大道芸通信 第29⑤号

耳垢取(耳掃除)  現在はアキバ美人が膝枕させながら「耳赤取(みみあかとり)」してくれるが、旧くは唐人スタイルの男が、道ばたで立ったまま行なった。膝枕だと、取れた耳垢が耳の奥へ落ちたりするので良くないという話を聞いたことがある。純粋に耳垢取りだけなら、藩政時代みたいに立ったままの方が合理的なようである。しかし、合理性だけで…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第294号

                  夷 舞(えびすまい) と 夷 舞(えびすまわし)  傀儡師を「夷舞」(えびすまわし)と呼んだのは、摂津国西宮(兵庫県史四宮)にある西宮夷を発祥地とするからである。藩政時代の江戸で 「山猫(やまねこ)」と云ったものも同じである。  なお山猫は、乞胸十二種の一…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第293号

針 金 細 工  針金細工は、旧くから日本にもあった。古墳時代には、青銅や銅を細く削って作っていた。奈良時代には金属を叩いて延ばす加工技術も確立された。 但し、当初は仏具や装飾品が主要な用途であった。その後、鉄製の針金は武具や針などの実用品に、金銀製の針金は装飾品に、銅製の針金は篩や金網など、用途によって使い分けられるようになった…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

神田明神と平将門伝説

神田明神と平将門伝説       はじめに  神田明神の祭神は3柱ですが、平将門以外の2柱を知る人は少ないようです。また、神田祭の象徴である千貫神輿は、本社ではなく境内末社の江戸神社に所属しています。だから神輿の正面に「江戸神社」、側面に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第292号

『法術やり方絵解』 『法術やり方絵解』は、昭和三年に「修霊鍛身会」から刊行された。一癖も二癖もありそうな発行元であるが、前書きに書かれてあることは、すこぶるまともである。 一、現今行はれる法術は頗る多いが、何れも種のないものはない。されば一種の奇術であることは勿論である。 唯、所謂奇術は其の種を風呂敷の下に忍ばせて…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第291号

女太夫 と 鳥追い  女太夫(おんなたゆう)と鳥追(とりおい)は、営業時期が異なるだけで同じ人間が行っていた。日常的に行っているのが女太夫で、期間限定で行うのが鳥追である。正月二日から十五日まで、つまり松の内の間だけ営業したのが鳥追いで有り、それ以外は女太夫として営業した。正月にふさわしく編み笠を被り、袖口や襟にも気を配って、より…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第290号

深川江戸資料館 春秋彼岸恒例行事  残念! 雨には勝てなかった 去る三月十九日(土)に行われた、深川江戸資料館春秋彼岸の恒例行事「江戸の物売りと大道芸」へ今回も出演した。三連休初日とあって人出も期待されたが、朝から冷たい雨。嫌な予感通り、桁違いのワースト記録をあっさり塗り替えてしまった。 天気予報…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 号外

江戸の物売りと大道芸(第六回)  日時 二〇一六年三月十九日(土) 第一回 十一時三十分~十二時十分 第二回 十四時~十四時四十分 場所 深川江戸資料館(都営地下鉄大江戸線・南北線「清澄白河」下車 A3出口 徒歩3分)  ご当地、深川といえば…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第289号

明治筑豊炭坑町に現れた大道芸人  明治の筑豊炭田と云えば、先にユネスコの記憶遺産に認定された山本作兵衛の炭坑画が思い出される。全部見たわけではないが、中に大道芸人(商人)を描いたものがだいぶある。が、解説がなければ全くわからなくなったものも多い。以前紹介(第152~161号)した『山本作兵衛ノート』と『筑豊炭坑絵物語』に共通掲載さ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第288号

『このころ草』 『このころ草』(天和二年1682刊)は、解説付き風俗画本とでも呼んだらいいのだろうか。この頃(天和二年頃)の風俗を描いた画本である。「このころ」の読み方下あるが、今なら間違いなく「このごろ」と濁る。しかし当時は、清音だった可能性がある。原則濁点を付けない当時は、文意を推測して付けたり付けなかったりしていたからである。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第287号

日本の大道芸 古来から伝わる日本の大道芸は、「物売り系」と「芸能系」に大別される。  物売り系は、零細商人の人集め手段が芸に昇華したものである。従って芸では銭を取らず、集まった人に何らかの商品を渡して対価を得ていた。これに対し芸能系は、芸自体が商品である。従って芸を見た人からは当然のように投げ銭を受けていた。  ●…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第286号

