大道芸通信第250号

東都歳時記が載せる小商人(こあきんど) 『東都歳時記』は、天保九年(1838)に江戸で刊行された。著者は、神田雉子町名主齋藤月岑(げつしん)であり、長谷川雪旦・雪堤親子が挿絵を描いた。『江戸名所図会』と同じ顔ぶれである。全体を四季に分け、正月(=一月)から順に江戸や近郊の年中行事等を書き表している。これに雑業を含む様々な小商人…
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大道芸通信第249号

昭 和 の 大 道 芸  自由民権運動の流れを汲む、最初期の演歌師の一人、添田唖蝉坊は、『浅草底流記』で、次のような話を載せている。《香具師の中の大ジメ師と称するもの。これは円陣に人を集める。彼のコマ廻し松井原水の流れ、ひたすら弁舌を以て商売をする。  これにはリツ(法律家)、キンケン(統計表)、カリス(まじないの本)、…
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大道芸通信第248号

京 の 珍 商 売 千年の歴史を誇る京都には名所旧跡も多く、ほかでは考えられないような商売もあった。左図は『方言修行(むだしゆぎよう) 金の草鞋』〈十返舎一九著/天保年間(1830~1844)頃刊〉三編「京大坂の記」が載せる四条河原の賑わい風景の一齣である。  今も四条大橋のたもとに南座があるのは、出雲阿国(いずものおくに)以…
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大道芸通信第247号

浄瑠璃の系譜  浄瑠璃は室町時代に、遊行僧の伝える平曲(=琵琶を伴奏に平家物語を語る)から発生したが、『浄瑠璃十二段草子』(浄瑠璃物語=浄瑠璃姫と牛若丸の話)の大ヒットに伴い「浄瑠璃」と呼ばれるようになったとされる。『守貞漫稿』も云う。 《源牛若丸が矢矧長者の娘浄瑠璃姫と云はるるに通じたることを作り、十二段としたる作り物語…
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大道芸通信第246号

香具師(やし)の内幕 ゴールド会社② 前号の続きは、欺(だま)される方が悪いと嘯く(うそぶ )輩の弁から △欺すは賢欺されるは愚▽ 山田は一時ある事業に失敗して、それからヤサウチを始めた。九州を出て、馬関(ばかん)に至り、広島を打ってー商売の意味ー京都に乗り込んだ。時は恰も(あたか )本願寺の宗祖六百五十年祭…
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大道芸通信第245号

香具師(やし)の内幕 ゴールド会社  右の話は『文芸倶楽部』第十九巻第九号(一九一三=大正二年七月号)に掲載された。同誌は、一八九五年(明治二十八)一月から一九三三年(昭和八)一月まで、博文館から刊行された文芸雑誌である。著者は谷人生。同氏の履歴は未詳だが、同誌十一月号にも「路傍(みちばた)の流行歌(はやりうた)」(本紙第1…
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大道芸通信第244号

三 続 二八そば 久々にそばの事を書こうと思ったのは、すばらしい論客百楽天氏と出会ったからである。二八そばの語源について私は値段(十六文=二×八)だと思っているが、百楽天氏は配合説(当初=そば粉二うどん粉八→後年=そば粉八うどん粉二)である。  しかしながら、その博識たるや半端ではない。私など到底足下に及ぶもので…
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大道芸通信第243号

新潟市(旧巻町)所蔵の覗きからくり  覗きからくり『幽霊の継子いじめ』を持つ事で知られる旧巻町に新しく『八百屋お七』の屋台が完成し、実演も行われていると、磯田さんが確認してきたので紹介します。  左記は実演中の写真である。同時に録音も採ってこられたので聞いてみたら、曲節も歌詞も我々が歌っているのとは大分異なる。かつて酒席で…
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大道芸通信第242号

神田明神・祇園三社と将門塚 「神田」と云う地名は全国にある。昔は諸国から新稲を伊勢神宮に奉納する習わしがあり、納める稲を植える稲田を「神田(かんだ)」とか「神田(みとしろ)」或いは「御田(みた)」と呼んでいた。東京の神田もまた同じ由来を持つ。そんな稲田の五穀豊穣を願うために大己貴命((おおなむちのみこと)大国主命)を祀ったのが、「…
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大道芸通信第241号

