外れたことを見たり聞いてはならない。それこそ聖人の教えではないかと、額に青筋立てて不満をぶちまけた。そこで次のように堪えることにした。
 貴殿の言うことはもっともだ。しかし、それだけだとまだ道の偉大さを知っているとはいえません。行使は童謡も馬鹿にはしませんでした。私もまた、この屁ひり男を持ち上げるには、それだkの理由があります。そっもそも天地に間にあるものは皆上下貴賤の別があります。中でも最も下品なものと云えば、大小便にとどめを刺すでしょう。だから賤しいことの譬えに、シナでは糞土といい、日本では糞のようだと言います。その糞小便と言った汚いものでも、五穀を実らせる肥やしとなり万民を養う元となるのです。
 只屁ばかりは、ヒッタモノがしばらくの間腹の中が気持ちがいいだけで、全く無益無能の不用物なのです。『詩経』に「天のなすことは音も匂いもなし」とあるのに反し音も匂いもあります。しかも太鼓や鼓のように聞ける音でもなく、伽羅や麝香のように使うわけ家にも行かない。それどころか人を臭がらせ、ニラ、ニンニク握り屁とわいわい人に騒がれて、空(くう)より出て空に消えていき、何にも役に立たないものです。役に立たない儒者のことを、ヘッピリ儒者とは、志道軒が言ったのですが、尤もだと思います。このような無用の長物でもこの男の思いつきで、大入り満員にした(以下略)

 大道芸の会会員募集 
 ワシントン条約は言わずもがな芸能界からさえ無視され続けられている絶滅危惧種「日本の大道芸」を一緒に伝承しませんか 稽古日は左記の通りです
●第三六〇回目 十二月十五日(水(すい))

●第三六一回目 一月十九日(水(すい))
時間・午後六時ー七時半
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 歴史や時代背景等学問的知識を学び、技術を向上させたい人の、学習会や特別稽古も行います(一名から)
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
全く関係ないが、今月十一日、瀬戸内寂聴師が亡くなった。晴美時代に『美は乱調にあり』を書いたことぐらいしか知らなかったが、当日の新聞にプロフィールや活動履歴等を見て
改めてすごさを思った。改めて作品を読んだり足跡を追ってみたいと思った。
やりたいことは山ほどあるが、残された時間は少ない。そうは思うけれど、諦めたら悔いだけが残る。抱えている課題を一つづつ潰しながら、取りかかろう。




