大道芸通信 第172号

   墓所の幽霊 藩政時代は色々変わった商売があったが、中でも最右翼は「墓所の幽霊」だろう。墓石の下より亡者の幽霊が現れるさまを形に顕したと云うから、なんとも凄まじい。  その様子は左図のように、高さ二尺(=約60㌢㍍)余りの墓石を紙で作り、長期にわたって草に埋もれ苔むしたような色合いに設える。その上で別に作っておいた台石…
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大道芸通信 第171号

  粟 餅 の 曲 舂(あわもちのきょくづき) 目黒と云えば「秋刀魚」だが、藩政時代は「粟餅」であった。目黒不動へ参詣するのは、帰りに粟餅を食べるのが楽しみだからと云う人も少なからずいた。だからだろう。黄表紙第一号となった『金々先生栄華の夢』(安永四年/1775刊)も、目黒の粟餅屋へ立ち寄ることから話が始まる。  そ…
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大道芸通信 第170号

半 田 行 人 「半田行人」は、武州東葛西領金町(葛飾区金町)にある半田稲荷が発祥である。享保年間(1716~1736)に麻疹や疱瘡が流行った際、三宝院(=半田稲荷別当寺。明治初年、廃仏毀釈により廃寺)の僧侶が、茜木綿製の法衣をまとい、赤地に白抜きで「半田稲荷大明神」と染め抜いた幟を立てて、 「葛西金町半田の稲荷、…
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大道芸通信 号外

 梅原白髯師逝去  当会創立以来講師を務めて貰っていた梅原白髯師が 五月十一日午前四時 心不全のため逝去された 心よりご冥福をお祈り致します なお 通夜・告別式は左記の通りです   ・通 夜 五月十五日(木)十八時~十九時   ・告別式 五月十六日(金)十一時~十二時     何れも新宿区落合斎場…
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大道芸通信 第169号

四季の物売り √あさりしじみよー  あさり殻あさり √なっとなっとー なっと  なっとー みそまめー  朝食のおかずに間に合うよう、毎日夜明け前から来たのがこの二つである。最近はちり紙交換も滅多に来ないが、紙が大変貴重であった昔は、 √くずぅーい くずぅーい  と紙屑やぼろも買いに…
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大道芸通信 第168号

  上野と下野(谷)( = したの→や)  上野の地名発祥伝説の一つにもなった伊賀上野の殿様・藤堂高虎の屋敷を移転させてまで、天海僧正が上野に寛永寺を開いたのは、江戸城の艮(うしとら=丑寅)に位置するからである。艮(丑寅)つまり東北は鬼が出入りする場所(鬼門)として人々から恐れられていた。そんな鬼が江戸へ入らぬ…
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大道芸通信 第167号

   山猫廻と首掛芝居 「山猫廻し」(=夷舞)と「首掛芝居」(=室町源氏胡蝶巻)は、一見同じようにみえるがどうやら異なるようである。「山猫廻し」(=夷舞)は浄瑠璃に合わせて人形を舞わせる傀儡師だが、「首掛芝居」は手品遣いだからである。  『守貞漫稿』は、首掛芝居について、次のように云う。 《古の傀儡師なり。中古、江戸に…
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大道芸通信 第166号

  金毘羅行人  目黒駅から権之助坂を通り抜けて山手通りとの交差点を渡ると左側角地に大鳥神社がある。この大鳥神社前の舗道に金毘羅坂と彫られた石碑が建っている。これが曾て道路を挟んで反対側に広大な敷地を持つ「金毘羅権現社(高憧寺)」があったことを示す唯一の物証である。 『江戸名所図会』は、「御城南鎮護神(=江戸城南方守護神…
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大道芸通信 第165号

          節季候と鳥追  十二月も二十日を過ぎると、正月の準備で忙しくなることは昔も今と変わらない。消防の鳶の者が辻々へ小屋をしつらえ〆飾りを商いだすと、誰でも新年が近いことを思った。  一夜飾りは良くないと云って、大晦日の前日までには正月の飾り付けを終えるのが習わしだが、実際には間に合わない人も大勢いる。そんな…
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大道芸通信 第164号

