大道芸通信 第212号

書写年(文明十二=一四八〇年書写)の判明している 日本最古の「牛頭天王之祭文(信濃国分寺所蔵)」       以前(第185号)書いたからおわかりと思うが、牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神である。また「わいわい…
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大道芸通信 第211号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(十九) ・花かんざし売(花簪売)    花の枝を髪に挿すことは随分昔からお小畷邸多様である。後には造花も造られるように也、正徳年刊(1711~15)頃には、短冊を下げた花簪が流行った。寛政年間(1789~99)には「ぴらぴらかんざし」と云って、鎖を幾条も下げ、先…
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大道芸通信 第210号

  大 締(おおじめ) 一 代 記  最近の縁日は、「粉物(こなもん)屋(や)(=お好み焼き、たこ焼き等原材料が粉で出来ている商品を売る商売)」ばかりが幅をきかせているが、昔の縁日には様々な商売があった。中でも「縁日の華(はな)」と呼ばれたのが、啖呵(たんか)で人を集めて売(ばい)(=商売)する人たち、俗に「大締師(おおじめ…
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大道芸通信 第209号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(十八) ・いちっ子 『東海道中膝栗毛』(日坂の宿)は次の話を載せる。  女の集団が泊まっている宿を目にした弥次さん北さんの二人、鼻の下を伸ばしてその宿へ泊まることを決める。 《弥次「ときに女中、奥の客は女ばかりだが、ありゃあなんだ」 女中「…
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大道芸通信 第208号

「ちょぼくれ」と「ちょんがれ」 多くの書は「ちょぼくれのことを、大坂ではちょんがれと云う」と述べるが、『嬉遊笑覧』は、「ちょぼくれを難波節と称する」とは書くものの、ちょんがれと云うとは書いてない。元来別物であったのではなかろうかと、素朴な疑問を持ったことが、抑(そもそ)もの始まりである。 「ちょぼくれ」については『嬉遊笑覧…
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大道芸通信 第207号

   『風俗画報』が載せる雑業     江戸市中世渡り種(十七) 団扇屋(うちわや) 《江戸では団扇の需要がきはめて多く、これを制するもの正月門松とり捨てるより掛り、これにて一年の生計を立てる。盆までにはどうあっても仕上げねばならぬと倅(せがれ)も手伝へ娘も手伝へ、はてさて忙しひこと。旧暦四月の末には掘留…
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大道芸通信 第206号

勉強にも隠し芸にも役に立つ記憶術の実際  広島県福山市にお住まいの藤本甲南氏は嘗(かつ)て「バンソロ」の大〆(おおじめ)師(し)であったが、一時「記憶術」を打っていたこともある。現在大〆師であった頃の話を中心に執筆してもらっている最中であるが、一足早く記憶術の話がまとまった。こちらも外(ほか)に経験者のいない貴重な話ではあ…
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大道芸通信 第204号

明治は遠くなりにけり  大正から昭和にかけて活躍した日本画家伊東深水は、小唄を得意とした。それで昭和三十五年(一九六〇)に、明治期の浅草名物を歌い込んだ「浅草名物小唄」と云う作品をつくった。その中に挙げられたもののうち、一時的中断はあるが「花屋敷」だけは現在も同じ場所に営業を続けている。但し、当時のもので今も命脈を保っているも…
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大道芸通信 第203号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(十五) 湯屋(ゆや)の木拾(きひろ)い    湯屋(=銭湯)で薪(まき)にする木材や木屑を拾い集める商売。頬被りに尻端折(しりはしより)、網の目の洗いかごを担うのが典型的な格好。  市中に落ちているゴミは勿論、川原に流れ着いた木切れや履き物屑など燃やせるものなら何でも…
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大道芸通信 第202号

創立十五周年記念イベント開催  演 題 未定  日 時 十月二十三日(土)十三時~十五時三十分(予定)   場 所 深川江戸資料館 小劇場         (大江戸線、半蔵門線「清澄白河」駅下車 A…
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大道芸通信 第201号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(十四) 見世物師(みせものし)  講釈師見て来たような嘘を云い。とは世上に云い古された言葉だが、それに劣らないのが見世物師の呼び込み啖呵(=口上)である。但し講釈師と違うのは、目の前にあるものを云うから嘘ではない。針小棒大、目高(めだか)を鯨(くじら)のように云うだけ…
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大道芸通信 第200号

 人 造 冨 士  正月二日の晩見る初夢は、「一冨士二鷹三茄子(なすび)」の順に良いとされる。徳川家康が、出身地駿河国の高いものを順にあげたと云う。鷹は鳥の鷹ではなく、富士山の近くにある愛鷹(あしたか)山、茄子は初物(はつもの)の値の高さ(或いは物事を成す)と。 一方、江戸中期から幕末にかけて爆発的に流行った冨…
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大道芸通信 第199号

