大道芸通信 第200号

 人 造 冨 士  正月二日の晩見る初夢は、「一冨士二鷹三茄子(なすび)」の順に良いとされる。徳川家康が、出身地駿河国の高いものを順にあげたと云う。鷹は鳥の鷹ではなく、富士山の近くにある愛鷹(あしたか)山、茄子は初物(はつもの)の値の高さ(或いは物事を成す)と。 一方、江戸中期から幕末にかけて爆発的に流行った冨…
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大道芸通信 第199号

 『風俗画報』が載せる雑業    江戸市中世渡り種(十三) あわ餅(本紙第171号参照)  曲搗(きよくづき)が知られる。 菓子製法専門書『古今名物御前菓子秘伝抄』(享保三年(1718)刊)に、作り方の説明を載せる。 「精白した糯粟(もちあわ)一升(=約1.8㍑)に米三合(=約0.54㍑一合=1/10升)の割…
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大道芸通信 第198号

柳(やなじ) (柳踊り(やなじうどぅい))と玉すだれ 琉球王朝(一四二九~一八七九)では国王の代替りの度に、CHINA(明(みん)とか清(しん))皇帝の勅書と王冠をたずさえた使者(冊(さく)封使(ほうし・)=勅使(さっぽうし))を迎える習慣があった。この使者が乗ってくる船を御冠船(うかんしん)と呼んだ。王冠や王服等の…
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大道芸通信 第197号

 『風俗画報』が載せる雑業    江戸市中世渡り種(十二) 天麩羅見世(てんぷらみせ)  天麩羅は葡萄牙(ポルトガル)語のtemporas(=齋(いみ)(忌)時)やtempero(=調味料)、或いは西班牙(スペイン)語のtemplo(=鳥獣の肉を禁じ、魚肉の揚物(あげもの)を食べる日)とも云われるが、本…
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大道芸通信 第196号

「住吉踊り」と「かっぽれ」 「住吉踊り」は、現在では世間から忘れられた存在だが、広重の『名所江戸百景』(安政三~五年(一八五六~一八五八)刊。日本橋通一丁目略図)の画材に取り上げられたほど、江戸庶民には馴染みが深かった。  発祥は、大坂住吉神宮寺(すみよしじんぐうじ)(=住吉神社別当寺。明治初年(慶応四年)神仏混淆…
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大道芸通信 第195号

 『風俗画報』が載せる雑業    江戸市中世渡り種(十一) 文字焼(もじやき)  饂飩粉(うどんこ)に砂糖を加えたものを種にして、鉄板の上に流しながら文字や絵を書き、焼きながら売った。場合によっては集まった子供たちへ種を売り、自分で焼かせたから、そこそこ人気があった。後の鼈甲(べっこう)飴売りと似ているが、…
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大道芸通信 第194号

記憶(臆)術 最近はあまり聞かなくなったが、「忍術」や「催眠術」と並んで「記憶術」と云う言葉は大変人を引きつける。しかし三者何れも修得した話を聞かないのも共通事項である。そんな胡散臭い記憶術が日本へ伝わったのは明治二十年(一八八七)頃だが、宮武外骨は『奇態流行史』で次のように述べる。 記憶術の伝授 米国紐…
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大道芸通信 第193号

 『風俗画報』が載せる雑業    江戸市中世渡り種(十) ・ほしみせ   露店のこと。『守貞漫稿』は云う。 《乾し見世・天道ぼし   京坂にて「ほし見世」といふ。江戸にて「てんどうぼし」と云ふ。路上に筵を敷き、諸物をならべ商ふ。その品定まりなしといへども、古道具を専らとす。あるひは古書籍〔脱文〕 「天道乾…
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大道芸通信総目録(三) 第151号~第220号

大道芸通信 総目録(三)(第151号~第220号) 第151号  大道芸通信総目録(二) ― 第81号から第150号まで ― 第152号  『炭坑物語』(山本作兵衞著) 俗称『山本作兵衞ノート』中の大道商人        外来行商及芸人 ①山伏 ②六部 ③遍路さん ④淡島様 ⑤稲荷様 ⑥鍾■(偏=其・旁=机の …
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大道芸通信 第192号