   山伏と香具師  修験道は、峻険な山岳地帯に修行の場を求める日本古来の山岳信仰に、外来の道教等が習合されたものと云われる。また教義よりも行を重んじる実践の宗教である。だから護摩を焚き祈祷を行い難行苦行の末に霊験を得ようとするのである。当然、教典通りにならないことも多く、状況に応じた判断や対応を迫られることも多々ある…
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大道芸通信 第164号

   山伏と香具師  修験道は、峻険な山岳地帯に修行の場を求める日本古来の山岳信仰に、外来の道教等が習合されたものと云われる。また教義よりも行を重んじる実践の宗教である。だから護摩を焚き祈祷を行い難行苦行の末に霊験を得ようとするのである。当然、教典通りにならないことも多く、状況に応じた判断や対応を迫られるこ…
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大道芸通信 第163号

   半 日 閑 話 「半日閑話」は、太田南畝(蜀山人)の「街談録」(=明和五年(1768)から文政五年(1822)までの五十四年間に、巷でおきた雑事の見聞録。南畝が二十歳から七十四歳までにあたる。全二十二冊)を元とし、南畝の死(文政六年四月)後、編者(姓氏未詳)が、加筆し、全二十五巻に纏めたものである。 これに当…
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大道芸通信 第162号

  続二八そば 以前(第143号)二八そばのことを書いた際、「二八とは値段であって、蕎麦粉と小麦粉の割合ではない」と結論づけた処、色々反論を貰った。その中で一番多かったのは、 「そばの値段が十六文(二×八)だったのは、藩政時代後期の七八十年だけじゃないか。それ以前、十六文より安かった頃の説明をどうする」とい…
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大道芸通信 第161号

ディアボロと輪鼓 先般行われたヘブンアーティストコンテストで、洋物大道芸を披露した人の多くはディアボロもしていた。だからディアボロは外国から来たものと思われているが、日本にも同じ形をした「輪鼓(りゅうご)」と云うのが昔からあった。 『明治風物誌』は著者柴田宵曲の没後、『秋田魁新報』に連載され(昭和43年1月4日~4月…
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大道芸通信 第161号

   ディアボロと輪鼓 先般行われたヘブンアーティストコンテストで、洋物大道芸を披露した人の多くはディアボロもしていた。だからディアボロは外国から来たものと思われているが、日本にも同じ形をした「輪鼓(りゅうご)」と云うのが昔からあった。 『明治風物誌』は著者柴田宵曲の没後、『秋田魁新報』に連載され(昭和43年1月…
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大道芸通信 第160号

   新 内 流 し 新内は鶴賀(岡田)新内に由来する浄瑠璃の一流派である。浄瑠璃は室町時代に、遊行僧の伝える平曲(=琵琶を伴奏に平家物語を語る)から発生したが、『浄瑠璃十二段草子』(浄瑠璃物語=浄瑠璃姫と牛若丸の話)の大ヒットに伴い「浄瑠璃」と呼ばれるようになったと云う。  永禄年間(1558~70)に琉球(=沖縄)…
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大道芸通信 第159号

  思いこみ  √汽笛一声新橋をー で始まる鉄道唱歌の一番なら誰でも知っているが、二番三番を知っている人は殆どいない。鉄道愛好者であった内田百間は、全部歌えると自慢していたが、弟子のヒマラヤ山系に云わせると少々怪しかったようである。それでも三番ぐらいまでなら間違いなく歌えた。   窓より近く品川の 台場も見えて波白く …
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大道芸通信 第158号

  上 野 山 下 今でも上野公園は大道芸のメッカだが、藩政時代もまたそうであった。浅草奥山や領国広小路と共に、見世物小屋が建ち並び大道芸人なども盛んに活躍していた。  但し、当時は現在の公園部分は全て寛永寺の境内だったから、活動場所は山下と呼ばれる所に限られていた。  山下とは、上野の山(=東叡山)の下の…
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大道芸通信 第157号

          香具師 香具師は元来薬師である。だから製薬会社と同じ「神農」を職業神として祀る。反面香具師を辞書で引くと、《縁日・祭礼など人出の多いところで見世物などを興行し、また粗製の商品などを売ることを行とするもの。てきや》(『広辞苑』)とあり、《いかがわしい商品を売る商人。(ねらいが当たれば利益を得るところから…
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大道芸通信 第156号