 『風俗画報』が載せる雑業    江戸市中世渡り種(十三) あわ餅(本紙第171号参照)  曲搗(きよくづき)が知られる。 菓子製法専門書『古今名物御前菓子秘伝抄』(享保三年(1718)刊)に、作り方の説明を載せる。 「精白した糯粟(もちあわ)一升(=約1.8㍑)に米三合(=約0.54㍑一合=1/10升)の割…
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大道芸通信 第198号

柳(やなじ) (柳踊り(やなじうどぅい))と玉すだれ 琉球王朝(一四二九~一八七九)では国王の代替りの度に、CHINA(明(みん)とか清(しん))皇帝の勅書と王冠をたずさえた使者(冊(さく)封使(ほうし・)=勅使(さっぽうし))を迎える習慣があった。この使者が乗ってくる船を御冠船(うかんしん)と呼んだ。王冠や王服等の…
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大道芸通信 第197号

 『風俗画報』が載せる雑業    江戸市中世渡り種(十二) 天麩羅見世(てんぷらみせ)  天麩羅は葡萄牙(ポルトガル)語のtemporas(=齋(いみ)(忌)時)やtempero(=調味料)、或いは西班牙(スペイン)語のtemplo(=鳥獣の肉を禁じ、魚肉の揚物(あげもの)を食べる日)とも云われるが、本…
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大道芸通信 第196号

「住吉踊り」と「かっぽれ」 「住吉踊り」は、現在では世間から忘れられた存在だが、広重の『名所江戸百景』(安政三~五年(一八五六~一八五八)刊。日本橋通一丁目略図)の画材に取り上げられたほど、江戸庶民には馴染みが深かった。  発祥は、大坂住吉神宮寺(すみよしじんぐうじ)(=住吉神社別当寺。明治初年(慶応四年)神仏混淆…
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大道芸通信 第195号

 『風俗画報』が載せる雑業    江戸市中世渡り種(十一) 文字焼(もじやき)  饂飩粉(うどんこ)に砂糖を加えたものを種にして、鉄板の上に流しながら文字や絵を書き、焼きながら売った。場合によっては集まった子供たちへ種を売り、自分で焼かせたから、そこそこ人気があった。後の鼈甲(べっこう)飴売りと似ているが、…
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大道芸通信 第194号

記憶(臆)術 最近はあまり聞かなくなったが、「忍術」や「催眠術」と並んで「記憶術」と云う言葉は大変人を引きつける。しかし三者何れも修得した話を聞かないのも共通事項である。そんな胡散臭い記憶術が日本へ伝わったのは明治二十年(一八八七)頃だが、宮武外骨は『奇態流行史』で次のように述べる。 記憶術の伝授 米国紐…
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大道芸通信 第193号

 『風俗画報』が載せる雑業    江戸市中世渡り種(十) ・ほしみせ   露店のこと。『守貞漫稿』は云う。 《乾し見世・天道ぼし   京坂にて「ほし見世」といふ。江戸にて「てんどうぼし」と云ふ。路上に筵を敷き、諸物をならべ商ふ。その品定まりなしといへども、古道具を専らとす。あるひは古書籍〔脱文〕 「天道乾…
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大道芸通信総目録(三) 第151号~第220号

大道芸通信 総目録(三)(第151号~第220号) 第151号  大道芸通信総目録(二) ― 第81号から第150号まで ― 第152号  『炭坑物語』(山本作兵衞著) 俗称『山本作兵衞ノート』中の大道商人        外来行商及芸人 ①山伏 ②六部 ③遍路さん ④淡島様 ⑤稲荷様 ⑥鍾■(偏=其・旁=机の …
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大道芸通信 第192号

続々 二八蕎麦 江戸を語る場合この人を外して語る訳には行かない、そう云われるほど江戸の考証をした人が三田村鳶魚である。二八蕎麦についても、値段か配合割合かについて各種史料を並べて考察し、最後に自分の出した結論を述べている。 鳶魚によると、二八蕎麦論論争の始まりは幕末からのようである。と云うより、その頃から配…
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大道芸通信 第191号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(九) ・角 力(すもう) 『日本書紀』によると、角力(相撲)の始まりは、垂仁天皇七年(紀元前二十三年)七月七日に、野見宿禰と當麻蹶速(当麻蹴速)が「捔力」で戦ったこととされる。結果は、宿禰が蹴速を蹴り技で脇骨と腰を折り殺して勝利した。これによって宿禰…
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大道芸通信 第190号