続々 二八蕎麦 江戸を語る場合この人を外して語る訳には行かない、そう云われるほど江戸の考証をした人が三田村鳶魚である。二八蕎麦についても、値段か配合割合かについて各種史料を並べて考察し、最後に自分の出した結論を述べている。 鳶魚によると、二八蕎麦論論争の始まりは幕末からのようである。と云うより、その頃から配…
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大道芸通信 第191号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(九) ・角 力(すもう) 『日本書紀』によると、角力(相撲)の始まりは、垂仁天皇七年(紀元前二十三年)七月七日に、野見宿禰と當麻蹶速(当麻蹴速)が「捔力」で戦ったこととされる。結果は、宿禰が蹴速を蹴り技で脇骨と腰を折り殺して勝利した。これによって宿禰…
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大道芸通信 第190号

 思い入れや俗説を排し、逐一原典で確認!    斯界待望の書 第一弾 『江戸の大道芸人』遂に刊行 ー庶民生活の共生ー (著者)光田 憲雄 (版元)つくばね舎 (発売)地歴社 …
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大道芸通信 第189号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(八) ・千日坊主   「千日回峰」(=天台宗において、不動明王と一体化するための修行。比叡山のものが著名)ならぬ「千日祈願」と称し、横腹に「千日」と書いた手桶を提げ、鉦を叩きながら喜捨を求め歩いた。何の取り得も技術もない者が、生活のために編み出した。 なお、似たよう…
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大道芸通信 第187号

佃 踊 (念仏踊) 天正十八年(1590)に徳川家康が豊臣秀吉から江戸への引っ越しを命じられた際、摂津国西成郡佃村(=大阪市西淀川区佃)の漁師一行へ荷物を運ばせた。ところがその時の漁師一行三十三(三十四)人が、そのまま江戸へ居付くことになった。  当初は小石川網干坂・小網町等へ住んでいたが、正保二年(1645…
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大道芸通信 第186号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(七) 夜 鷹 (本紙172号参照) …… 最下等の売笑婦。かけそば(二八そば)一杯十六文の時代に一回が二十四文。         霜天にいただき  二十四文なり            単価が安いので数をこなさにゃならず、人目があろうがなかろうが、…
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『嬉遊笑覧』が述べる「南京」の意味について     光田 憲雄

「「南京玉すだれ」発生と名称変遷史      光田 憲雄」について  文政(1818~1830)から幕末(~1868)にかけての日本で「南京」と云う場合は、『諸芸口上集』が述べるように都市名ではなく、「小さく珍しく愛らしいもの」のことであり、「元から日本にあるものとは違うもの・異なるもの」を意味した。だから、文政十三年(1830)に刊…
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大道芸通信 第185号

わいわい天王と  牛頭天王・蘇民将来  天狗の面をかぶった「わいわい天王」が「牛頭天王」のお札を配ったことは、本紙の読者なら先刻ご承知だろう。それ程親しまれた牛頭天王が、世間から姿を消したのは「てんのう」と云う響きが明治政府に嫌われたからである。 「牛頭天王」は元来、インドの祇園精舎の守護神だが、日本で定着するま…
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大道芸通信 第184号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(六)   ●いなりすし  正一位稲荷大明神の使い、狐の顔をあしらった幟を立てた屋台店。油揚げは狐の大好物とされるところから、今でも寿司飯を油揚げの中に入れた寿司を稲荷寿司と呼ぶ。夜鍋職人や大店の小僧などが得意であった。関東の稲荷寿司は長方形だが関西の稲荷…
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大道芸通信 第182号