「すたすた坊主」と「まかしょ」、「わいわい天王」 「すたすた坊主」も「まかしょ」も元来願人坊主である。 願人坊主とは『嬉遊笑覧』が、《代待ち、代垢離かき等して有りしもの故願人とは云ふなり》と記すように、願掛けに伴う面倒事を代行してくれた坊主のことである。  困ったときの神頼み。誰でも、にわか信者になるが、神頼みを…
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大道芸通信 第155号

   明治東京名所に現れた大道芸人たち 江戸が東京に変わっても、庶民の生活は藩政時代と変わりがないことは以前にも書いたが、それでも少しずつは変化していた。そんな時代の東京風俗や名所を絵と文に残したのが『風俗画報』(明治二十二年〈一八八九〉~大正五年〈一九一六〉東陽堂刊)であり、これの臨時増刊として発刊された『新撰東京名所…
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大道芸通信 第154号

続膝栗毛 六編(十返舎一九著)より 中津川宿の大道芸人 東海道の旅を終えた弥次さん喜多さんは、引き続き四国の金毘羅さんや、安芸の宮島参へ行き、折り返しは草津から木曾街道へ入った。旅を続けながら中津川宿に着いたら、なにやら人だかりがしていた。固より好奇心の強い二人、早速覗いてみたら手妻(てづま=日本の手品)をし…
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大道芸通信 第153号

   明治東京の大道芸人 江戸が東京に変わっても、庶民はすぐに変われない。大道芸もまた然り。藩政時代と同じ生活を続けていた。  しかし、時代の波は容赦ない。いつのまにか歴史の向こうへ追いやってしまう。しかも大てい正史に残らない。そんな風潮を嘆いた人が明治にも居た。それが平出 次郎であり、思いを『東京風俗志』全三巻に…
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大道芸通信 第152号

『炭坑物語』(山本作兵衞著)     俗称『山本作兵衞ノート』中の大道商人 私が目にしたのは九州大学石炭資料館所蔵のコピーだが、大学ノート六冊にびっしり書かれたものである。これが『筑豊炭坑絵巻』や『筑豊炭坑絵物語』を描くための元と知ったときは感動した。中でも二冊目(No.2)の表題に「思いで 離し」と名づけてあるのを発…
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大道芸通信 第151号

     大道芸通信総目録(二)        ー第81号から第150号までー  のはずであつたが、色々工作している間に間違えてデータを消してしもうたようである。幸いゲラ刷りが1枚だけ残っていたので、それを元に「本紙」だけは何とか発行することができた。しかし、もう一度打ち直すほどの元気はない。少々醜いかも知れ…
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大道芸通信 ジャンル別総目録(創刊号~第220号)

号数 区分 (解説説明)(含取材・引用等) 1 日本の大道芸について ー外国との違いー 3 見世物 「地獄極楽」のルーツ 地蔵和讃の元祖恐山へ行く 4 修験道と香具師 5 彦山修験と香具師 9 砂糖の600倍甘い 原子爆弾糖殺人事件 10 昔(約三十年位前)あった商売 17 『放浪…
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大道芸通信 第150号

のぞきからくりは    最新ニュースの伝達手段であった! 今どき「のぞきからくり」と云っても大ていの人は知らないし、知っている人でも「『八百屋お七』や『不如帰』やろ。そんな大昔の話なんか、どうでもええじゃないか」と相手にされないのがオチである。  確かにその通りだし自分でもそう思う。しかし、かつては最新巷談を世間に伝え…
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大道芸通信 第149号

   飴売り競演  街頭で飴を売ることは江戸中期から行われた。『続飛鳥川』は、明和年間(一七六四~一七七二)のこととして、四谷に住む土平という飴売りが左図のような出で立ちで歌いながら飴を売っていたと記す。則ち表は黄色、裏は紅絹色の袖無羽織に黒色の共襟をかけ、太い紐で結び浅黄の木綿頭巾をかぶり、飴を両掛けにして日傘をさしていた。 …
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大道芸通信 第148号

新粉細工と飴細工   新粉は元々糝粉と書いたように、精白した粳米を水洗して乾燥し、臼でひいて粉にしたもののうち、上質のものを云う。団子、粽、煎餅等の材料とするが、練って花、鳥、人物などの形を作ったりもした。これが新粉細工である。  一方の飴細工は、白飴で人物や鳥類、花等を作ったもの。白飴は、水飴を煮…
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大道芸通信 第147号