随筆に見る江戸の珍商売(生業) 元禄時代(1688~1704)頃までは、上方(かみかた)が中心であった文化も、享保(1716~36)を過ぎる頃から徐々に江戸へ移り始める。それに伴い書かれたものも増え、幕末期に全盛となる。とりわけ当時の文化人が残した随筆の中には、今はない生業も数々ある。取り敢えず山東京伝の弟、京山の随筆『蜘…
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大道芸通信第240号

 江 戸 の 珍 商 売 (生 業) 六十六部(六部)・遍路・巡礼・千手観音・金比羅行人…… 日本全国六十余州の霊場を巡り、書写した法華経を一部ずつ納めることを目的に巡礼する者を、六十六部または略して六部と言った。死語の冥福を祈って鉦を叩き、鈴を振り、厨子を背負って家々を廻り喜捨を求めた。実際にはどこへも行かず喜…
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大道芸通信第239号

『我衣』が載せる 諸事初め 『我衣』は文化年間(1804~1817)頃、加東曳尾庵(かとうえびあん)南竹(1763~?)が著したもの。寛永(1624~)から宝暦(1751~1764)にかけての世態風俗を記した諸書からの抄出、文化年間の同種の風聞などを年代順に配列した随筆集(写本十九巻二十一冊)である。これが載せる諸事初めのうち関…
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大道芸通信第238号

菊人形(きくにんぎよう)と活(いき)(生)人形 菊細工から菊人形への流れは比較的知られている。しかし、絡繰(からくり)人形・活(いき)(生)人形もまた菊人形へ合流した。その変遷を主に『武江年表』等によってたどる。(本紙107号、204号参照)  ◎文化九年(1812) ・九月、巣鴨染井の植木屋にて、菊の花…
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大道芸通信第237号

御 免 勧 化(ごめんのかんげ) 「御免勧化」については、清水晴風(1851~1913)の『街の姿』(活字本)が挿絵と共に簡単な説明を載せる。 《御免のかんけは町々の自新(身)番より駒形にごめんと書いたる札を借受(かりうけ)、戸毎に御免のかんけといふて銭を貰ふ。此の者等の御免のかんけの株とて売買なるものなりといふ》 …
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大道芸通信第235号

柳亭種彦『正本製』に載る生業 江戸後期の戯作者・柳亭種彦(1783~1842)は合巻『偐紫田舎源氏』(1829~42刊)の著者として知られる。元々本所生まれの旗本であり、家禄は二百俵である。『正本製』は、文化十二年(1815)から天保二年(1831)に掛けて全十二編を刊行した(挿絵は国貞)。「正本」とは、原本の意味であり、ここでは…
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大道芸通信第236号

神田明神境内に鎮座する祇園   牛頭天王三社(現三天王社)  藩政時代、江戸の街には「わいわい天王」と呼ばれる大道芸人が盛んに出没していた。天狗の面を被って子供を集め、「わいわい天王囃(はや)すがお好き。喧嘩(けんか)は嫌い仲良く遊べ」などと、唱えながら「牛頭天王(ごずてんのう)」と書かれたお札をばらまき、後で親…
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大道芸通信」第234号

江戸の楽しみ 覗きからくりの変遷 今時「覗(のぞ)きからくり」と云っても、大抵の人は知らないだろう。最後に演じられたのが、昭和四十年代(1965~74)後半と云われるから、すでに五十年近く経つ。知らない人が多いのもやむを得ない。しかしそれをいいことに、根拠のない俗説が蔓延(はびこ)っているから、…
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大道芸通信 第233号

『方言修行(むだしゆぎよう) 金(かね)の草鞋(わらじ)』(十返舎一九著)に見る      伊勢 相(あい)の山(やま) の物貰い  相の山は伊勢神宮の外宮と内宮の間にある小高い丘を云い、行楽地として知られていた。一立斎広重筆の『東海道風景図会』に、次のようにある。 「両宮(=外宮と内宮)のあはひ(間)にあるゆえに、…
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大道芸通信 第232号

