大道芸通信 第310号

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山東京伝作
 『松梅竹取談』( まつとうめたけとりものがたり)

『松梅竹取談』(歌川国貞画)は、文化六(1809)年に刊行された合(ごう)巻(かん)(黄表紙=五丁一冊=を数冊分合わせて一冊にしたもの。文化年間=1804~1818以降流行。これにより、長編噺が出来るようになった)である。この合巻に、「人面疔」(ちよう )を発症した乞食坊主が通行人へ見せて投げ銭を受ける話が出てくる。
《大津の宿外れに一人の乞食坊主、腹に恐ろしき人面疔を発したるが、「女の執念にてかかる悪瘡をはっしぬ。それゆへ一念発起して頭を剃り、かく諸人に恥を晒して罪を滅するなり」と、その因果物語をして念仏唱へ、鉦打ち鳴らして銭を貰ふ。往来の人立ち止まりこれを見て、さても因果の報ひの恐ろしさよ、と感じて、我も我もと銭を投げ与ふること、嵐の木の葉に異ならず》
 実はこの坊主は吉野山の奥に住む怪玄という修験者で、妖術使いなのである。その妖術の一例を示すと、左記のよう。
《呪文を唱へて手に持ちたる鉦と撞木を空に投ぐれば、たちまち鷺と烏に化して食合ひけり。諸方(人名=後に怪玄の雇用主)これを見て、奇異の思ひをなしける内に、怪玄手をもって招けば、やがて地に落ちて元の鉦と撞木になる》
 最後に、人面疔も妖術てあったことがわかる。商売の口上は左記のようであった。
《「お立ち会いの旦那方、これ御覧(ごろう)じろ。此人面疔、きょろきょろと目を動かして人を見ます。物を食はんとするときはしきりに痛みます。焼(やき)飯(めし)、水菓子類を食はすれば、むしゃむしゃと食ひ、痛みが去ります。今に物を食はせて見せましゃう」》
 この物語は、当時大評判であった「戸塚の大金玉」を参考に組立てたのであろう。

ヴァイオリン演歌③ 楽四季一生

尾崎紅葉と金色夜叉

○尾崎紅葉(1867~1903)
 慶応三年十二月十六日、芝の増上寺の門前町、芝中門前町で生まれる。「紅葉」という号は増上寺境内の丘陵紅葉山からとった。
 明治三十年一月一日~二月二十三日、読売新聞に「金色夜叉前編」を掲載。以後、明治三十五年五月十一日まで、「後編金色夜叉」「続金色夜叉」、「続々金色夜叉」、「続々金色夜叉続編」と断続的に掲載。明治三十六年十月三十日、牛込横寺町の自宅で胃癌にて没す。三十六才。

尾崎紅葉
☆金色夜叉の唄(新金色夜叉の唄)  作詞 宮島郁芳 作曲 後藤紫雲
   一般に知られている「金色夜叉の唄」は実は「新金色夜叉の唄」が正しい題名。

「金色夜叉の唄」 は明治四十二年、添田唖蝉坊が作ったものだが、こちらはあまり流行しなかった。
   風景描写が長々と続き、ヒロインお宮がなかなか登場してこなかったのである。
それが、大正七年に出た新の方では、「熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人づれ」といち早く二人が登場する。通俗的なこちらの方が大衆にはわかりやすかったのだ。

♪金色夜叉の唄(新金色夜叉の唄)(大正七年)
 熱海の海岸 散歩する 貫一お宮の二人連れ
共に歩むも 今日限り 共に語るも 今日限り

関東大震災 
大正十二年九月一日十一時五十八分三十二秒頃、マグニチュード(M)7.9の大地震。
百九十万人が被災、十万五千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる。
隅田川近くにあった旧陸軍被服廠跡(ひふくしよう )の広い空き地では、火災旋風(火の竜巻)が襲い,避難者四万人のうち、約三万八千人が亡くなった。この事を唄った「被服廠の哀歌」という唄もある。

♪船頭小唄 

 俺は河原の 枯れすすき 同じお前も 枯れすすき
 どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき
    
 野口雨情の元の詩は「枯れすすき」。中山晋平が作曲した。大正十年に「船頭小唄」に改題、大流行した大正十二年松竹蒲田撮影所で岩田祐吉・栗島すみ子主演で映画化。映画主題歌のはしりとなった。
 震災後、「枯れすすき 枯れすすき」と唄っているから、東京中が枯れすすきになったじゃないかと言われ、船頭小唄は一時期唄わなくなっていた。それでも根強い人気のある唄で戦後、森繁久弥がモリシゲ節で唄い、リバイバルヒットした。

♪復興節 (大正十二年)

家は焼けても江戸っ子の 意気は消えない見ておくれ
アラマ オヤマ たちまち並んだバラックに
夜は寝ながらお月様眺めて 帝都復興 エーゾ エーゾ

 震災直後に添田知道が作った応援ソングが「復興節」。
 知道は、焼け残ったが暗く沈んだ日暮里のせまい横丁で、自分が作った被害の状況を綴った「大震災の唄」をおそるおそる唄ってみた。こんな時に気楽に唄など唄って大丈夫かと思いながら。すると薄暗い家から飛び出してきた人々にかこまれ、持っていた一部二十銭の唄本百部がたちまち売り切れた。そこでこの「復興節」を唄った。するとさわやかな笑い声がおこってきた。 どんな暗い状況でも人々は唄を求め、活字を欲しているのだとわかったという。

○鳥取春陽(1900~1932) 
演歌師・作曲家(岩手県新里村=現宮古市=出身)
 大正時代を代表するデュエットソング「籠の鳥」を作曲。「この唄は教育上よろしからず」と、小学校で唄うのが禁止になったほど大流行。春陽は作詞作曲そして演歌師としても大活躍。三十一才で死亡。

♪籠の鳥 (大正十三)年

逢いたさ見たさに 怖さを忘れ 暗い夜道をただ一人
逢いに来たのに なぜ出て逢わぬ 僕の呼ぶ声忘れたか 

♪他に、♪ピエロの唄 ♪馬賊の唄 ♪赤いばら ♪すたれもの 等多数作曲

〇松崎ただし(作詞家) 

♪月は無情(大正十五年) ―明治、大正演歌の最後を飾る名作と言われる

月は無情というけれど コリャ 主さん月よりなお無情
月は夜出て朝帰る  コリャ 主さん今来て今帰る 

 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、日本庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に覚えませんか。練習日は左記の通りです。
●第三〇七回目 十二月十三日(水(すい))

●第三〇八回目 一月十日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人のために、学習会や伝承会も行っています。
●日時 ・場所(随時)
 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知……現在不調のため、HPにエラーが出ますが、当会の活動をやめたわけではありません。しばらくお待ちください。

編集雑記
本紙作成中にパソコンへ水をかけてしまった。わざとじゃないが、誤ってかけようがどうかに関係なく結果は同じ。濡れたパソコンは使えない。本紙も楽四季さんの書いた二面(この頁)は、先月作っていたからいいが、一面が間に合わない。しょうがない、手書きにするか、一旦そう決めたが、よく考えれば、もう一台旧いパソコンがあった。そう思いついて、騙(だま)し騙し作ったのが本号である。内容は兎も角、大変な苦労の賜物であることをただいいたかった。

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