        かっぽれ  大道芸に家元制度があるのもおかしな話だが、それ以上におかしいのが「かっぽれ」を江戸芸と呼ぶことである。 由緒正しい? 能や歌舞伎さえ、実際以上に自分を飾り立てるが、興味のない人にとってはまるで意味はない。  人の気持ちは、十年経てば昔からだし、廿年過ぎたら親の代からと云う。江戸が消えた明治に始ま…
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吉祥寺雑学大学でお喋りと実演をします

今度、村立吉祥寺雑学大学で大道芸のお喋りと実演をすることになりました。 生きていく上では、決して役に立たないおはなしばかりしますので、ご用とお急ぎのある方もない方もぜひおいで下さい。 終わってから、お酒を美味しく飲むためにも(歩いてすぐの所に安くて量のある、超ユー名な焼鳥屋もあるでよ。どなたもご一緒しませう)、落差は大きい方が楽しい…
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大道芸通信 第146号

香具師と乞胸  今は舞台でしか演じられる事のない能や歌舞伎も含め、全ての芸能は大道に始まる。  藩政時代、江戸の町では、浅草や両国に限らず、辻や寺社の空き地など、至る所で大道芸人が活躍していたことはよく知られる。しかし、香具師とそれ以外では、演じる目的がまるで異なる事を知る人は少ない。  香具師は元来薬師であり…
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大道芸通信大145号

パ ノ ラ マ 館  パノラマとは「ギリシャ語のPan Horama(全ての景色)が語源であり、人間の全視界三六〇度にわたって見える景観のことである」と、穂積和夫氏が述べている通りである。  従って、パノラマ館とは人間の視界が捉える景観を再現・展示する巨大な円形または多角形建築物のことである。  臨場感を高め、リアル…
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大道芸通信 第144号

  阿 呆 陀 羅 経  阿呆陀羅経とは、上方語の「阿呆」または「あほんだら」と「陀羅尼経」を ひっつけた合成語である。阿呆は説明せんでも解ると思うが、「呆」の方にウエイトがあり、愚かなことを意味する。じゃあ「阿」はなんだと云う事になろうが、親しく呼ぶ時の接頭語である。一方、陀羅尼はちょっと難しい。広辞苑をひくと何やら難しい…
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ガマの油は何時から筑波山になったか     光田憲雄

 今、大道芸といえば、ガマの油。ガマの油といえば筑波山と、相場は決まっている。それが証拠にガマ公園へ行くと『ガマ口上発祥の地』の石碑が建っているし、何代目かを称する永井兵助(ながいひょうすけ)も健在だ。疑う余地はない。 永井兵助といえば松井源水(まついげんすい)と並んで、藩政時代には江戸を代表する香具師(やし)であった。 …
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バナナの叩き売り略史        光田憲雄

  ●日本人とバナナの出会い 万延元年(1860)3月 日米修好通商条約批准使節団一行が、日本人として初めてバナナ               を食す(ハワイ/フレンチホテル) 文久二年(1862)   八丈島移民団、小笠原諸島にてバナナを食す ~明治5年(1872)  …無花果・芭蕉実等時々珍味可無際限也『頭書…
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「南京玉すだれ」発生と名称変遷史      光田 憲雄

 日本の大道芸を知らない人でも、 「がまの油売り」と「バナナの叩き売り」と「南京玉すだれ」なら、大抵知っている。少なくとも名前ぐらいは聞いたことがある人は多い。  しかし、それがいつ頃始まったかについては、演じている人でも知っている人は少ない。とりわけ「南京玉すだれ」は、まことしやかな虚説がはびこっているのが実情だ。そこで、少しでも間…
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大道芸通信 第143号

二 八 そ ば  蕎麦通の人に「二八蕎麦」の意味を尋ねると、即座に「そば粉」八割に繋ぎの「うどん粉」二割のことである、と答えておしまいである。それでも時には「二八十六」、つまり「かけそば」一杯の値段が十六文であったことから来ていると、答えてくれる人もある。  現在では圧倒的に「そば粉派」の方が強いが、少数意見のほうに興味があ…
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大道芸通信 第142号