秘伝『天狗通(てんぐつう)』 『天狗通』は寛政八年(1796)に刊行された手妻の種本である。先行するものとして本紙223号で紹介した『放下筌』(宝暦十四年=1764刊)がある。何れも大道芸危険術に取り入れられた実績がある。原文の儘紹介する。(□は判読不明)  ①釜を鳴らす術 ②釜に煮湯(にえゆ)に入て熱からぬ術 ③大入道頭を出…
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大道芸通信 第231号

  京都 糺(ただす)川(河)原の見世物 糺川原(河原)は加茂川と高野川の合流地にある三角州であり、下鴨神社の境内「糺の杜(もり)」の一角である。京都の遊興地と云えば四条河原が著名だが、ここも劣らず賑わっていた。  左図は、山東京伝の『糸桜本朝文粋』(文化七年=1810)が載せる「糺川原の図」である。ざっと見渡した…
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大道芸通信 第230号

『日本風俗畫大成』に見る      「門(かど)つけ」と「猿廻(さるまわ)し」 『日本風俗畫大成』は一九二九(昭和四)年に、中央美術社から出された。これの「第八 明治時代」は、明治時代の画家が描いた絵に、鏑木清方(1878~1972・日本画家)が解説を書いている。 中から「門つけ」と「猿廻し」を紹介する。 …
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大道芸通信 第229号

ユネスコ記憶遺産 山本作兵衞画・文    炭 鉱 記 録 画 ・ 文 皆さん周知のこととは思うが、五月二十五日、筑豊炭田で炭鉱夫をしていた山本作兵衞(1892.5~1984.12)氏の炭鉱記録画・文が、ユネスコの記憶遺産に登録された。日本の炭鉱労働者の記録が登録されたのは無論初めてのことである。  本紙は…
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大道芸通信 第228号

街頭演歌の元祖 添田 さつき 添田さつきは演歌の神様・添田唖蝉坊の長男知道(1902~80)のセカンドネームである。また大正時代に大ヒットしたヴァイオリン演歌『東京節』の作詞者でもある。元曲は、ヘンリ・クレイ・ワーク作曲の『ジョージア・マーチ』(『マーチ…
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大道芸通信 第227号

軽業 軽業は奈良時代に唐から伝わった散楽(さんがく)(雑芸能)を構成する百戯(曲芸、奇術、幻術等雑戯(ざつぎ)全般)の一つとしてである。  当初朝廷は雅楽寮(ががくりょう)内に「散楽戸(さんがくこ)」を設けて宮中で行われていた。『続日本紀』は、天平七年(735)に聖武天皇が、唐人による唐・新羅音楽の演奏及び弄槍の軽業芸を見た…
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大道芸通信 第226号

浅草奥山の賑わい 左図は『江戸名所図会』が画く幕末浅草浅草寺奥山の様子である。その頃は本堂の後にあった念仏堂(現在は駐車場)一帯は、奥山と呼ばれる娯楽センターになっていた。楊弓場の多いのには吃驚させられるが、外にも芝居小屋や芥子の助(ジャグラー)、松井源水(独楽廻し)などの大道芸人。この図の範囲外には、水茶屋や菜飯(なめし)茶…
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大道芸通信 第225号

浅草名物楊枝見世(ようじみせ)   柳屋お藤             明和の美人と云えば笠森(かさもり)お仙(せん)が断トツに知られるが、浅草寺境内の楊枝見世・柳屋お藤も、当時はお仙を凌ぐほどであった。だから、 「…
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大道芸通信 第224号

祇園社と牛頭天王・スサノオ 「わいわい天王とは何ぞや」と思ったのが運の尽き?  何時の間にか牛頭天王とは何ぞや?に変化し取り憑かれたようである。しかし、矢っ張りわからない。  明治と共に、日本中の牛頭天王が、スサノオに取り替えられたが、祭りは「祇園祭」や「天王祭」のままも愉快である。 世に天皇の名をそのまま冠した…
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大道芸通信 第223号

放下筌(ほうかせん)に見る危険術 『放下筌』(平瀬輔世著・宝暦十四年=一七六四年刊)は手妻(=日本の手品)の種本である。この中のいくつかは「危険術」として大道芸人も人集めの手段として行っていた。  左図は危険術の中でも特に危険な「鉄火握りの術」と「鍋囓(なべかじ)りの術」を描いたものである。鍋囓りについては、「鍋釜を噛み砕き水に…
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大道芸通信 第222号