曲 独 楽  曲独楽は、奈良時代に大陸から伝来した「散楽雑伎」の一つであったが、桓武天皇の延暦元年(762)に散楽戸が廃止されると、急激に衰えた。これが再び脚光を浴びるようになったのは、元禄十三年(1700)に博多の少年初太郎が、京都・四条河原の芝居小屋で演じ、大喝采を浴びたことによる。 『けいせい色三味線』(元禄十五年…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第285号

大道芸から浪曲へ         ー 「ちょんがれ」と「ちょぼくれ」 ー 「ちょんがれ」も「ちょぼくれ」も発祥が祭文にあることははっきりしている。しかし、それがどのような曲調であったかについては、今でははっきりしない。諸芸を取り込んで完成した浪花節は、「ちょんがれ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信 第284号

浮世十二支 ② 『浮世十二支』は、本誌第百十号及び百十一号(二〇〇四年一月~二月)で紹介済みであるが、その際見つからなかった干支(えと)を国会図書館資料の中に見つけたので紹介する。  中期以降の浮世絵界にとって歌川派の存在は、きわめて大きい。とりわけ寛政六、七年(1794~95)に彗星のように現れ消えた写楽とも競った、初代豊…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信代283号

傀 儡 師(かいらいし) 傀儡師を一言で言えば(操り(あやつ ))人形遣(つか)いである。発祥は、十日戎で知られる西宮神社とされる。だから当初は「えびすまわし」と呼ばれていた。  これが後に江戸へ伝わると、「山(やま)猫(ねこ)」とも云われるようになった。当初は、客に呼ばれて室内で演じるものだったが、後には大道で演じるもの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第281号

深川江戸資料館主催 江戸の物売りと大道芸 開催日 九月十二日(土) 時間 一回目 11時30分~12時10分 二回目 14時~14時40分 場所 深川江戸資料館 常設展示室  (地下鉄半蔵門…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第280号

ハラハラ……インドの路上でのでんぐり返し 澤野 勉 六月はインドの最も暑い季節とのことーー。  覚悟していったものの、持参の温度計は四十六度を指している。焼けるような暑さだ。大理石の精巧な彫刻で彩られているアグラ宮殿を訪ねる。   古の(いにしえ )栄華の極み…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第279号

明治の大道芸 藩政時代までの大道芸の記録はそれなりに残されている。しかし、明治になると極端に少なくなる。法令や条例による禁令は勿論、「外国人に対してみっともない」と云われ、更には火除地の廃止等によって迫害され続けたからである。それでも生活がかかっているから、思いの外しぶとく生きながらえた。前時代を踏襲するものや新たに生まれ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大同芸通信第278号

江戸の珍商売(生業)④    孝 行 糖 元々上方落語であったが、明治期に三代目三遊亭圓馬によって東京落語の演目にもなった。落語の枕に「魚屋」「ふるい屋」「荒金屋=金属回収業」が出て来ることが多い。つまり、最初に魚屋が出て来る。振り声は例えば鰯。(いわし )「いわしこオ、いわしこオ」。すると篩屋(ふるいや)が「…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第277号

深川江戸資料館主催 「江戸の物売りと大道芸」 大盛況で終わる 先月二十一日(土)に開催された深川江戸資料館主催イベント「江戸の物売りと大道芸」公演参加者は、四百名(総入館者数六五七名)という大盛況で終えることが出来ました。これも会員はじめ皆様ご協力の賜物と心より感謝致します。 今…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第275号

江戸の珍商売(生業)②  江戸の珍商売②とあるが、前回乗せたのは第240号だから、三年近く前である。「そんなの覚えてないよ」と云われそうだが、ブログで検索してみて下さい。何れにしろ、これまで紹介していないものを中心に載せる。 ●雷ごろごろ 雷公の与次郎(乞食)は安政(1854~1860)頃まで来たりしが、其の後は…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第274号

江戸の物売りと大道芸 三月二十一日(土・祝)開催    (一回目) 一一時三〇分~一二時一〇分   (二回目) 一四時〇〇分~一四時四〇分 主催  深川江戸資料館 (…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第273号

『香具師の全貌』 『香具師の全貌』(国会図書館蔵)は昭和十七年(1942)三月に、内務省警保局が、「部外秘 刑事警察研究資料第一七輯」として刊行された。 「序」に、「本編は昭和十四年六月、千葉地方裁判所主催にて、判・検事、司法官試補等列席して、千葉県幕張町藤田鶴吉氏を聘して香具師社会の内情につき研究懇談を遂げた状況を筆記した…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第272号