庶民の娯楽と大道芸史  今大道芸と云うと、南蛮お手玉や形態模写など洋物ばかりを指すようになったが、日本にも古来から伝わる様々な大道芸があった。外国のものは芸能系であり芸自体が商品だから、見た人からは当然のように投げ銭を受ける。  これに対し日本の大道芸は、同じように投げ銭を受けるものもあった(芸能系)が、人集めの手段として…
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大道芸通信 第141号

 淡 島 様(『江戸名所図会』巻之一/藪小路)  紀州和歌山の加太淡島神社は、昔から婦人病に霊験があることで知られている。その淡島神社の案内書を見ると次のようにある。 「祭神は少彦名尊(高皇産霊尊の子供)だが、大己貴尊(大国主命)と力を合わせ、心を一にして天下を経営し、疾病祓除の神誓があったので、本朝医薬の祖とする(仏…
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大道芸通信 第140号

   江戸の雑業 人生山あり谷ありとはいうものの、均したらそう見えるだけの話、山の人が谷に落ちることはあっても、谷から山へあがることは滅多にない。生まれついての谷底暮らしや山から落ちた人たちが生きんが為に考え出したのが、江戸の雑業である。中でも宗教にひっかけたものが多いのは、せめて来世は幸せでありたいと願う庶民の、ささやか…
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大道芸通信 第107号

  菊細工・生(活)人形から菊人形へ 菊人形が始まったのは、享保年間(一七一六~一七三六)に、染井の植木職人が花壇菊を造ったのが始まりという。 これがやがて、千石船や五重塔などの作り物(菊細工)へと発展するのである。  一方同じ頃の大坂では、大江忠兵衛が歌舞伎役者をモデルに等身大の人形を造り「生人形」と名づけて、大当たりを…
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大道芸通信 第139号

わいわい天王 先般終了した「大道芸絵巻 江戸・東京の賑わい」で二百年ぶりに「すたすた坊主」を復活したら、大変な反響であった。そこで外にもないかと聞かれたので、「まかしょ」(本紙第135号挿絵参照)と「わいわい天王」を紹介したら、「わいわい天王とはなんだ」と聞かれた。 わいわい天王とは、天狗の面をかぶり子供を集めては…
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大道芸通信 第138号

平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭 参加公演  大道芸絵巻  江戸・東京の賑わい大盛況で終了 去る十月二十九日(土)に開催した「大道芸絵巻 江戸・東京の賑わい」は、立見が出たほどの大盛況で終えることが出来た。これも会員や仲間の皆さんの努力のたまものと誇っていい。 また、アンケートの回収率の良さも吃驚するほどであった。普…
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大道芸通信 第137号

平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭 参加公演   大道芸絵巻  江戸・東京の賑わい ぷろぐらむ          公演日 十月二十九日(土)           開場 一二時三〇分           開演 一三時〇〇分           終演 一五時三〇分     場所 烏山区民センター 大ホール    (…
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大道芸通信 第136号

 平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭 参加公演    大道芸絵巻  江戸・東京の賑わい         日時 十月二十九日(土)十三時~十五時三十分                  場所 烏山区民センター大ホール (京王線「千歳烏山駅(急行停車駅)」下車 徒歩一分) 演目 がまの油売り バナナの叩き売…
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大道芸通信 第135号

第60回記念  文化庁芸術祭 参加公演決定!      大道芸絵巻  江戸・東京の賑わい         日時 十月二十九日(土)十三時~十五時三十分                  場所 烏山区民センター大ホール (京王線「千歳烏山駅(急行停車駅)」下車 徒歩一分) 演目 がまの油売り バナナの叩き…
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大道芸通信 第134号

 大道芸絵巻 第二弾!  江戸・東京の賑わい 開 催!    日時 十月二十九日(土)           十三時~十五時三十分    場所 烏山区民センター大ホール 演目 がまの油売り バナナの叩き売り 南京玉すだれ カッポレ すたすた坊主 浅利売り 納豆売り 飴売り 大原女 朝顔売り 辻占売り ほか多…
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大道芸通信 第101号

 バナナの叩き売り      発祥地は本当に門司か?  門司港駅前から海と反対側に百㍍ほど歩くと、左側旅館の植え込みの中に「バナナの叩き売り発祥の地」碑がある。それが左の写真である。嘘か真事か、最近ではこの碑を根拠に、発祥説を唱える者さえあると聞く。しかし、この碑は町おこしの観光用であり、旧くは下関が発祥と云われて…
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