大道芸通信 第360ー①号.jpg大道芸通信 第360ー②号.jpg『放屁論』
 風来山人(平賀源内)の作品に『放屁論』というのがある。当時両国の見世物小屋で大評判を取っていた「屁放り男」の見聞記であるが、序文がいい。左記へ写す。
「屁というものがあるから、への字も何となくおかしいけれど、天には霹(へき)靂(れき)、神には幣(へい)帛(はく)、暦には経緒(へお)があり、船には舳(へ)先(さき)が、そして草にヘタクソカヅラ」、虫にヘッピリ虫などがあるが、それは少しもおかしくない。きつねやいたちのさいごっぺは、必死になって敵から身を守るために放つものだ。人間でありながらひらないならば、それは獣にも劣るといえよう。放ったり嗅いだりへの君子がいるということだが、いちがいに賤しむべきではあるまい。今評判のヘッピリ男、論より証拠、まず両国へ行ってみよう 風来山人註す」(朝鮮)人参をのんて養生しながら首をくくるといった馬鹿者もあれば、鰒(ふく)汁(じる)を食って長生きをする男もいる。これもまた天命というべきか。また物が流行するかしないかも、時が幸いするかどうかにかかっているのだろう。それとも趣向の善し悪しに寄るのだろうか。
市川團十郎の気取り、中村富十郎の所作事、中村仲蔵の芸の練熟、山下金作の愛嬌、大谷広次の通りのよい調子、嵐三五郎のしこなし、そして尾上菊五郎が大坂中の人気を一人占めすれば、瀬川富三郎は江戸に名をあげる。それに川口村善光寺の参拝、浅草の郡集、深川の相撲、吉原の俄狂言などは、実によく流行っていることだ。十寸見(ますみ)河東が、木挽町で河東節をはじめてひろうすれば、竹本住太夫も葺屋町に義太夫節の骨髄を語るという次第である。
ほかにも、からくり、子供芝居、身ぶり、声色、辻談義と、今に始まったのではないお江戸の繁栄の、算えられないほど程沢山ある興行の中で、いつごろからか両国橋の当たりに、ヘッピリ男が現れたといって、評判も色々ながら、町という町でうわさになっていた。
よくよく考えてみれば、人は小さな天地のような物であり、大天地に音のする雷がル用にあるように、人には屁というものがある。こちらは、陰陽が激しくぶつかり合うおとであり、なにかの弾みに発し、また何かの弾みにひるのがその特徴なのである。どうしたわけか例の男は、昔から言い伝えられている梯子屁、数珠屁といった曲屁は勿論のこと、砧、すががき、三番叟、三ツ、七草、祇園囃、犬の吠声、鶏屁、それに花火のような大きな響きの屁などは両国の花火の音にも負けないほどにひるのである。水車のような屁の音は、淀川の水車の音をまねたものであろう。道成寺、菊慈童、端歌、莫大小(めりやす)、伊勢音頭、一中、半中、豊後節、それに土佐、文弥、半太夫、外記、河東、大薩摩など、長い義太夫節のようなものである。『仮名手本忠臣蔵』『神霊矢口渡』の類でも、望みに応じて、一段ずつ三味線浄瑠璃に合わせてひりわける。全く比類ない名人が現れたということだが、兎にも角にも見ない内は話にならない。
「さ、早く見に行こう」
といって、二三人連れだって、横山町から両国の西にある広小路は渡らずに、そのまま右へ歩いて行くと、「昔語花咲男」と大げさな幟が立っていた。
 僧侶や俗人、男や女が押し合いへし合いする中から、先ず看板を見上げたところ、そこには例の不思議な男が尻を持ち上げたその後ろに、薄墨で隈取りをして先の道成寺、三番叟など沢山のものが、一つに纏めて寄せ書きしてある。まるで夢を描くような筆の運びなので、事情を知らない田舎者が、もしも通りかかってこの看板を見たらば、尻から夢を見るのだろうかと、きっと変に思うに違いない。そうつぶやきながら木戸を入ると、上に紅白の水引幕を張り巡らした舞台に、例のヘッピリ男が、囃方と一緒に、少し高くなったところに坐っていた。
その男の様子は、中肉で色が白く、鬢の家を撥のように三日月型に剃っており、薄い藍色の単衣に緋縮緬の襦袢を着ていた。口上ははっきりしていて、憎らしげな様子もなく、囃に合わせて、まず最初にやったのが、目出度い三番叟。「トッハッヒョロヒョロヒッヒッヒッヒッ」と拍子もよく、卯木には鶏の暁に鳴く声「ブ、ブブウブウ」とひりわけ、その後が水車で「ブウブウ」とひりながら、自分の躰をくるくると宙返りさせ、まるで車が水の勢いに押され、次々と水を汲みあげては流す風情があった。
「さあ入れ替え入れ替え」と、打ち出しの太鼓と供に、小屋を出て友人のところへ立ち寄り、「ヘッピリ男を見てきたよ」というと、そこにいた者たちは、皆一斉にこの男について論じはじめた。
あるものは「薬を使ってひるのだ」といい、またあるものは「何か仕掛けがあるに違いない」といい、中々意見が纏まらなかった。そこで私ハ皆に向かって、
「諸君、議論をおやめなさい。放屁薬があると云うことは、私ハ前から知っています。大


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