『江戸名所百人一首』に見る生業 『江戸名所百人一首』は、前号で紹介した『どうけ百人一首』と同じ近藤助五郎清春(生没年未詳)著作である。『新編稀書複製会叢書』の解説によると、元板は享保年間(1716~36)「通油町村田板」、再版は「元文年中(1736~41)人形町通平野屋」であると。  本復刻版外題に「人形町平野屋」とあるから再…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第271号

『どうけ百人一首』に見る小商人(こあきんど) 『どうけ(道化)百人一首』は、近藤助五郎清春(生没年未詳)が、著述した『小倉百人一首』をもじった狂歌集である。これに当時の関連する世相を顕し(あらわ )た挿絵を載せている。刊行年は不明だが、享保・元文年間(1716~41)頃の風俗が描かれてあるようだから、その頃刊行と思える。 こ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第270号

深川江戸資料館主催 「江戸の物売りと庶民芸」   盛況裡に終了 先月二十日(土)に開催された深川江戸資料館主催イベント「江戸の物売りと大道芸」シリーズの第三回目へ出演したところ、入館者総数は二百五十名でした。一見多そうに見えますが、前回の半分です。諸般の事情があったにせよ、少々情けない数字で…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第269号

https://www.youtube.com/watch?v=rCLQf7MBN7s 江戸の物売りと庶民芸 九月二十日(土)開催   (一回目)一三時〇〇分~一三時四〇分   (二回目)一四時三〇分~一五時一〇分 主催: 深川江…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第268号

江戸の物売りと庶民芸 九月二十日(土)開催   (一回目)一三時〇〇分~一三時四〇分     (二回目)一四時三〇分~一五時一〇分 主催: 深川江戸資料館 (都営地…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第267号

『塵塚談(ちりづかだん)』が載せる雑事・雑業 塵塚談は、小川顕道の随筆である。元文二年(1737)生まれ。文化十一年(1814)、七十八歳(=数え年)になったとき、「其の間の世の風俗を思い出すにまかせて書きつらね」たものである。この中から、これまで紹介していないもので、関係ありそうなもの、なくとも知っていた方がいいものを紹介す…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第266号

夏の行事と生業 現在の夏は、六・七・八月だが、藩政時代は、四・五・六月であった。今でも旧暦という言い方をして、当て嵌(は)めることもあるが、七夕(たなばた)やお盆のように月後(つきおく)れという方をすることの方が多い。まして、衣替えと同時に猛暑が続くようになると、猶更(なおさら)季節が先廻りする。 「目に青葉 山杜鵑(やまほと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第265号

『東都歳事記』が載す 変 な 生 業 ●親孝行 変な生業の中でも筆頭は、親孝行であろう。親孝行が何で生業になるのか現在ではよくわからないが、そこそこ実入りがあったようである。  左図がそれであるが、本体は扇を半開きにして持っている婆さんである。婆さんを背負っている頬被りした男は人 形であるが、息子とい…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第264号

江戸のおもしろ生業 『新文字絵づくし』(明和三年=1766刊)は、『文字絵づくし』(貞享二年=1685年刊。本誌第116号「資料編」で覆刻)の影響を受けて刊行された。その間約八十年。何れも当時流行(はや)った生業を、巧みに挿絵に嵌(は)め込んだ絵を描く。 中には「なんで?」と思うような姿をしているものもあるが、皆生きること…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第263号

『煕代勝覧(きだいしようらん)』が載せる生業⑤ ○武家の結納  結納品の鯛を中間に運ばせているところ。息杖(いきづえ)を使って慎重に運んでいる。 ○振り売り   こちらも息杖を持っているから、重い商品であろう。海草類かと思えるが、色合い(茶色)から見て、干瓢の(かんぴよう )ようなものか? ○按摩?鍼灸師?  …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第262号

 深川江戸資料館主催 「江戸の春~物売りと大道芸」     大盛況裡に終了 昨年九月に続き、先月二十二日に開催された深川江戸資料館主催イベント「江戸の春~物売りと大道芸」へ出演したところ、入館者数五百名という大盛況のうち終えることが出来ました。 これも会員の皆様や本紙読者を始め、多く…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第261号

『煕代勝覧(きだいしようらん)』が載せる生業④ ・菜売り  一日中重い野菜を担ぐため、休憩などの際に使用する息杖(いきづえ)を持っている。ここでは、右肩に掛かる荷重を減らすため、天秤(てんびん)棒と左肩の間に入れている。 ・未 詳  担(にな)い棒に掛けた網の中には、相当重いものが入っているのだろう。左手で持っている…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第260号