「街角」と「葭簀小屋」の芸能   「梅原白髯師追悼公演!」本日開演        日 時  二〇〇九年三月一日(日)  一三時三〇分~一六時三〇分      会 場  JRA浅草パークホール(浅草六区) …
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大道芸通信 第183号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(五) 万 歳 (本紙146号参照) 太夫と才蔵がペアを組み、新年の祝歌を歌いながら家々を廻り祝儀を請うた。 狐 舞(きつねまい)  狐の面を被り、両手に御幣、又は御幣と鈴を持って舞い鳥目(=穴あき銭)を受けた。『絵本風俗往来』が書くように、吉原で大晦日に行…
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大道芸通信 第181号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(四) 大黒舞  大黒様の出で立ちを真似た頭巾と面を被り、三味線を弾いて門付けした。昔は京都や江戸にもいたが、天保年間には大坂にだけいた。 かげ芝居  影芝居、陰芝居と書いたように、陽の当たらない暗い場所・屋根船の中等で役者の声色を真似て芝居をした。幕末には隅…
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大道芸通信 第180号

「街角」と「葭簀小屋」の芸能   梅原白髯師記念公演!        日 時  二〇〇九年三月一日(日)     一三時三〇分~一六時三〇分      会 場  JRA浅草パークホール(浅草六区) …
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大道芸通信 第179号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(三) 網すき 漁網を編むことである。深川、佃辺の海辺に住む猟師の女房抔が内職にした。 薬 舗  薬草などを包丁で刻み、或いは薬研で粉にした薬を調合し秤で量って売る店。生薬屋とも云う。 芸 妓  三味線・笛・鼓を奏し、歌や踊りで客を楽しませることを業とする。…
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大道芸通信 第178号

「街角」と「葭簀小屋」の芸能   梅原白髯師記念公演!        日 時  二〇〇九年三月一日(日)     一三時三〇分~一六時三〇分      会 場  JRA浅草パークホール(浅草六区) …
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大道芸通信 第177号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(二) 紺 屋(こんや) 紺屋は元来藍染屋のことを指していたが、後には染物屋を意味するようになり「こうや」とも呼ばれた。図は伸子(=布をピンと張らせるため、布の左右へ弓形に刺す竹串)を刺している所。 たばこきり(莨切) 莨の葉を細く切り刻莨を作る職人。賃粉切とも…
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大道芸通信 第176号

故梅原白髯師追悼公演決定!      日 時  二〇〇九年三月一日(日) 一三時三〇分~一六時三〇分   会 場  JRA浅草パークホール(浅草六区)           (台東区浅草二ー一〇ー一一 浅草…
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大道芸通信 第175号

『風俗画報』が載せる雑業  雑誌『風俗画報』は、明治二十二年(1889)から大正五年(1916)まで、二十七年間発行(全五一七冊)された、わが国最初の風俗グラフ誌(石版摺のち写真版)である。  藩政時代から大正時代にかけての世相や風俗、歴史等あらゆる分野に対して知的好奇心の赴くままに筆を進める。その中に「江戸市中…
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大道芸通信 第174号

四 時 代 謝 「四時代謝」は、『燕石雑志』(曲亭馬琴著/文化七年(1810)刊)巻之三の八番目に載る四時にあった雑事の記録である。四季ではなく四時であるのは、当時「新大橋」の西にあった酒楼「四季菴」を例に挙げ、次のように噛みついている。 《四季とは春の季、夏の季、秋の季、冬の季をいふなり》 その上で、《も…
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大道芸通信 第173号

 く だ す だ れ 左図は『近江表座敷八景』(柳亭種彦撰 歌川国貞画/文政八年(1825)刊)が載せる、「瀬戸明神(=金沢八景の一)祭礼の場面」である。真ん中下の方で後を振り返っている男は「くだすだれ(管簾)売り」である。 「くだすだれ」は元来、冷房のない時代の夏を、如何に涼く過ごすかの工夫である。 …
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大道芸通信 第172号

   墓所の幽霊 藩政時代は色々変わった商売があったが、中でも最右翼は「墓所の幽霊」だろう。墓石の下より亡者の幽霊が現れるさまを形に顕したと云うから、なんとも凄まじい。  その様子は左図のように、高さ二尺(=約60㌢㍍)余りの墓石を紙で作り、長期にわたって草に埋もれ苔むしたような色合いに設える。その上で別に作っておいた台石…
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大道芸通信 第171号