 思い入れや俗説を排し、逐一原典で確認!    斯界待望の書 第一弾 『江戸の大道芸人』遂に刊行 ー庶民生活の共生ー (著者)光田 憲雄 (版元)つくばね舎 (発売)地歴社 …
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大道芸通信 第189号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(八) ・千日坊主   「千日回峰」(=天台宗において、不動明王と一体化するための修行。比叡山のものが著名)ならぬ「千日祈願」と称し、横腹に「千日」と書いた手桶を提げ、鉦を叩きながら喜捨を求め歩いた。何の取り得も技術もない者が、生活のために編み出した。 なお、似たよう…
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大道芸通信 第187号

佃 踊 (念仏踊) 天正十八年(1590)に徳川家康が豊臣秀吉から江戸への引っ越しを命じられた際、摂津国西成郡佃村(=大阪市西淀川区佃)の漁師一行へ荷物を運ばせた。ところがその時の漁師一行三十三(三十四)人が、そのまま江戸へ居付くことになった。  当初は小石川網干坂・小網町等へ住んでいたが、正保二年(1645…
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大道芸通信 第186号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(七) 夜 鷹 (本紙172号参照) …… 最下等の売笑婦。かけそば(二八そば)一杯十六文の時代に一回が二十四文。         霜天にいただき  二十四文なり            単価が安いので数をこなさにゃならず、人目があろうがなかろうが、…
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『嬉遊笑覧』が述べる「南京」の意味について     光田 憲雄

「「南京玉すだれ」発生と名称変遷史      光田 憲雄」について  文政(1818~1830)から幕末(~1868)にかけての日本で「南京」と云う場合は、『諸芸口上集』が述べるように都市名ではなく、「小さく珍しく愛らしいもの」のことであり、「元から日本にあるものとは違うもの・異なるもの」を意味した。だから、文政十三年(1830)に刊…
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大道芸通信 第185号

わいわい天王と  牛頭天王・蘇民将来  天狗の面をかぶった「わいわい天王」が「牛頭天王」のお札を配ったことは、本紙の読者なら先刻ご承知だろう。それ程親しまれた牛頭天王が、世間から姿を消したのは「てんのう」と云う響きが明治政府に嫌われたからである。 「牛頭天王」は元来、インドの祇園精舎の守護神だが、日本で定着するま…
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大道芸通信 第184号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(六)   ●いなりすし  正一位稲荷大明神の使い、狐の顔をあしらった幟を立てた屋台店。油揚げは狐の大好物とされるところから、今でも寿司飯を油揚げの中に入れた寿司を稲荷寿司と呼ぶ。夜鍋職人や大店の小僧などが得意であった。関東の稲荷寿司は長方形だが関西の稲荷…
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大道芸通信 第182号

「街角」と「葭簀小屋」の芸能   「梅原白髯師追悼公演!」本日開演        日 時  二〇〇九年三月一日(日)  一三時三〇分~一六時三〇分      会 場  JRA浅草パークホール(浅草六区) …
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大道芸通信 第183号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(五) 万 歳 (本紙146号参照) 太夫と才蔵がペアを組み、新年の祝歌を歌いながら家々を廻り祝儀を請うた。 狐 舞(きつねまい)  狐の面を被り、両手に御幣、又は御幣と鈴を持って舞い鳥目(=穴あき銭)を受けた。『絵本風俗往来』が書くように、吉原で大晦日に行…
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大道芸通信 第181号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(四) 大黒舞  大黒様の出で立ちを真似た頭巾と面を被り、三味線を弾いて門付けした。昔は京都や江戸にもいたが、天保年間には大坂にだけいた。 かげ芝居  影芝居、陰芝居と書いたように、陽の当たらない暗い場所・屋根船の中等で役者の声色を真似て芝居をした。幕末には隅…
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大道芸通信 第180号

「街角」と「葭簀小屋」の芸能   梅原白髯師記念公演!        日 時  二〇〇九年三月一日(日)     一三時三〇分~一六時三〇分      会 場  JRA浅草パークホール(浅草六区) …
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大道芸通信 第179号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(三) 網すき 漁網を編むことである。深川、佃辺の海辺に住む猟師の女房抔が内職にした。 薬 舗  薬草などを包丁で刻み、或いは薬研で粉にした薬を調合し秤で量って売る店。生薬屋とも云う。 芸 妓  三味線・笛・鼓を奏し、歌や踊りで客を楽しませることを業とする。…
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大道芸通信 第178号

「街角」と「葭簀小屋」の芸能   梅原白髯師記念公演!        日 時  二〇〇九年三月一日(日)     一三時三〇分~一六時三〇分      会 場  JRA浅草パークホール(浅草六区) …
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大道芸通信 第177号

『風俗画報』が載せる雑業 江戸市中世渡り種(二) 紺 屋(こんや) 紺屋は元来藍染屋のことを指していたが、後には染物屋を意味するようになり「こうや」とも呼ばれた。図は伸子(=布をピンと張らせるため、布の左右へ弓形に刺す竹串)を刺している所。 たばこきり(莨切) 莨の葉を細く切り刻莨を作る職人。賃粉切とも…
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大道芸通信 第176号

