街頭演歌の元祖
添田 さつき
添田さつきは演歌の神様・添田唖蝉坊の長男知道(1902~80)のセカンドネームである。また大正時代に大ヒットしたヴァイオリン演歌『東京節』の作詞者でもある。元曲は、ヘンリ・クレイ・ワーク作曲の『ジョージア・マーチ』(『マーチ…
軽業
軽業は奈良時代に唐から伝わった散楽(さんがく)(雑芸能)を構成する百戯(曲芸、奇術、幻術等雑戯(ざつぎ)全般)の一つとしてである。
当初朝廷は雅楽寮(ががくりょう)内に「散楽戸(さんがくこ)」を設けて宮中で行われていた。『続日本紀』は、天平七年(735)に聖武天皇が、唐人による唐・新羅音楽の演奏及び弄槍の軽業芸を見た…
浅草奥山の賑わい
左図は『江戸名所図会』が画く幕末浅草浅草寺奥山の様子である。その頃は本堂の後にあった念仏堂(現在は駐車場)一帯は、奥山と呼ばれる娯楽センターになっていた。楊弓場の多いのには吃驚させられるが、外にも芝居小屋や芥子の助(ジャグラー)、松井源水(独楽廻し)などの大道芸人。この図の範囲外には、水茶屋や菜飯(なめし)茶…
祇園社と牛頭天王・スサノオ
「わいわい天王とは何ぞや」と思ったのが運の尽き?
何時の間にか牛頭天王とは何ぞや?に変化し取り憑かれたようである。しかし、矢っ張りわからない。
明治と共に、日本中の牛頭天王が、スサノオに取り替えられたが、祭りは「祇園祭」や「天王祭」のままも愉快である。
世に天皇の名をそのまま冠した…
放下筌(ほうかせん)に見る危険術
『放下筌』(平瀬輔世著・宝暦十四年=一七六四年刊)は手妻(=日本の手品)の種本である。この中のいくつかは「危険術」として大道芸人も人集めの手段として行っていた。
左図は危険術の中でも特に危険な「鉄火握りの術」と「鍋囓(なべかじ)りの術」を描いたものである。鍋囓りについては、「鍋釜を噛み砕き水に…
ぺ て ん 商 法
『新文化』誌第六号(昭和十三年七月一日発行=『江戸と東京』誌を昭和十三年一月号から一年足らずの間だけ改題した) に、「ぺてん商法(青山倭文二著)」が、掲載されている。当時実際に行われていた売(ばい)(=商売)の一つである。面白いので紹介する。
《松井源水が独楽を廻し、長井兵助が長刀をふり廻して、お立ち会…
大道芸通信総目録(三)
ー第151号から第220号までー
本紙も号を重ねるにつれ、内容を覚えているのが難しい。時には立ち止まって振り返って見ないと、何を書いたかわからない。 今回で三回目になるが、目録を出す所以(ゆえん)である。
第151号
・大道芸通信総目録(二) 第81号から第1…
越前万歳(えちぜんまんざい) と 覗絡繰(のぞきからくり) に見る
八百屋お七(やおやおひち)物語
三河万歳(みかわまんざい)に代表される正月の祝福芸としての万歳は、遠く平安時代の千秋万歳(せんずまんざい)に始まるとされる。これが鎌倉室町時代には公家や武家の手を離れ、乞食芸放浪芸となる。
しかしながら近…
日本大道芸・大道芸の会 創立十五周javascript:void(0)年記念
江戸・東京の大道芸 好評裡に終了
去る十月二十三日(土)に深川江戸資料館小劇場で行った、当会創立十五周年記念イベント「江戸・東京の大道芸」を好評裡に終えることが出来ました。諸般の事情から、地元烏山の地を離れて催した初めてのイベントでしたが、何とか乗…
江戸と東京 風俗野史
伊藤晴雨(1882~1961)と云えば「責めと縛り」 の絵師として著名だが、最後の浮世絵師とも呼ばれたように、江戸や明治東京の風俗画も沢山描いた。その集大成が『江戸と東京風俗野史』である。
《著者(=伊藤晴雨)は素(もと)より、感傷的、盲目的に江戸を賛美するものに非ず。真の江戸文化を賛美するものなり》と…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(二十二)
・○○ 忘れたのか、名称・解説が書かれていないが『盲文画話(ももんがわ)』の載せる「竹馬(たけむま)きれ(布)売(うり)」と同じものである。「竹馬」とは布を運ぶ竹製の荷運び台のこと。当初は片荷を高くしたことから竹馬と呼ばれた。
・五月のぼり職 …
妖怪と見世物