江 戸 の 春  現在、お正月は冬ですが、江戸時代までは春でした。つまり、暦と四季が一致していました。ですから、一月から三月までが春、四月から六月までが夏の順に、七月から九月が秋、十月から十二月までが冬でした。その名残が年賀状に「初春」と書いたりする風習として残っていたりします。暫く江戸の春にお付き合い下さい。 ○元日は…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

大道芸通信第259号

『煕代勝覧』 が載せる生業③ ①鉄棒(かなぼう)を持つ番太(ばんた)へ指示を出している町(まち)鳶(とび)の親方 ②右手に角樽(つのだる)、左手に通い帳を持つ酒屋の小僧(手前)と天秤棒を担ぐ魚売り? ③虚無僧(こむそう)と客待ち中の辻駕(つじか)籠屋(ごや)(手前の二人) ④甘酒屋 ⑤イ 小間物屋、ロ 道具箱を運ぶ大工、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第258号

煕代勝覧 が載せる生業② ●御蔭参(おかげまいり)の路銀を受ける小僧 「お蔭年(かげどし)(六十周年ごとに来るとされるが、小生は知らない)に流行ったとされる伊勢参り。実際には、決まっていないようだ。が、奉公人や小僧などが主人に無断で伊勢神宮へ参詣することを「おかげ参り」とか「抜け参り」と呼んだ。お金を持たずとも、柄杓(ひしやく)…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第257号

『煕代勝覧』が載せる生業 ●馬 子   右端の馬を引く男 馬を使って人や荷物を運ぶことを職業とした人を馬子(まご)といった。馬子にも衣装という諺は( ことわざ )、つまらない人間でも、衣装を整えれば立派に見えるということ。それほど馬鹿にされた? ●巡 礼   橋を渡り右へ向う二人連れ 巡礼とは、聖地を巡る宗教行為一般の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第256号

『塵塚談』が載す雑事 『塵塚談(ちりづかばなし)』は、小川顕道(一七三七~一八一六) が七十八歳のときに顕した風俗随筆である。「傀儡師」をはじめ「ケコロ」「年玉扇子箱」「厄払い」「瀬戸物焼継」「ヒルコ玉」等々、江戸中期から後半にかけて流行った?風物を書留めたものである。中から知っておいた方がいいと思うものを選び紹介する。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第255号

木 魚 講(もくぎよこう) 家族や子供に迷惑を掛けないうちにぽっくり死にたいというのが、最近の流行である。本心かどうか知らないが、ヤレ自然葬だ散骨だと好き勝手なことばかり云う爺婆(じじばば)が矢鱈(やたら)に増えた。自然葬だろうが何だろうが、自分で自分の骨を蒔(ま)くことなど出来るはずもない。必ず誰かの手を煩わ(わずら )す。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第254号

     江 戸 の 一 日 個人が時計を持つ事のなかった江戸の庶民にとって、時間を知る方法は、一刻・約二時間毎に鳴らされる刻の鐘によってでありました。それと同時に庶民にとっては、毎日決まった時間にやって来る物売り商人たちの振り声でした。むしろ、その方が、刻の鐘よりも余程身近でした。ですから、 行く先の時…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第253号

出し見世・床見世 出しみせも床見世も同じ店構えのことである。京坂では出し見世、江戸では出し見世と云った店構えの再確認である。『守貞漫稿』は次のように云う。 《三都(京都、大坂、江戸)とも市店の庇下の(ひさしした )不用なる所、あるひは諸橋前後の塁地、俗に云ふ橋台にて石垣上なり。あるひは諸塁地に板小屋を建て諸物を売る者を、京坂…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第25②号

水 茶 屋 江戸の茶店について『守貞漫稿』は次のように云う。 《天保府命前は、専ら十六七より二十歳ばかりの美女、各々紅粉を粧ひ、美服を着し之を行ふ。府命に之を禁じて、俄に眉を剃り歯を染むる者(=既婚者の姿)多し。婦の姿となれども、猶(なお)紅粉を捨てず。又、美服を着す云々(中略)江戸にては、茶店とも、或ひは水茶屋とも…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大道芸通信第251号

是 齊(ぜさい) と 定 齋(じようさい(じよさい)) 消暑薬として知られる「じょさい(じょうさい)」は「定齋」と書くのが普通であり「是齋」は当て字だと思っていた。処が実際は逆らしいことに、今更ながら気づいた。 『東海道名所図会』(寛政九年(1797)刊)「梅木(うめのき)」は次のように書く。 《梅木(割註)本名六地蔵…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more