  粟 餅 の 曲 舂(あわもちのきょくづき) 目黒と云えば「秋刀魚」だが、藩政時代は「粟餅」であった。目黒不動へ参詣するのは、帰りに粟餅を食べるのが楽しみだからと云う人も少なからずいた。だからだろう。黄表紙第一号となった『金々先生栄華の夢』(安永四年/1775刊)も、目黒の粟餅屋へ立ち寄ることから話が始まる。  そ…
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大道芸通信 第170号

半 田 行 人 「半田行人」は、武州東葛西領金町(葛飾区金町)にある半田稲荷が発祥である。享保年間(1716~1736)に麻疹や疱瘡が流行った際、三宝院(=半田稲荷別当寺。明治初年、廃仏毀釈により廃寺)の僧侶が、茜木綿製の法衣をまとい、赤地に白抜きで「半田稲荷大明神」と染め抜いた幟を立てて、 「葛西金町半田の稲荷、…
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大道芸通信 号外

 梅原白髯師逝去  当会創立以来講師を務めて貰っていた梅原白髯師が 五月十一日午前四時 心不全のため逝去された 心よりご冥福をお祈り致します なお 通夜・告別式は左記の通りです   ・通 夜 五月十五日(木)十八時~十九時   ・告別式 五月十六日(金)十一時~十二時     何れも新宿区落合斎場…
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大道芸通信 第169号

四季の物売り √あさりしじみよー  あさり殻あさり √なっとなっとー なっと  なっとー みそまめー  朝食のおかずに間に合うよう、毎日夜明け前から来たのがこの二つである。最近はちり紙交換も滅多に来ないが、紙が大変貴重であった昔は、 √くずぅーい くずぅーい  と紙屑やぼろも買いに…
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大道芸通信 第168号

  上野と下野(谷)( = したの→や)  上野の地名発祥伝説の一つにもなった伊賀上野の殿様・藤堂高虎の屋敷を移転させてまで、天海僧正が上野に寛永寺を開いたのは、江戸城の艮(うしとら=丑寅)に位置するからである。艮(丑寅)つまり東北は鬼が出入りする場所(鬼門)として人々から恐れられていた。そんな鬼が江戸へ入らぬ…
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大道芸通信 第167号

   山猫廻と首掛芝居 「山猫廻し」(=夷舞)と「首掛芝居」(=室町源氏胡蝶巻)は、一見同じようにみえるがどうやら異なるようである。「山猫廻し」(=夷舞)は浄瑠璃に合わせて人形を舞わせる傀儡師だが、「首掛芝居」は手品遣いだからである。  『守貞漫稿』は、首掛芝居について、次のように云う。 《古の傀儡師なり。中古、江戸に…
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大道芸通信 第166号

  金毘羅行人  目黒駅から権之助坂を通り抜けて山手通りとの交差点を渡ると左側角地に大鳥神社がある。この大鳥神社前の舗道に金毘羅坂と彫られた石碑が建っている。これが曾て道路を挟んで反対側に広大な敷地を持つ「金毘羅権現社(高憧寺)」があったことを示す唯一の物証である。 『江戸名所図会』は、「御城南鎮護神(=江戸城南方守護神…
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大道芸通信 第165号

          節季候と鳥追  十二月も二十日を過ぎると、正月の準備で忙しくなることは昔も今と変わらない。消防の鳶の者が辻々へ小屋をしつらえ〆飾りを商いだすと、誰でも新年が近いことを思った。  一夜飾りは良くないと云って、大晦日の前日までには正月の飾り付けを終えるのが習わしだが、実際には間に合わない人も大勢いる。そんな…
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大道芸通信 第164号

   山伏と香具師  修験道は、峻険な山岳地帯に修行の場を求める日本古来の山岳信仰に、外来の道教等が習合されたものと云われる。また教義よりも行を重んじる実践の宗教である。だから護摩を焚き祈祷を行い難行苦行の末に霊験を得ようとするのである。当然、教典通りにならないことも多く、状況に応じた判断や対応を迫られることも多々ある…
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大道芸通信 第164号

   山伏と香具師  修験道は、峻険な山岳地帯に修行の場を求める日本古来の山岳信仰に、外来の道教等が習合されたものと云われる。また教義よりも行を重んじる実践の宗教である。だから護摩を焚き祈祷を行い難行苦行の末に霊験を得ようとするのである。当然、教典通りにならないことも多く、状況に応じた判断や対応を迫られるこ…
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大道芸通信 第163号