古くは『信貴山縁起』や『鳥獣戯画』に見られるように現実世界にはあり得ないことを、願望も含め因果応報絵画に仕立てたりした。その過程で元来脇役であった鬼や妖怪が主役に躍り出ることもままあった。そのうちのいくつかは見世物となり、庶民の好奇心を大いに満足させた。
上図(図略)は『怪奇(かいき)談絵詞』(だんえ…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(二十一)
・塗物木地職(ぬりものきじしよく) 大きなものでは箪笥(たんす)や水屋(みずや)(飾り棚)、小さなものではお膳やお椀に代表される漆器の木地(=漆を塗る直前まで)を作る職人。
木地師(職)が作った細工物に塗物師(ぬりものし) が漆を塗ることによって、…
枇杷葉湯は琵琶の若葉に肉桂(にっけい)などの香辛料を混ぜて煎(せん)じたものである。暑気払いに効果があるとして、端午(五月)の節句から八月十五日まで売り歩いた。
現在は衣替えをする六月から八月までが夏だが、旧暦では四~六月が夏、七~九月は秋である。年によって異なるが、今とは平均二ヶ月近くずれがある。
だ…
書写年(文明十二=一四八〇年書写)の判明している
日本最古の「牛頭天王之祭文(信濃国分寺所蔵)」
以前(第185号)書いたからおわかりと思うが、牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神である。また「わいわい…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(十九)
・花かんざし売(花簪売)
花の枝を髪に挿すことは随分昔からお小畷邸多様である。後には造花も造られるように也、正徳年刊(1711~15)頃には、短冊を下げた花簪が流行った。寛政年間(1789~99)には「ぴらぴらかんざし」と云って、鎖を幾条も下げ、先…
大 締(おおじめ) 一 代 記
最近の縁日は、「粉物(こなもん)屋(や)(=お好み焼き、たこ焼き等原材料が粉で出来ている商品を売る商売)」ばかりが幅をきかせているが、昔の縁日には様々な商売があった。中でも「縁日の華(はな)」と呼ばれたのが、啖呵(たんか)で人を集めて売(ばい)(=商売)する人たち、俗に「大締師(おおじめ…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(十八)
・いちっ子
『東海道中膝栗毛』(日坂の宿)は次の話を載せる。
女の集団が泊まっている宿を目にした弥次さん北さんの二人、鼻の下を伸ばしてその宿へ泊まることを決める。
《弥次「ときに女中、奥の客は女ばかりだが、ありゃあなんだ」
女中「…
「ちょぼくれ」と「ちょんがれ」
多くの書は「ちょぼくれのことを、大坂ではちょんがれと云う」と述べるが、『嬉遊笑覧』は、「ちょぼくれを難波節と称する」とは書くものの、ちょんがれと云うとは書いてない。元来別物であったのではなかろうかと、素朴な疑問を持ったことが、抑(そもそ)もの始まりである。
「ちょぼくれ」については『嬉遊笑覧…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(十七)
団扇屋(うちわや)
《江戸では団扇の需要がきはめて多く、これを制するもの正月門松とり捨てるより掛り、これにて一年の生計を立てる。盆までにはどうあっても仕上げねばならぬと倅(せがれ)も手伝へ娘も手伝へ、はてさて忙しひこと。旧暦四月の末には掘留…
勉強にも隠し芸にも役に立つ記憶術の実際
広島県福山市にお住まいの藤本甲南氏は嘗(かつ)て「バンソロ」の大〆(おおじめ)師(し)であったが、一時「記憶術」を打っていたこともある。現在大〆師であった頃の話を中心に執筆してもらっている最中であるが、一足早く記憶術の話がまとまった。こちらも外(ほか)に経験者のいない貴重な話ではあ…
明治は遠くなりにけり
大正から昭和にかけて活躍した日本画家伊東深水は、小唄を得意とした。それで昭和三十五年(一九六〇)に、明治期の浅草名物を歌い込んだ「浅草名物小唄」と云う作品をつくった。その中に挙げられたもののうち、一時的中断はあるが「花屋敷」だけは現在も同じ場所に営業を続けている。但し、当時のもので今も命脈を保っているも…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(十五)