ぺ て ん 商 法 『新文化』誌第六号(昭和十三年七月一日発行=『江戸と東京』誌を昭和十三年一月号から一年足らずの間だけ改題した) に、「ぺてん商法(青山倭文二著)」が、掲載されている。当時実際に行われていた売(ばい)(=商売)の一つである。面白いので紹介する。 《松井源水が独楽を廻し、長井兵助が長刀をふり廻して、お立ち会…
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大道芸通信 第221号

大道芸通信総目録(三)   ー第151号から第220号までー  本紙も号を重ねるにつれ、内容を覚えているのが難しい。時には立ち止まって振り返って見ないと、何を書いたかわからない。 今回で三回目になるが、目録を出す所以(ゆえん)である。 第151号   ・大道芸通信総目録(二)  第81号から第1…
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大道芸通信 第220号

越前万歳(えちぜんまんざい) と 覗絡繰(のぞきからくり) に見る    八百屋お七(やおやおひち)物語 三河万歳(みかわまんざい)に代表される正月の祝福芸としての万歳は、遠く平安時代の千秋万歳(せんずまんざい)に始まるとされる。これが鎌倉室町時代には公家や武家の手を離れ、乞食芸放浪芸となる。  しかしながら近…
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大道芸通信 第219号

日本大道芸・大道芸の会 創立十五周javascript:void(0)年記念  江戸・東京の大道芸 好評裡に終了  去る十月二十三日(土)に深川江戸資料館小劇場で行った、当会創立十五周年記念イベント「江戸・東京の大道芸」を好評裡に終えることが出来ました。諸般の事情から、地元烏山の地を離れて催した初めてのイベントでしたが、何とか乗…
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大道芸通信 第218号

江戸と東京 風俗野史  伊藤晴雨(1882~1961)と云えば「責めと縛り」 の絵師として著名だが、最後の浮世絵師とも呼ばれたように、江戸や明治東京の風俗画も沢山描いた。その集大成が『江戸と東京風俗野史』である。 《著者(=伊藤晴雨)は素(もと)より、感傷的、盲目的に江戸を賛美するものに非ず。真の江戸文化を賛美するものなり》と…
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大道芸通信 第217号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(二十二) ・○○   忘れたのか、名称・解説が書かれていないが『盲文画話(ももんがわ)』の載せる「竹馬(たけむま)きれ(布)売(うり)」と同じものである。「竹馬」とは布を運ぶ竹製の荷運び台のこと。当初は片荷を高くしたことから竹馬と呼ばれた。 ・五月のぼり職 …
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大道芸通信 第216号

妖怪と見世物  古くは『信貴山縁起』や『鳥獣戯画』に見られるように現実世界にはあり得ないことを、願望も含め因果応報絵画に仕立てたりした。その過程で元来脇役であった鬼や妖怪が主役に躍り出ることもままあった。そのうちのいくつかは見世物となり、庶民の好奇心を大いに満足させた。 上図(図略)は『怪奇(かいき)談絵詞』(だんえ…
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大道芸通信 第215号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(二十一) ・塗物木地職(ぬりものきじしよく)  大きなものでは箪笥(たんす)や水屋(みずや)(飾り棚)、小さなものではお膳やお椀に代表される漆器の木地(=漆を塗る直前まで)を作る職人。  木地師(職)が作った細工物に塗物師(ぬりものし) が漆を塗ることによって、…
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大道芸通信 第214号

枇杷葉湯は琵琶の若葉に肉桂(にっけい)などの香辛料を混ぜて煎(せん)じたものである。暑気払いに効果があるとして、端午(五月)の節句から八月十五日まで売り歩いた。  現在は衣替えをする六月から八月までが夏だが、旧暦では四~六月が夏、七~九月は秋である。年によって異なるが、今とは平均二ヶ月近くずれがある。  だ…
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大道芸通信 第212号