   半 日 閑 話 「半日閑話」は、太田南畝(蜀山人)の「街談録」(=明和五年(1768)から文政五年(1822)までの五十四年間に、巷でおきた雑事の見聞録。南畝が二十歳から七十四歳までにあたる。全二十二冊)を元とし、南畝の死(文政六年四月)後、編者(姓氏未詳)が、加筆し、全二十五巻に纏めたものである。 これに当…
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大道芸通信 第162号

  続二八そば 以前(第143号)二八そばのことを書いた際、「二八とは値段であって、蕎麦粉と小麦粉の割合ではない」と結論づけた処、色々反論を貰った。その中で一番多かったのは、 「そばの値段が十六文(二×八)だったのは、藩政時代後期の七八十年だけじゃないか。それ以前、十六文より安かった頃の説明をどうする」とい…
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大道芸通信 第161号

ディアボロと輪鼓 先般行われたヘブンアーティストコンテストで、洋物大道芸を披露した人の多くはディアボロもしていた。だからディアボロは外国から来たものと思われているが、日本にも同じ形をした「輪鼓(りゅうご)」と云うのが昔からあった。 『明治風物誌』は著者柴田宵曲の没後、『秋田魁新報』に連載され(昭和43年1月4日~4月…
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大道芸通信 第161号

   ディアボロと輪鼓 先般行われたヘブンアーティストコンテストで、洋物大道芸を披露した人の多くはディアボロもしていた。だからディアボロは外国から来たものと思われているが、日本にも同じ形をした「輪鼓(りゅうご)」と云うのが昔からあった。 『明治風物誌』は著者柴田宵曲の没後、『秋田魁新報』に連載され(昭和43年1月…
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大道芸通信 第160号

   新 内 流 し 新内は鶴賀(岡田)新内に由来する浄瑠璃の一流派である。浄瑠璃は室町時代に、遊行僧の伝える平曲(=琵琶を伴奏に平家物語を語る)から発生したが、『浄瑠璃十二段草子』(浄瑠璃物語=浄瑠璃姫と牛若丸の話)の大ヒットに伴い「浄瑠璃」と呼ばれるようになったと云う。  永禄年間(1558~70)に琉球(=沖縄)…
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大道芸通信 第159号

  思いこみ  √汽笛一声新橋をー で始まる鉄道唱歌の一番なら誰でも知っているが、二番三番を知っている人は殆どいない。鉄道愛好者であった内田百間は、全部歌えると自慢していたが、弟子のヒマラヤ山系に云わせると少々怪しかったようである。それでも三番ぐらいまでなら間違いなく歌えた。   窓より近く品川の 台場も見えて波白く …
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大道芸通信 第158号

  上 野 山 下 今でも上野公園は大道芸のメッカだが、藩政時代もまたそうであった。浅草奥山や領国広小路と共に、見世物小屋が建ち並び大道芸人なども盛んに活躍していた。  但し、当時は現在の公園部分は全て寛永寺の境内だったから、活動場所は山下と呼ばれる所に限られていた。  山下とは、上野の山(=東叡山)の下の…
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大道芸通信 第157号

          香具師 香具師は元来薬師である。だから製薬会社と同じ「神農」を職業神として祀る。反面香具師を辞書で引くと、《縁日・祭礼など人出の多いところで見世物などを興行し、また粗製の商品などを売ることを行とするもの。てきや》(『広辞苑』)とあり、《いかがわしい商品を売る商人。(ねらいが当たれば利益を得るところから…
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大道芸通信 第156号

「すたすた坊主」と「まかしょ」、「わいわい天王」 「すたすた坊主」も「まかしょ」も元来願人坊主である。 願人坊主とは『嬉遊笑覧』が、《代待ち、代垢離かき等して有りしもの故願人とは云ふなり》と記すように、願掛けに伴う面倒事を代行してくれた坊主のことである。  困ったときの神頼み。誰でも、にわか信者になるが、神頼みを…
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