湯屋(ゆや)の木拾(きひろ)い
湯屋(=銭湯)で薪(まき)にする木材や木屑を拾い集める商売。頬被りに尻端折(しりはしより)、網の目の洗いかごを担うのが典型的な格好。
市中に落ちているゴミは勿論、川原に流れ着いた木切れや履き物屑など燃やせるものなら何でも…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(十四)
見世物師(みせものし) 講釈師見て来たような嘘を云い。とは世上に云い古された言葉だが、それに劣らないのが見世物師の呼び込み啖呵(=口上)である。但し講釈師と違うのは、目の前にあるものを云うから嘘ではない。針小棒大、目高(めだか)を鯨(くじら)のように云うだけ…
人 造 冨 士
正月二日の晩見る初夢は、「一冨士二鷹三茄子(なすび)」の順に良いとされる。徳川家康が、出身地駿河国の高いものを順にあげたと云う。鷹は鳥の鷹ではなく、富士山の近くにある愛鷹(あしたか)山、茄子は初物(はつもの)の値の高さ(或いは物事を成す)と。
一方、江戸中期から幕末にかけて爆発的に流行った冨…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(十三)
あわ餅(本紙第171号参照) 曲搗(きよくづき)が知られる。
菓子製法専門書『古今名物御前菓子秘伝抄』(享保三年(1718)刊)に、作り方の説明を載せる。
「精白した糯粟(もちあわ)一升(=約1.8㍑)に米三合(=約0.54㍑一合=1/10升)の割…
柳(やなじ) (柳踊り(やなじうどぅい))と玉すだれ
琉球王朝(一四二九~一八七九)では国王の代替りの度に、CHINA(明(みん)とか清(しん))皇帝の勅書と王冠をたずさえた使者(冊(さく)封使(ほうし・)=勅使(さっぽうし))を迎える習慣があった。この使者が乗ってくる船を御冠船(うかんしん)と呼んだ。王冠や王服等の…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(十二)
天麩羅見世(てんぷらみせ) 天麩羅は葡萄牙(ポルトガル)語のtemporas(=齋(いみ)(忌)時)やtempero(=調味料)、或いは西班牙(スペイン)語のtemplo(=鳥獣の肉を禁じ、魚肉の揚物(あげもの)を食べる日)とも云われるが、本…
「住吉踊り」と「かっぽれ」
「住吉踊り」は、現在では世間から忘れられた存在だが、広重の『名所江戸百景』(安政三~五年(一八五六~一八五八)刊。日本橋通一丁目略図)の画材に取り上げられたほど、江戸庶民には馴染みが深かった。
発祥は、大坂住吉神宮寺(すみよしじんぐうじ)(=住吉神社別当寺。明治初年(慶応四年)神仏混淆…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(十一)
文字焼(もじやき) 饂飩粉(うどんこ)に砂糖を加えたものを種にして、鉄板の上に流しながら文字や絵を書き、焼きながら売った。場合によっては集まった子供たちへ種を売り、自分で焼かせたから、そこそこ人気があった。後の鼈甲(べっこう)飴売りと似ているが、…
記憶(臆)術
最近はあまり聞かなくなったが、「忍術」や「催眠術」と並んで「記憶術」と云う言葉は大変人を引きつける。しかし三者何れも修得した話を聞かないのも共通事項である。そんな胡散臭い記憶術が日本へ伝わったのは明治二十年(一八八七)頃だが、宮武外骨は『奇態流行史』で次のように述べる。
記憶術の伝授
米国紐…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(十)
・ほしみせ 露店のこと。『守貞漫稿』は云う。
《乾し見世・天道ぼし
京坂にて「ほし見世」といふ。江戸にて「てんどうぼし」と云ふ。路上に筵を敷き、諸物をならべ商ふ。その品定まりなしといへども、古道具を専らとす。あるひは古書籍〔脱文〕
「天道乾…
大道芸通信 総目録(三)(第151号~第220号)