書写年(文明十二=一四八〇年書写)の判明している 日本最古の「牛頭天王之祭文(信濃国分寺所蔵)」       以前(第185号)書いたからおわかりと思うが、牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神である。また「わいわい…
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大道芸通信 第211号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(十九) ・花かんざし売(花簪売)    花の枝を髪に挿すことは随分昔からお小畷邸多様である。後には造花も造られるように也、正徳年刊(1711~15)頃には、短冊を下げた花簪が流行った。寛政年間(1789~99)には「ぴらぴらかんざし」と云って、鎖を幾条も下げ、先…
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大道芸通信 第210号

  大 締(おおじめ) 一 代 記  最近の縁日は、「粉物(こなもん)屋(や)(=お好み焼き、たこ焼き等原材料が粉で出来ている商品を売る商売)」ばかりが幅をきかせているが、昔の縁日には様々な商売があった。中でも「縁日の華(はな)」と呼ばれたのが、啖呵(たんか)で人を集めて売(ばい)(=商売)する人たち、俗に「大締師(おおじめ…
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大道芸通信 第209号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(十八) ・いちっ子 『東海道中膝栗毛』(日坂の宿)は次の話を載せる。  女の集団が泊まっている宿を目にした弥次さん北さんの二人、鼻の下を伸ばしてその宿へ泊まることを決める。 《弥次「ときに女中、奥の客は女ばかりだが、ありゃあなんだ」 女中「…
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大道芸通信 第208号

「ちょぼくれ」と「ちょんがれ」 多くの書は「ちょぼくれのことを、大坂ではちょんがれと云う」と述べるが、『嬉遊笑覧』は、「ちょぼくれを難波節と称する」とは書くものの、ちょんがれと云うとは書いてない。元来別物であったのではなかろうかと、素朴な疑問を持ったことが、抑(そもそ)もの始まりである。 「ちょぼくれ」については『嬉遊笑覧…
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大道芸通信 第207号

   『風俗画報』が載せる雑業     江戸市中世渡り種(十七) 団扇屋(うちわや) 《江戸では団扇の需要がきはめて多く、これを制するもの正月門松とり捨てるより掛り、これにて一年の生計を立てる。盆までにはどうあっても仕上げねばならぬと倅(せがれ)も手伝へ娘も手伝へ、はてさて忙しひこと。旧暦四月の末には掘留…
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大道芸通信 第206号

勉強にも隠し芸にも役に立つ記憶術の実際  広島県福山市にお住まいの藤本甲南氏は嘗(かつ)て「バンソロ」の大〆(おおじめ)師(し)であったが、一時「記憶術」を打っていたこともある。現在大〆師であった頃の話を中心に執筆してもらっている最中であるが、一足早く記憶術の話がまとまった。こちらも外(ほか)に経験者のいない貴重な話ではあ…
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大道芸通信 第204号

明治は遠くなりにけり  大正から昭和にかけて活躍した日本画家伊東深水は、小唄を得意とした。それで昭和三十五年(一九六〇)に、明治期の浅草名物を歌い込んだ「浅草名物小唄」と云う作品をつくった。その中に挙げられたもののうち、一時的中断はあるが「花屋敷」だけは現在も同じ場所に営業を続けている。但し、当時のもので今も命脈を保っているも…
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大道芸通信 第203号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(十五) 湯屋(ゆや)の木拾(きひろ)い    湯屋(=銭湯)で薪(まき)にする木材や木屑を拾い集める商売。頬被りに尻端折(しりはしより)、網の目の洗いかごを担うのが典型的な格好。  市中に落ちているゴミは勿論、川原に流れ着いた木切れや履き物屑など燃やせるものなら何でも…
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大道芸通信 第202号

創立十五周年記念イベント開催  演 題 未定  日 時 十月二十三日(土)十三時~十五時三十分(予定)   場 所 深川江戸資料館 小劇場         (大江戸線、半蔵門線「清澄白河」駅下車 A…
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大道芸通信 第201号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(十四) 見世物師(みせものし)  講釈師見て来たような嘘を云い。とは世上に云い古された言葉だが、それに劣らないのが見世物師の呼び込み啖呵(=口上)である。但し講釈師と違うのは、目の前にあるものを云うから嘘ではない。針小棒大、目高(めだか)を鯨(くじら)のように云うだけ…
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