大道芸通信 第313号

画像画像か ん か ん の う

「かんかんのう」は、幕末から明治にかけて流行った俗謡である。別名を唐人踊りとも言われたように、唐人服で踊っていた。元歌が清(しん)楽(がく)の「九(きゆう)連(れん)環(かん)」に由来するとされるからである。但し、歌詞も曲節もだいぶ殊なるようである。

日本で踊られたはじめは、文政三年(1820)に長崎の人が難波堀江(大坂)の荒木座で踊った「唐(とう)人(じん)踊(おどり)」とされる。
文政五年には、江戸でも踊られた。『武江年表』はいう。

《春より葺屋町河岸において、唐人踊の見世物を出す(カンカン踊と云ふ。踊の末に大なる蛇の作り物を遣うふ)。世に行はれて両国深川等へも出す。諸人これを真似たり(再び云ふ。この踊りは大坂より始まりたるよし也。蛇を遣ふ事は『清俗紀聞(しんぞくきぶん)』の図中に拠れるところなりと云ふ。

かんかんと てる日にそだつ ひる顔は つるつてとんと 庭をはふ    蜀山人
かんかんの 氷も今朝は 解そめて きはきで匂ふ 窓の梅がえ      同

筠庭云ふ。かんかん踊り見世物、先づ一人出て棒をつかうことあり。次に蛇をつ此の時用ひたる胡弓は、竹にて作りたる柄杓やうなる提琴にはあらず。木にて作りたるなり。胴は片面のみ皮を張りたるなり。摩るには細竹に松脂を粉にしたるを振りかけて用ふ。馬毛を用ひたり。(声言ふ。カンカン踊は長崎より始まれり)》      (『武江年表』

かんかんのうきうれんす
きゅうはきゅうれんす
さんしょならえ 
さあいほう にいかんさん
いっぴんたいたい やめあんろ
めんこんふほうて しいかんさん
もへもんとはえ
ぴいほう ぴいほう

 今も保存会が唄い踊り続けている、群馬県上野村乙父神社の「かんかんのう」の歌詞は左記のようである。

かんかんのう きゅうのりす
きわきゅです さんしょならえ
さーいほーい みいかんす
いっぴんだいだい やははんろ
ちんぴがからくて すいかんす
ステツルシャンシャン

『雲錦随筆』(文久二年=1862)にも次のようにある。

年々歳々難波新地および所々の芝居に於て種々の技芸珍奇の獣類を観物に興行すすといへども流行あり、流行らぬ有て、興行人の損益甚し。就中近 来さのみ賞すべき者ならずして流行をしは、文政三年辰の春、難波堀江荒木の芝居に於て看々踊と号し、清朝の出扮(いでたち)にて異様成(なる)踊を興行せり。其の囃子の鳴もの、踊りの形勢(ありさま)いと珍しとて、屡々流行し前後に双な(ならび )き大当な(おおあたり )りし(其の後時々他所にて興行なせども初のごとくならず)今も猶、風色のこりて諷(うた)ひはやせり。看々踊
是は踊の図には非ず。始めて楽屋より発(いづ)る所の形勢(ありさま)なり。又踊終りて楽屋に入るにもかくの如し。但し、踊の風色(やうす)は世人専ら知る所なれば、ここに略す。装束は図の如く濃茶(こきちや)色の木綿の如し。若しくは唐木綿ならんか。
優人はいづれも崎陽(ながさき)の者のよし。案ずるに清人、彼津に滞留中戯れに踊躍(おどり)ぬるを見慣(みなら)ひし者ならんか。
胡弓の弓は竹を用ゆ。三絃には琉球風の蛇皮線也。銕 鼓とよぶもの異なる器(もの)なり。凡そ八寸余の細鉄を三角に繋ぎし器(もの)也。火箸の如き器にてこれを鼓(うつ)也。頗る其音よし。       《『雲錦随筆』》

或は鉄鼓躍ともいへり。鉄鼓は南蛮鉄を以て作るといふ。小胡弓を竹にて揩(する)など 皆外夷の風俗なるべし。太鼓は通例の器(き)にして異なることなし。又此の踊りの次に蛇をつかふことを為(なせ)り。俗に蛇踊りといふ。是は蛇の形を木綿にて作り彩色をなし、杖を以てこれを動かし遣ふこと自在なり。珠を持(もつ)たるもの、前に進んで逃(にぐ)る。是を目がけて蛇の追 (おつかく)る形勢(ありさま)、最鍛錬をし者也。按づるに蛇を遣ふことは、清朝(もろこし)にて、正月十三日より十八日まで六日の間、燈夜といひて町々家毎に門前に燈籠を燃(とも)し種々(さまざま)に飾りて酒宴のことあり。此間に行灯とて若輩籠にて龍馬獅子魚鳥の形を作り、紙或は絹にて張、これに彩色を着、其中に火
を燃し、銅鑼太鼓などにて囃し、此の燈籠をつかひ町条(すじ)を歩行(あるく)也。就中燈籠は長さ凡四、五間ばかりに造り数挺の蝋燭を燈し、多人数にて遣ふよし。清俗紀聞に見えたり。全く是に慣(なら)ひて、燈籠を転じて木綿にて作り彩色を着て是をつかひ、一曲とをし者なるべし。               (『雲錦随筆』巻之三)

 落語の中の かんかんのう

「かんかんのう」といえば、落語の『らくだ』である。
「らくだ」は幕末近くに初めて輸入された際、図体ばかりでかくてのそのそっしているから、見世物にはいいかもしれないが、実際には何の役にも立たないだろう。といことで、役立たずの事をらくだというようになったそうである。
 事実落語のらくだも、皆の鼻つまみで役立たずであったから、そう渾名されたようである。そのらくだが、河豚毒に当たって死んだが、皆死を喜ぶばかりで、弔問しようなどと云う奇特な者など誰もいない。
 そこで、らくだの友達を称する悪(ワル)が、偶々来た屑屋を呼び止め大家の所へ行かせて、酒やご馳走を要求する。果たして断られると、らくだの死骸を運んで後ろに立ち、操り人形よろしく「かんかんのう」を踊らす。
話の内容はえげつないものだが、それが又いいのだろう。ユーチューブを見ると、いろんな落語家がやっている。視聴回数を見ると、最高は桂米朝が二十五万余回、次が笑福亭松鶴二十四万余回、続いて立川談志の十二万余回、十代目柳家小三治十万回が十万回以上である。
元は上方落語だったからだろう、東京の倍ほど見られている。
 幕末から明治にかけて爆発的に流行った「かんかんのう」を大道芸で復活したい。演者の額には三角の布を着けた死人姿。ほかに手や足を以て踊らせる人をつける。

 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、日本庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に覚えませんか。練習日は左記の通りです。
●第三〇八回目 二月十四日(水(すい))

●第三〇九回目 三月十四日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、技術を向上させたい人のために、学習会や伝承会も行っています。

◎特別練習
●第五回目
 日時・二月二十七日(火)  午後六時~
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 以降の練習については、随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
  立春も過ぎて春が近い。オリンピックが近づいたからか、日本ブームも始まったようである。知らない所からも、声がかかったりするが、皆断っている。 演者が次々とあちら側へ行ってしまうから、対応できないのである。徳川幕府開府四百年のときも似た状況であった。が、終わった途端に閑古鳥が鳴いた。伝承者が一人前になるには最低十年かかる。全ての芸能の原点も、それ程お寒い。


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