第151号 大道芸通信総目録(二) ― 第81号から第150号まで ―
第152号 『炭坑物語』(山本作兵衞著) 俗称『山本作兵衞ノート』中の大道商人
外来行商及芸人 ①山伏 ②六部 ③遍路さん ④淡島様 ⑤稲荷様 ⑥鍾■(偏=其・旁=机の
…
続々 二八蕎麦
江戸を語る場合この人を外して語る訳には行かない、そう云われるほど江戸の考証をした人が三田村鳶魚である。二八蕎麦についても、値段か配合割合かについて各種史料を並べて考察し、最後に自分の出した結論を述べている。
鳶魚によると、二八蕎麦論論争の始まりは幕末からのようである。と云うより、その頃から配…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(九)
・角 力(すもう) 『日本書紀』によると、角力(相撲)の始まりは、垂仁天皇七年(紀元前二十三年)七月七日に、野見宿禰と當麻蹶速(当麻蹴速)が「捔力」で戦ったこととされる。結果は、宿禰が蹴速を蹴り技で脇骨と腰を折り殺して勝利した。これによって宿禰…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(八)
・千日坊主 「千日回峰」(=天台宗において、不動明王と一体化するための修行。比叡山のものが著名)ならぬ「千日祈願」と称し、横腹に「千日」と書いた手桶を提げ、鉦を叩きながら喜捨を求め歩いた。何の取り得も技術もない者が、生活のために編み出した。
なお、似たよう…
佃 踊 (念仏踊)
天正十八年(1590)に徳川家康が豊臣秀吉から江戸への引っ越しを命じられた際、摂津国西成郡佃村(=大阪市西淀川区佃)の漁師一行へ荷物を運ばせた。ところがその時の漁師一行三十三(三十四)人が、そのまま江戸へ居付くことになった。
当初は小石川網干坂・小網町等へ住んでいたが、正保二年(1645…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(七)
夜 鷹 (本紙172号参照) …… 最下等の売笑婦。かけそば(二八そば)一杯十六文の時代に一回が二十四文。
霜天にいただき 二十四文なり
単価が安いので数をこなさにゃならず、人目があろうがなかろうが、…
「「南京玉すだれ」発生と名称変遷史 光田 憲雄」について
文政(1818~1830)から幕末(~1868)にかけての日本で「南京」と云う場合は、『諸芸口上集』が述べるように都市名ではなく、「小さく珍しく愛らしいもの」のことであり、「元から日本にあるものとは違うもの・異なるもの」を意味した。だから、文政十三年(1830)に刊…
わいわい天王と
牛頭天王・蘇民将来
天狗の面をかぶった「わいわい天王」が「牛頭天王」のお札を配ったことは、本紙の読者なら先刻ご承知だろう。それ程親しまれた牛頭天王が、世間から姿を消したのは「てんのう」と云う響きが明治政府に嫌われたからである。
「牛頭天王」は元来、インドの祇園精舎の守護神だが、日本で定着するま…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(六)
●いなりすし 正一位稲荷大明神の使い、狐の顔をあしらった幟を立てた屋台店。油揚げは狐の大好物とされるところから、今でも寿司飯を油揚げの中に入れた寿司を稲荷寿司と呼ぶ。夜鍋職人や大店の小僧などが得意であった。関東の稲荷寿司は長方形だが関西の稲荷…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(五)
万 歳 (本紙146号参照) 太夫と才蔵がペアを組み、新年の祝歌を歌いながら家々を廻り祝儀を請うた。
狐 舞(きつねまい) 狐の面を被り、両手に御幣、又は御幣と鈴を持って舞い鳥目(=穴あき銭)を受けた。『絵本風俗往来』が書くように、吉原で大晦日に行…
『風俗画報』が載せる雑業
江戸市中世渡り種(四)
大黒舞 大黒様の出で立ちを真似た頭巾と面を被り、三味線を弾いて門付けした。昔は京都や江戸にもいたが、天保年間には大坂にだけいた。
かげ芝居 影芝居、陰芝居と書いたように、陽の当たらない暗い場所・屋根船の中等で役者の声色を真似て芝居をした。幕末には隅…