故梅原白髯師追悼公演決定!      日 時  二〇〇九年三月一日(日) 一三時三〇分~一六時三〇分   会 場  JRA浅草パークホール(浅草六区)           (台東区浅草二ー一〇ー一一 浅草…
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大道芸通信 第175号

『風俗画報』が載せる雑業  雑誌『風俗画報』は、明治二十二年(1889)から大正五年(1916)まで、二十七年間発行(全五一七冊)された、わが国最初の風俗グラフ誌(石版摺のち写真版)である。  藩政時代から大正時代にかけての世相や風俗、歴史等あらゆる分野に対して知的好奇心の赴くままに筆を進める。その中に「江戸市中…
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大道芸通信 第174号

四 時 代 謝 「四時代謝」は、『燕石雑志』(曲亭馬琴著/文化七年(1810)刊)巻之三の八番目に載る四時にあった雑事の記録である。四季ではなく四時であるのは、当時「新大橋」の西にあった酒楼「四季菴」を例に挙げ、次のように噛みついている。 《四季とは春の季、夏の季、秋の季、冬の季をいふなり》 その上で、《も…
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大道芸通信 第173号

 く だ す だ れ 左図は『近江表座敷八景』(柳亭種彦撰 歌川国貞画/文政八年(1825)刊)が載せる、「瀬戸明神(=金沢八景の一)祭礼の場面」である。真ん中下の方で後を振り返っている男は「くだすだれ(管簾)売り」である。 「くだすだれ」は元来、冷房のない時代の夏を、如何に涼く過ごすかの工夫である。 …
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大道芸通信 第172号

   墓所の幽霊 藩政時代は色々変わった商売があったが、中でも最右翼は「墓所の幽霊」だろう。墓石の下より亡者の幽霊が現れるさまを形に顕したと云うから、なんとも凄まじい。  その様子は左図のように、高さ二尺(=約60㌢㍍)余りの墓石を紙で作り、長期にわたって草に埋もれ苔むしたような色合いに設える。その上で別に作っておいた台石…
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大道芸通信 第171号

  粟 餅 の 曲 舂(あわもちのきょくづき) 目黒と云えば「秋刀魚」だが、藩政時代は「粟餅」であった。目黒不動へ参詣するのは、帰りに粟餅を食べるのが楽しみだからと云う人も少なからずいた。だからだろう。黄表紙第一号となった『金々先生栄華の夢』(安永四年/1775刊)も、目黒の粟餅屋へ立ち寄ることから話が始まる。  そ…
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大道芸通信 第170号

半 田 行 人 「半田行人」は、武州東葛西領金町(葛飾区金町)にある半田稲荷が発祥である。享保年間(1716~1736)に麻疹や疱瘡が流行った際、三宝院(=半田稲荷別当寺。明治初年、廃仏毀釈により廃寺)の僧侶が、茜木綿製の法衣をまとい、赤地に白抜きで「半田稲荷大明神」と染め抜いた幟を立てて、 「葛西金町半田の稲荷、…
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大道芸通信 号外

 梅原白髯師逝去  当会創立以来講師を務めて貰っていた梅原白髯師が 五月十一日午前四時 心不全のため逝去された 心よりご冥福をお祈り致します なお 通夜・告別式は左記の通りです   ・通 夜 五月十五日(木)十八時~十九時   ・告別式 五月十六日(金)十一時~十二時     何れも新宿区落合斎場…
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大道芸通信 第169号

四季の物売り √あさりしじみよー  あさり殻あさり √なっとなっとー なっと  なっとー みそまめー  朝食のおかずに間に合うよう、毎日夜明け前から来たのがこの二つである。最近はちり紙交換も滅多に来ないが、紙が大変貴重であった昔は、 √くずぅーい くずぅーい  と紙屑やぼろも買いに…
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大道芸通信 第168号

  上野と下野(谷)( = したの→や)  上野の地名発祥伝説の一つにもなった伊賀上野の殿様・藤堂高虎の屋敷を移転させてまで、天海僧正が上野に寛永寺を開いたのは、江戸城の艮(うしとら=丑寅)に位置するからである。艮(丑寅)つまり東北は鬼が出入りする場所(鬼門)として人々から恐れられていた。そんな鬼が江戸へ入らぬ…
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大道芸通信 第167号

   山猫廻と首掛芝居 「山猫廻し」(=夷舞)と「首掛芝居」(=室町源氏胡蝶巻)は、一見同じようにみえるがどうやら異なるようである。「山猫廻し」(=夷舞)は浄瑠璃に合わせて人形を舞わせる傀儡師だが、「首掛芝居」は手品遣いだからである。  『守貞漫稿』は、首掛芝居について、次のように云う。 《古の傀儡師なり。中古、江戸に…
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